Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

小沢健二の歌詞から「リアル脱出ゲームはなぜ面白いのか」を考えてみる

4月末頃に、リアル脱出ゲームを制作しているSCRAP代表の加藤さんからの呼びかけで「リアル脱出ゲームはなぜ面白いのか?」というタイトルのエッセイ募集がありました。上位入賞者は加藤さんとお酒を飲めると言います。
自分も、1〜2か月に一回のペースでSCRAPのイベントに足を運んでいるし、テーマとして興味があったのでトライしてみました。
ところが、当時は少し考え、降りてきた思いつきに確信に近いものを感じて、若干の説明とコメントを追加して、文章自体はほとんど推敲しないまま提出してしまいましたので、今回はその手直しをすることにしました。


まず最初にリアル脱出ゲームとは何かについてSCRAPのHPから引用します。

ある部屋にあなたは突然閉じ込められる。周りには同じ境遇の人たちがたくさんいる。
部屋にはさまざまなアイテム、暗号、パズルが隠されているようだ。
暗号を解き、鍵を開き、箱を開け、制限時間内に最後の鍵を手に入れることができれば
あなたは脱出に成功する。
(略)

よく思うことは、今生きているこの日常の空間も、ほんの少し見方を変えればすばらしく意味深いものになるということだ。この机の裏側に暗号が隠され ていたり、ソファーの下には鍵が落ちていたり、隣の青年は秘密文書を隠し持っているかもしれない。物語を通して世界を見ると、なんとステキでおかしくて謎 めいているのだろうと思う。

リアル脱出ゲームというこの新しく愛しい遊びが、今あなたの隣にある現実を謎めいたものに変えてしまったらいいのに、といつも思っている。リアル脱 出ゲームが物語と現実を繋ぐ、ちょっとした架け橋みたいになれば、我々はもう誇らしくって、残りの人生はずーっとビールでぐでんぐでんに酔っ払って居続け るだけで、意味ある人生だと胸をはっていえるだろう。

(すべてここに答えが書いてあるような名文にたじろぎます…)


さて、「リアル脱出ゲームはなぜ面白いのか?」というお題に対して、ひらめいた思いつきとは、リアル脱出ゲームの面白さは、小沢健二「痛快ウキウキ通り」の歌詞の一部で言い表せるのではないかということです。

喜びを他の誰かと分かち合う
それだけがこの世の中を熱くする

勿論、抜け落ちている部分はあると思いますが、自分の思う「ツボ」の部分は、これで言い表されているように思ったのでした。


ただし、そのときに提出したエッセイは、かなり大雑把で、今読み直しても、やや分かりにくい内容です。
そこで、以下、何故、この言葉が、リアル脱出ゲームのエッセンスを表しているように感じたのか、改めて文章にまとめてみました。

「分かち合う」ことについて

小学2年生のよう太は、最近ハリー・ポッターシリーズを読むようになりましたた。読書が好きになることは喜ばしいことなのですが、一時期、寝る前や起きた直後など、隙を見つけてはあの厚い本を読み聞かせられて辛い時期がありました。*1
親が子どもに読み聞かせることの逆をされるわけです。大人は独りでも本を読むことができます。だから別に読んでもらわなくてもいい、というのがこちらの論理なのですが、子ども側から見ると、そうではないようです。どうも、よう太は、この面白い本を一緒に味わいたい、意外な展開で、驚く僕の顔を見たいと思っているようなのです。


読書の醍醐味は、いつでもどこでも一人で本の世界に入ることができることです。
考えてみれば、時代が進むにつれ、食事も映画もカラオケも、いろいろな娯楽が、読書のように一人で楽しむことができるようになりました。他を気にせず個人で楽しめるものが増えること、それが娯楽文化の進化してきた道なのかもしれません。


でも、それによって失われたものが多いことにみんな気がついて回帰してきたところもあります。
テレビが面白くなくなったのは、分かち合う感覚が薄れてきたため。距離は離れてはいても、昔ながらの「分かち合い装置」に戻したのが、ニコニコ動画や、ツイッターなのかもしれません。
ゲームも、携帯ゲーム機やスマートフォンでのゲームが流行する中、喜びを分かち合うことに意識的なWiiに注目が向いたのも同じ理由なのでしょう。今思えば、友だちの家で、自分の番を待ちながら他人のプレーを見るアイスクライマー、そしてみんなでワイワイやるファミスタは本当に面白かったのでした。


つまり、時代の流れで、喜びを「分かち合う」ことに、皆が改めて価値をおくようになってきたわけです。
これまで、「何でも一人で行える便利」を追求してきた技術も、Wiiやニコ動、そしてFacebookなどに代表されるように、「分かち合うこと」にベクトルを変えているようにも見えます。
リアル脱出ゲームは、「分かち合い」方向に進化を遂げた最先端の娯楽であり、その楽しみに慣れたよう太は、通常の読書には物足りなさを感じたのかもしれません。

「他の誰か」と

さて、仲間内で飲んだり、遊びに行ったりしたとします。それは「喜びを分かち合う」ことです。
しかし、感覚として、顔が知れた仲間と喜びを分かち合うことは、音楽イベントや謎解きイベントなどで感じる楽しさとは全く違います。それは楽しさの本質に、「他の誰か(知らない誰か)」がいるかいないか、の部分が大きく影響しているのだと思うのです。
それは何故かと考えると、「他の誰か」というのは、つまり仲間以外の全てを象徴するものだからです。「この世の中」を構成する人間を、「友だち」と「他の誰か」に分けて考えてみます。直接話をしないとしても、喜びを分かち合う場に一緒にいる「他の誰か」こそが、痛快ウキウキ通りで歌われる「この世の中を熱くする」鍵なのだと思います。(もちろん、リアル脱出ゲームでは、「他の誰か」が「友だち」になることもたくさんあります。)
これは、逆に言えば、謎解きイベントの参加メンバーが固定化され、いつも一緒にいるメンバーばかり(「他の誰か」がいない状態)になってしまえば、楽しさが半減することを意味します。
だからこそ、商売として客を広げるという以上に、「ウキウキ」維持のために、意識的にSCRAPが「初心者」を呼び込むことを常に心がけているいるのではないかと思います。
来週に控えたREGAME(リアル脱出ゲームオンライン)も、どう「他の誰か」の存在を感じることができるのか、が鍵なのではないでしょうか。

驚きとひらめきと、タイミングの「ズレ」

さて、ここまでは小沢健二「痛快ウキウキ通り」の歌詞を読み解き、他の誰かと分かち合う喜びについて語ってきました。
しかし、「喜びを他の誰かと分かち合う」のは、それこそ、好きな仲間とライブに行くことやスポーツ観戦で満たされるものであり、リアル脱出ゲームの楽しさの一部の説明にしかなっていません。
だから、自分はリアル脱出ゲームで一番強く感じる感情「驚き」を歌詞に加えて「驚きを他の誰かと分かち合う」ことこそが、リアル脱出ゲームの醍醐味だと思い、歌詞の一部を変えてみました。

驚きを他の誰かと分かち合う
それだけがこの世の中を熱くする

常に、どう驚かされるのかワクワクしながらイベントに足を運んでいる身としては、これはこれでしっくり来ます。しかし、よく考えてみれば「驚き」自体はリアル脱出ゲームのみのものではありません。
個人の楽しみとして、ゲームや映画などでは「驚き」は大きな要素として存在するし、「驚き」を分かち合う娯楽もあります。例えばマジックショー(手品)がそうだし、最近では、ミステリ小説の驚きポイントを、TVタレントと一緒に味わうような番組もあります。*2


それでは、リアル脱出ゲームでしか得られないものは何でしょうか。
それは、分かち合うタイミングの「ズレ」ではないかと思います。

普通の娯楽は、盛り上がるタイミングが一致するからこそ一体感を味わえるところがあります。勿論、スポーツ観戦のように、いつ来るか分からないからこそ皆が待ち望む得点シーンを、ともに味わう喜びもあり、バルス!みたいに、いつそれが来るのかほぼ完全にわかっていながら盛り上がる祭りもあります。
しかし、リアル脱出ゲームでは、タイミングの一致はあり得ません。同じ物語に取り組みながらも、各人、各グループで物語の進行スピードがバラバラだからです。
唯一全員のタイミングが合うとすれば、全員が最後まで辿りつかなかったケースにおける答え合わせの時間だけです。*3
そういった「驚き」や「ひらめき」のタイミングがずれること。その「ズレ」が、リアル脱出ゲームを抜群に面白くさせ、ある者は優越感に浸り、ある者は涙しながらリベンジを誓わせるのです。
勿論、そういったポイントを、他の娯楽と明確に違う「主体性」だとか「達成感」いう言葉を使っても説明できると思うのですが、主体的な行動の結果として得られる喜び・驚きのタイミングが「ズレ」ることが、やはり自分にとっては、かなり大きな要素なのではないかと思います。
ただし、大事なのは、やはり一にも二にも「喜び・驚きを分かち合うこと」だとも思います。「ズレ」(いかに早く謎を解くか)をあまりに重視しすぎたイベントは、仲間内の不和を呼ぶ可能性もあり、自分はあまり好きではありません。


したがって、結論としては、以下の通りです。

  • リアル脱出ゲームはなぜ面白いのか?
  • イベントで得られる「喜び」「驚き」を他の誰かと分かち合うタイミングにズレがあり、そのズレが世界を熱くし、現実生活をウキウキさせるから。

SCRAPのイベントは、通常のイベントなどとは異なり、ゲームなので、よく「名作」という言い方をされます。これまで体験した中では「マッド博士の遺言状」は名作も名作の最高傑作でしたが、今後も、廃病院や、マジックショー、からくり館(金田一少年)で、また、あのような感動を味わえることを期待しています。
乱文・乱筆失礼しました。

*1:なお、ほぼ「読み聞かせられ」形式で、ゲームブック人狼村からの脱出』はクリアしました!

*2:日本テレビの「超再現ミステリー」。よう太は大好きですが、つまりは「あらすじで読む日本文学」みたいなもので自分は素直に楽しめない。

*3:「本当に難しいリアル脱出ゲーム」という回があり、これがそのケースに当たるかと思います。マジキチと呼ばれる悪問でしたが、タイトル通りのイベントだろーと加藤さんは開き直っていました笑