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蘇我毛人と厩戸王子の出会い〜山岸涼子『日出処の天子』(1)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

前に読んだのはいつの頃だったか。10年ぶりくらいに読むのかもしれないが、貧弱な記憶力のお蔭で全く話を思い出せないので、新鮮な気持ちで文庫本の頁をめくっていく。
巻頭に家系図があり、家族関係が複雑で飲み込みづらいのかと思いきやすんなり読める。以下、感想というよりは全体の物語を思い出すためのメモ。


主人公は蘇我馬子の子・毛人(えみし)。(初登場時は14歳、妹の刀自古12歳、厩戸王子10歳)
毛人と厩戸王子を中心に進んでいく物語だけに、毛人が王子に会うときの描き方が周到だ。

  • 初見は、春の池で泳ぐ少女の姿
  • 二度目は、散る桜の前で佇む少年の姿
  • 三度目で、相手の顔を知らずに、厩戸王子を迎えに部屋に行って目にした鬼の形相

そのいずれもが厩戸王子のさまざまな角度からの貌を示す。三度目では、手を使わずに書を読み、他人の精神の内側に入り込むことのできる超能力の一端も示される。人間を超えた存在でありながら、人を惹きつけてやまない厩戸王子は、毛人がそう感じたように「優しげ」でありながら「恐ろしい」ものだった。
宮廷で厩戸王子の弟の来目王子や実母・間人媛(はしひとひめ)との関係性を見るにつけ、毛人は、王子の「弱い面」についても、段々と理解していく。
ここら辺は、吉田秋生BANANA FISH』の英二とアッシュの関係を思い出させる王道展開で気持ちがいい。
その後、王子の方も、何かにつけて毛人を意識するようになり、苦界奥底で魑魅魍魎を目にし、そこから逃れるときに文字通り一つになる。ここら辺の展開は、早すぎる感じもするのだが、王子にとって毛人が「大切な人」に変わるきっかけとなっているのかもしれない。
その後、厩戸王子は、父・豊日大王の死(四方から近づいた疫神が大王を囲んでいく印象的なシーン)を目の前で看取り、涙したあと、父の言葉(詔)として、仏教信仰を命ずる。額田大后が、のちの推古天皇であることを考えると、父亡き後は、額田大后の加護の下で勢力を保つことになるのかな。


さて、新羅から来た淡水(たんすい)との会話の中で出てくる未戸郎(みしらん)伝説というのは、弥勒菩薩信仰のことで、淡水は、「弥勒仙花」と敬う王子のために身を捧げようとする。この巻では、百済から来た高僧・日羅を殺めたあと、淡水は身を隠し、その後、顔つきの似ている調子麻呂が似たポジションで活躍する。
聖徳太子と言えば仏教伝来であり、渡来人たちの物語の中での役割も楽しみだ。


また、冒頭のシーンから、毛人との仲の良さを伺わせた妹の刀自古は、蘇我と物部の関係悪化から実家に戻るということになり、しばらく姿を消す。彼女は重要キャラだったはずだが、またしても思い出せない。こちらもこのあとの展開に期待。


なお、この巻では天皇は以下の2名が登場し、豊日大王が亡くなるシーンで終わる。(在位期間はWikipediaより)

訳語田大王が亡くなり、穴穂部王子が、豊日大兄とともに初めて大王候補に挙がった頃に起こした額田大后に対する醜聞事件。このときのことを穴穂部王子は「魔がさしたのだ…」と振り返るが、これほど正しい「魔がさす」のイメージを知らない。(厩戸王子の超能力が原因)