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杜王町を舞台に漫画化してほしい〜乙一『暗黒童話』

暗黒童話 (集英社文庫)

暗黒童話 (集英社文庫)

本好きが集まる宴席で、好きだからこそ読まずに取っておく作家がいる、という話をしたら、同じ意見の人が何人かいた。「とっておき」という言葉があるが、言葉通りの「取っておく」作家の一人が、乙一だ。
ということで久しぶりに読んだ『暗黒童話』は、乙一初の長編小説ということで、あとがきによれば、読み返すのが恥ずかしい作品とのこと。確かに設定はありきたりだが、ちゃんとひとひねりあるし、何より読ませる文章。久しぶりに読書に没頭し、次が読みたい、次が読みたいと思いながら頁をめくらせる展開だった。しかし、全体としては、少しグロテスク過ぎる、というのが感想。


物語は、「特殊な能力」を持つ童話作家・三木の周辺の出来事と、事故のショックで記憶を失い、左目の移植手術を受けた女子高生・菜深(なみ)が左目の「記憶」する場所を辿る、という二つの場面、そして冒頭と中盤に二度に分かれて登場する童話「アイのメモリー」で構築されている。このうち、菜深のエピソード以外の二つは、非常にビジュアル的なイメージが強い。
“暗黒童話”として書かれた「アイのメモリー」は、文庫版表紙イラストに描かれる通り、鴉と少女のやり取りを描いた身体的に痛過ぎる話で、作品全体のイメージを決めている。
三木の周辺の出来事は、他人の“人体変形”に関する「特殊な能力」のせいで、ジョジョの奇妙な冒険をイメージさせる話になっている。杜王町を舞台にした話だとしてもいいくらいで、読書中、何度か、ジョジョだったら…ということも考えてみた。そうしてみると、三木によって姿を変えられた相沢瞳や、久本と持永は、漫画で描かれていた方が、ここまでグロテスクにはならなかったように思う。ジョジョという非現実ベースの話であれば、楽しんで受け入れることが出来たと思うが、小説で読むと結構キツい。
菜深にも「特殊な能力」があり、二人が対決する話なのだから、やはり杜王町を舞台に荒木飛呂彦が絵を描いてくれれば…と無いものねだりの妄想はやまない。


終わり方は、一応ハッピーエンドになっている。普通の小説だったら、そこで救われ、気持ち的に楽になるのだが、それまでに起きた出来事のグロテスクさが際立つので、読後感はどんよりしてしまう。乙一の小説って、こんな感じだったよなあと思いつつも、もう少しスッキリした気持ちで読書を終えたいと思ってしまったのだった。