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明るく協力できるといいな〜瀬名秀明『ロボットとの付き合い方、教えます』

ロボットとの付き合い方、おしえます。 (14歳の世渡り術)

ロボットとの付き合い方、おしえます。 (14歳の世渡り術)

「14歳の世渡り術」という中学生向けのシリーズで、構成がとても図式的で、非常に見通しがしやすく作られている本でした。
基本的に、ロボットの3区分という見方と、災害時のコミュニケーションについての3つのフェーズの考え方を軸にして考え、全体を通して、以下のことが繰り返し述べられています。

  • ロボットを考えることは「人間とは何か」を考えることでもある
  • 「コミュニケーションとは何か」を考えることでもある
  • 「生命とは何か」「未来とは何か」を考えることでもある
  • そして「この世界とはいったい何であるのか」を考えることでもある

図式はこんな感じ。


このような図式化された理解がしやすいのは、瀬名さんの構成にもよりますが、事実、ロボットがそのような進化を遂げているからだとも言え、こじつけでも何でもなく、ロボティクス(ロボット学)があるべき方向に向かって発展しているだからなのかもしれません。
そして、どのような分野の学問であれ、上記のような見方で切り取ることはできますが、14歳という想定読者層に対して、目に見える分かりやすい形で社会とのかかわりを教える本の題材としてロボットを扱っているのは非常に成功していると思います。
特に、ロボットは視覚的に惹きつけられる要素が多く、本で紹介されていた内容はネット上の動画で確認できるものも多くあり、自分でも改めて感心しながら見ました。

  • 福島高専分子生物学愛好会 知能ロボット蛇腹→確かに女子学生が作った感じがあります…

  • ジェミノイド→やっぱり怖いよ

  • ゲンギス →…では出ませんでした。下は「変なロボット」

そして、作家である瀬名さんがロボット学を「21世紀のサイエンス」と持ち上げ、それに入れ込む理由は以下の部分にあるようです。

科学的な考証に基づきつつも、大胆な想像力で、理想のロボットを描くこと。
それを目標に、実証的な研究をつづけ、少しずつ、成果を積み重ねていくこと。
ここでは、フィクションと現実が、螺旋階段を描くように、バランスよく影響を与え合っています。こうした関係性はロボット学特有のものです。それがロボット学に広がりを与えている。p204

実際、自分もロボットという言葉で一番にイメージするのは、アニメや漫画などのフィクションで、それらがクリエイターにも学者にも大きな影響を与えているであろうことは想像がつきます。いわゆる「夢がある職業」ということになると思います。

未来は明るい?暗い?

さて、このように明るい話題中心の本ですが、冒頭では「ロボットが人間に刃向うことはないのか?」という素朴な疑問をかかげ、また途中でも「ロボットが人間の仕事を奪うのでは?」というテーマをとりあげています。しかし、瀬名さんはそんなことはあり得ないと一笑に付し、ロボットと人間の協力関係を軸とした、やや楽観的な未来像が描かれています。

人間同様、ロボットも適材適所。特徴や適性に合わせて、社会をデザインすればいい。
ロボットを設計(デザイン)することは、社会やコミュニケーションを設計(デザイン)することです。そして、それを考えることは、ぼくらの未来を設計(デザイン)することでもあるのです。p106

このように書かれていますが、実際には、そういったデザイナー的な仕事は、本当に有能な一握りの人間が手にして、そこまで高度ではないがある程度の技術の必要な仕事(それは、現在多くの人が携わっている仕事)はロボットに奪われる未来、というのが、より現実に即した未来像であると思います。新井紀子さんの『コンピュータが仕事を奪う』では、コンピュータに出来る作業範囲は拡大しており、タグ付などコンピュータの認識能力を上げるための「学習材料の提供」という力仕事の単純作業を限りなく安価で人間が手伝っているという、あまり理想的でない協力関係が描かれていたように思います。
実際、最近も人間とロボットの労働市場でのライバル関係について以下のように取り上げる記事がありました。

Amazonグループでは、巨大な倉庫に保管された膨大な商品を集めるために、スキャナを持ったアルバイトたちが駆けまわる風景が有名ですが、徐々にアルバイトに変わってKivaが席巻するようになる可能性が十分あります。
企業は人ではなく、いかに自社の倉庫に適したロボットを選定し、教育(入力)業務を効率化するかということが重要になり、採用業務に求められる役割が大きく変わる可能性があります。

記事の中では、Siriの発展系としてテレアポ業務のロボット化、エンタメ分野でのロボットの活躍などにも触れ、“人間のみ許された能力として、より豊な「創造性」に価値が求められるようになる”としていますが、時期的なことは別として、いずれそういう社会が来るのは確かなのだと思います。自分は、ロボット化することで、もっと楽ちんな未来が来てほしかったですが、そうでもないようです。こういうのを読むたびに、夢枕獏たむらしげる『羊の宇宙』の一節を思い出します。

少年:「車は、僕は嫌いだな」

(略)

学者:「どうして、速いっていうことは、意味がないの?(略)刈り取った羊の毛を、街まで運ぶのに、倍以上も早く行けるだろう?そうしたら、その余った時間を他のことに使えるじゃないか」
少年:「わかっていないんだな、お爺さん。(略)たとえば、これまで、街まで、馬で行って、帰ってくるのに、一日かかってるんだ。それを、車で半分のスピードでやれるようになったら、どうだと思う?」
学者:「一日に一度、街まで出るとして、半日時間が余るんじゃないのかい」
少年:「違うよ。その人は、一日に、二度、羊の毛を車に積んで、街まで出かけてしまうことになるのさ。余った時間に働いてしまうんだよ。速くなるということは、時間が余ることじゃなくて、もっと忙しくなるということなんだ。」


ということで、自分が欲しかったのは、半日時間が余る未来だったのですが、実際には、技術の進歩の御蔭で忙しさが加速しているという実感もあります。瀬名さんは、そういう不満に対して、それならば、忙しくない未来を設計し、そのためのロボットを生み出すべきであって、仕事とは何か、生きる価値とは何かに立ち返るべきというのかもしれませんが…。