Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

スピーチで大事なこと、ビブリオバトルで大事なこと

(9月に一度書いて放っておいた文章のお蔵だし。最初と最後が支離滅裂な気もするけど…)

「腹が立つ」ことを「むかつく」と言う人が半数を超え、「ゆっくり、のんびりする」ことを「まったりする」と表現する人も3割いることが、文化庁が20日発表した「2011年度国語に関する世論調査」で分かった。
http://mainichi.jp/select/news/20120921k0000m040076000c.html

日本語力の低下が問題にされることがあるが、ボキャブラリーの変化自体は、さほど問題ではない。
口語と文語が離れすぎると、世代間の会話がかみ合わない、読書が気軽に楽しめないという問題は生じるが、昔の言葉遣いこそが「正しい」わけではなく、場に応じた言葉が交わされていれば問題ないように思うし、多くの人がそう考えていると思っている。


むしろ問題なのは、多様で細やかな表現が流行語に収斂していくような場合であって、以下のようなツイートが人気を集めたことを考えると、一般的な問題意識もそうなのだろうと思う。

近ごろ「マジ」「ヤバイ」の汎用性がマジヤバイので、50年後ぐらいの俳句は「春ヤバイ マジヤバイマジ 君ヤバイ」とかで「春が訪れ、花が美しくその身を咲かせる季節になりました。でもそんな可憐な花々よりも君の方が美しい。嗚呼、この花を君と見れないのが切ない」ぐらいの意味になり兼ねない。


さて、このように使いやすい言葉を多用することは、詩的な部分以上に、身近な「問題解決」を考える上でも障害となってくる。語彙が少ないことによって、問題を正しく言語化し把握することができない。つまり何が問題なのかを理解できなくなってしまう。
9月に、何回目かの挑戦となるビブリオバトルへの参加機会があった。そのときのことを例に挙げたい。

過去最大級に「あがる」事態に陥った原因

この時、自分自身、あがらずにスマートに話したいという気持ちがあり、そこを少しでも克服できればと考えていた。そこで、「あがる」ことの対策として、参考書も読み、ある程度、練習を重ねた結果、ほぼ100%の原稿を用意した上で臨むこととした。
→参考:結局は練習第一〜金井英之『人前で3分、あがらずに話せる本』(2012年8月)
ところが、過去最大級に「あがる」スピーチとなった。
このような事態に陥った原因は、どうも問題を捉えるときの言葉の使い方にあったように思うのだ。

あがることとテンパること

終わったあと、以前と比べても「あがる」ことへの対策を行ない相当に慎重を期したはずなのに、どうして上手くいかなかったのかをよく考えてみて、少しだけその原因が判明した。
それは何かをひとことで言えば「あがる」とは何かを分かっていなかったことに大きな原因がある。
「あがる」という言葉は、かなり曖昧な言葉であり、実際の具体的な状況を考えると、いくつかに細分しなければ対策が立てられないのだ。


「あがる」を大きく分けると、以下の2つになると考える。

  • 人前に出て緊張している状態(ベースのテンションが高い状態)
  • ベースに対して、スピーチ中の「上振れ」

このうち、後者についても「あがる」という言葉の中で考えてしまっていたのは問題だった。これは、当日の状況でペースが乱され、頭が真っ白になって、いっぱいいっぱいの状況になる、いわゆる「テンパる」という言葉が適切かもしれない。*1


結果、考え方として誤っていたのは以下の二つとなる。

  1. ベースの緊張感について、完全原稿で対応しようとしたこと
  2. 「テンパる」対策が全くできていなかったこと

完全原稿の問題点

結局スピーチは、見ている人がいてこそ成り立つ一種のコミュニケーションである。ある程度、観客の反応を探りながら言葉を出していかないと、コミュニケーションが成立しない。
完全原稿が最も効果を発揮するのは、観客側の反応も含めて、全てを読み切った場合だが、それはあり得ないし、コミュニケーションではない。したがって、現場で少しずつアレンジをしていく必要がある。内容思い出しのためのメモは必要だが、完全原稿を目指すと、コミュニケーションの部分が疎かになってしまう。

テンパる対策

ただし、これまでもある程度の原稿は用意していったし、上にも書いたように、観客側の反応がある程度想定通りだった場合には、何となくコミュニケーションとして成立し、テンパることはない。
しかし、今回は、観客の反応が自分を不安にさせる部分があり、それが「テンパる」ことに繋がった。具体的には、正面に座った一人の観客が、全く話に興味を持っていない素振りが見えてしまい、それで著しくペースを乱され、開始20秒くらいで底なし沼にはまってしまった。


テンパる対策については、観客側の反応について、無関心な人がいることも想定しておくなど、「あがる」対策とは全く異なる心構えが必要だったのだ。これは勿論、完全原稿によるコミュニケーション軽視が遠因になっているとも考えられる。結局は、人前で話すことの根本的な部分が分かっていなかったのが問題だった。

大事にしたいビブリオバトルの金言

その後、ツイッター上で、ビブリオバトルについて、完全原稿方式の問題点について、たにちゅう先生*2より一言で論破されて目が覚めた。

はい!彼女への告白に原稿読んでたんじゃだめなのと,一緒ですね 笑

あと、別の方が、次のように呟いているのを見て、勉強になった。

ビブリオバトルは「面白い本を教える」というスタンスだと聴く側は拒みたくなる。「共感してもらう」というスタンスの方が楽しい(大意)

つまりは、どちらも相手に想いを伝える、伝えると言っても、伝わったかどうかを常に気にしながら話すという部分が大事だということだろう。言われてみればなるほどという感じだ。
次は、次こそは、満足のいくスピーチが出来るように頑張ります。

*1:ここで「テンパる」という言葉を出してくるあたり、自分には相当語彙がないと気づかされるわけだが…

*2:ビブリオバトルの考案者・谷口忠大准教授(年下なんですね…)