Yondaful Days!

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「俺」が真の物語作家になる物語〜真藤順丈『地図男』

仕事中の“俺”は、ある日、大判の関東地域地図帖を小脇に抱えた奇妙な漂浪者に遭遇する。地図帖にはびっしりと、男の紡ぎだした土地ごとの物語が書き込まれていた。物語に没入した“俺”は、次第にそこに秘められた謎の真相に迫っていく―。第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞作待望の文庫化!文庫版特別付録「『地図男』の地図帖」も収録。

「地図」は物語の中でどういう機能を果たすのかを考える。


小説で物語を盛り上げるアイテムとして重要なのが地図。特にファンタジー小説で多くみられるのは、それが、異世界を具体的にイメージさせるツールとして機能するからだろう。
考えてみると、複数の国家が登場して同時並行的に物語が進む場合もあるが、基本的には連続的な移動が生じる場所として「地図」は登場する。いわば、主人公の足跡を追いながら「異世界を辿って楽しむ」ための地図である。


『地図男』で地図男が持ち運ぶ地図はそれとは違う。そこにはさまざまな物語が、同時多発的に生じている不連続な物語が書き込まれている。一つの物語が広がりを見せるのではなく、あくまで別々の物語が別々の場所で起きているために広範囲に渡る。これは実際の世界に近く、読み手にとって状況把握は難しいがエキサイティングである。
複数事象を同時に追うことはできない。それが混乱を呼ぶのだが、実際に世界は一本の糸で辿ることはできないのだ。
つまり、地図男で描かれる地図は、異世界の分かりやすい道しるべではなく、辿れない世界に「翻弄されるための地図」「世界の混沌を感じるための地図」といえる。
ただ、勿論、そんな地図男の物語も収斂に向かう。混沌を感じた後に収斂に向かうから、カタルシスを得られるのがいいところ。

その光景を目撃する読者は、特別なカタルシスを味わうことになるだろう。地図男という稀有な物語産出装置のコア部分に、「俺」はさわることができたんだ。匹敵は叶わずとも、一太刀を浴びせることができたんだ、と。大事なことは、もうひとつ。「俺」は地図男との最後の対話の中で、物語という表現形態の意味と、その肯定的な力に気付く。そして、物語ることへの、勇気と欲望を手に入れる。『地図男』は、「俺」が真の物語作家になる物語である。

巻末の吉田大助の解説は、『地図男』が真藤順丈のデビュー作であることに焦点を当てた文章になっている。「俺」=作家・真藤順丈であり、上の文章に書かれるよう、『地図男』は、「俺」が真の物語作家になるというデビュー作にふさわしい作品なのだという。確かにラストに向けた盛り上がりは、作者の思いが詰まっているのかもしれないと思わせる。
そんな吉田大助の解説も、非常に素晴らしいものだったが、吉田大助も薦める書物シリーズの二作目『バイブルDX』が次に読む本か。


文体のせいなのか古川日出男を思い出したため、大好きな『サマーバケーションEP』を思い出したが、自分は、やっぱり安心して読める「辿る系」の物語の方が好きかもしれないと思ってしまったのだった。