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わかりやすくて偏っている「変」な本〜茂木耕作『梅雨前線の正体』

梅雨前線の正体 (新しい気象技術と気象学)

梅雨前線の正体 (新しい気象技術と気象学)

作家の川端裕人さんが、朝日新聞の書評欄でオススメされていた「2012年の3冊」の1冊ということで読んでみました。*1
あとでも改めて書きますが、かなり異色で「変」な本です。
教科書っぽい装丁の本ですが、その精神は教科書とは対極にあり、「教えてもらおう」という気持ちで手に取ると足元をすくわれます。
本のタイトルに「正体」とありますが、そうではなく気象の世界に「招待」してくれる本です。でも「その先」に進むのは、自分の興味関心次第だとする、ある意味突き放した本だといえるかもしれません。
以下、この本の面白さを「変」なところに焦点を絞って書きます。

実感を伴うわかりやすさ

よう太の勉強を見ていて分かりましたが、小学2年生で「単位」の概念について習うときに、通常あまり使わない「デシリットル」が出てくるのには二つの理由があります。
まず、繰り上がり計算を習った直後であるため、10で単位が変わるデシリットル−リットルであれば、スムーズにその概念を教えていけるからです。
しかし、それだけであれば、ミリメートル−センチメートルでも同じように教えることができます。ミリメートルよりも先にデシリットルを(しかも重点的に)教えるのは、身体感覚的にちょうど把握しやすいボリュームであるという二つ目の理由があるからなのです。
つまり、新しい概念を教える、学ぶ場合は、身体感覚的にイメージしやすいものに引き付けて説明すると「わかりやすい」と感じるといえます。わかりやすさにも色々ある中で、一つの王道と言えるかもしれません。


気象現象自体が、3次元的な動きと相の変化が互いに関係しあって生じる現象であるため、気象関係の入門書を読んでみると、空間的な動きをイメージとして伝えることに、どれも工夫されています。それがもっとも実現象を外さないからということで、横断図や立面図を綺麗に着色してビジュアル的に見せるというやり方が一番多いと思いますが、漠然としたイメージとしてでは分かりにくいので、基礎的な部分は数式も含めて知ってもらおうと開き直る本も多くあります。
しかし、この本(の特に後半)では、分かりやすさをトコトン追求し、雲や風の「擬人化」という方法で、3次元的な動きのイメージを伝えるという、かなり挑戦的な試みが行われています。自分が雲になった気分で、もしくは風になった気分で空から眺めてみることで、高低差や温度を、自分の身に引きつけて理解出来るのです。この姿勢は徹底されていて、たとえば夏季アジアモンスーン気流の南風と黒潮の話で出てくる南風のセリフは次の通り。

僕は、風速が10m/s(時速36km:自転車を思いっきりこいでいるときくらいの速さ)以上にもなるから、たくさんの水蒸気を運ぶことができるんだ。梅雨前線で雨雲を作るのに一番大事なのは、この僕さ。p125

風速10m/sというのは専門用語でもなんでもないわけですが、自転車をこぐという体感しやすい表現に直されています。
分かりやすいという以上に、一つ一つの言葉を慎重に使用する姿勢に驚きました。自分も、日々、家で仕事で使っている言葉の本当の意味を分かって使ってるのかなあと、改めて考えてしまいました。
これは、今までちょっと無かった感覚でした。

偏ったルートで伝えようとしているもの

ところが、この本が真に「変」なところは、その部分ではありません。


研究者が感じているテーマの面白さというのは、専門的で「尖端」的であるわけです。
一方で、その研究の意義について広く一般に知ってもらう必要性が、以前より増しています。その意味で、一般向けの図書というのは、その「架け橋」にあたるもののはずですが、一般向けを意識しすぎると、教科書的でどうしても面白味に欠けるものになってしまいます。
基礎知識の説明と合わせて、一般読者の興味がある点に重点を置く結果、本当に書きたかったことは、頁数の制限から削られてしまうわけです。(そういった本があるかどうかは知りませんが)登山の本で、装備と心構え、そして美しい風景写真にページの大半を割かれている…というような状態になってしまいます。
だから、あえて教科書的な内容を最小限に抑えて、研究者自らが感じる「面白味」に焦点を当てた本が増えているのかもしれません。


この本は、その急先鋒です。プロローグには次のように書かれています。

本書は、そうした私が過去から現在に至って抱いてきた極めて個人的な疑問に沿って記述していきます。それが一般的に多くの人の抱く疑問である場合もあれば、個人的に過ぎる場合もあるかもしれません。あえてそうするのは、読者のみなさんにも是非ご自分の個人的な疑問に対して答えを追いかけるところから色々な現象を見てもらえたらと思うからです。p11

さらにエピローグでは次のように書かれています。

本書を読み終えたみなさんは、とっくにお気付きでしょう。

「随分と偏ったルートを案内してくれたものだ」

と。
本書は、「著者自身が強く実感を持ってお伝えできること」に焦点を当てたので、みなさんが本当は行きたかったルートを外してしまっていたかもしれません。でも、せっかくですから、本書をきっかけとして別のルートにも足を伸ばしてみて欲しいな、と思います。p143


完全に確信犯なわけです。
正直に言うと、この本のルートは、自分の行きたかったルートとは違っていたようです。前半に紹介した「実感を伴うわかりやすさ」についても、自分がこれまで組み立ててきた気象学に対する理解のアプローチとも違っていて、むしろ困惑しました。
しかし、この本は、一連のウナギ関連の本と同様、「研究」というものの面白みについて知ることのできる、とてもいい本だと思いました。
例えば、上に引用した言葉にあった「著者自身が強く実感を持ってお伝えできること」のひとつとして、基礎データとなる観測の重要性が繰り返し述べられるのはとても面白いし、そのバランスの悪さに研究者魂を強く感じました。そして、そういった苦労がなかなか評価されないという恨み節ではなく、「観測」こそが「概念的な気象現象をまさに体感できる面白さに満ちている」というプライドが伝わってきました。

  • 観測やデータ処理などの地道な作業
  • 研究成果という研究者にとっての表舞台
  • そして、一般の生活者の視点

これらの要素が全て入っているこの本は、多分、他の色々な分野の研究者の実感に非常に近い内容なのではないかと思いました。
こういう本を高校時代、もしくは大学の教養時代に読んでおけば、もっといろいろな興味を持って進路を選べたなあと思って悔しくなったりもしました。本の中には写真も多いですが、茂木さんだけではなく他の研究者の方も、笑っている写真が多いのが印象的です。本当に楽しそう。


今回、少しぼんやりとした印象で読書を終えてしまったのですが、気象についてもう少し理解を深めてから、改めて『梅雨前線の正体』に戻ってきたいと思います。
茂木さん、楽しい世界に招待してくださり、ありがとうございました。

参考(過去日記)

⇒研究者魂という意味では東大海洋研のウナギ研究本も本当に面白かったですね。ちょうど、ニホンウナギ絶滅危惧種に指定されたタイミングですが…。

⇒挑戦することの意味を教えてくれる良本。これも中学・高校時代に読んでいたら進路が変わったかもしれない本。

川端裕人さんは、ロケット関連や気象関連など、その他の小説もジャンル的にはストライクゾーンなのでどんどん読んでいきたいです。ちょうど今から『雲の王』を読むところ。

*1:このうち、1冊は、昨年末のビブリオバトル紀伊国屋新宿南店で紹介されていた『孤独なバッタが群れるとき』です。これも読みたい…