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あから2010に心はあるのか?〜田中徹&難波美帆『閃け!棋士に挑むコンピュータ』

閃け!棋士に挑むコンピュータ

閃け!棋士に挑むコンピュータ

近年のコンピュータ将棋の歴史の中でもメルクマール的な位置づけをなす、清水市代女流王将(当時)vsあから2010。
コンピュータ将棋が、女流棋士トップを打ち破る快挙を成し遂げたこの戦いは、始まりから面白い。
特に情報工学会対日本将棋連盟の筆書きの挑戦状のやり取りは素晴らしいと思う。是非、大迫力のリンク先(情報処理学会HP)を見ていただきたい。
米長邦雄会長の意向が強く出ているのかもしれないが、場を盛り上げる方法に長けた人だったのだろうと思う。

挑戦状
社団法人 日本将棋連盟 会長 米長 邦雄 殿

コンピュータ将棋を作り始めてから
苦節三十五年
修行に継ぐ修行 研鑚に継ぐ研鑚を行い
漸くにして名人に伍する力ありと
情報処理学会が認める迄に強い
コンピューター将棋を完成致しました
茲に社団法人 日本将棋連盟殿に
挑戦するものであります

平成ニ十ニ年四月二日
社団法人 情報処理学会
会 長  白鳥 則郎

社団法人 情報処理学会 会長 白鳥 則郎 殿

挑戦状確かに承りました
いい度胸をしていると
その不遜な態度に感服仕った次第
女流棋士会も誕生して三十五年
奇しくも同年であります
今回は初戦相手を女流棋界の
第一人者清水市代に決定しました
全ての対局運営は女流棋士会ファンクラブ
駒桜が執り行うように委嘱いたします

平成二十二年四月二日
社団法人 日本将棋連盟
会長 米長 邦雄


コンピュータ将棋が初めて開発されてから苦節35年で情報処理学会が送り出したコンピュータ将棋ソフトは「あから2010」。このイベントをにらんで「トッププロ棋士に勝つためのコンピュータ将棋プロジェクト」が用意したソフトだ。名前の由来は、10の224乗を意味する仏教用語の「阿伽羅」から。将棋の平均的な一局において現れうるすべての局面の数が10の226乗であることにちなむ。
「あから2010」が特徴的なのは、複数の異なるコンピュータ将棋ソフトが挙げた候補手のうちから次の一手を決める「合議制」を採用しているところ。4種のソフトは激指、GPS将棋、Bonanza、YSSで、いずれもコンピュータ将棋のトップクラスのソフトだ。(繰り返すが、このうち、GPS将棋は、第二回電王戦でA級棋士と当たるいわば大将戦に出場する。)
なお、「あから2010」は、コンピュータ169台を接続して戦ったが、クラスタゆえの強さはそれほど発揮できていないようだ。(トラブル回避のため合議における重みが小さく設定された)


結局、この勝負は、清水市代女流王将が負けたのだが、インタビューなどでは、彼女の爽やかさ、強さ、きりりとした感じが強く出ていてとても好感を持った。
自宅で子ども向け将棋教室を開いており、将棋を通して、思考力・決断力、相手を慮る心を教えようとしているというエピソードにも人間的に魅力を感じる。(電王戦では、サトシンこと佐藤慎一四段も子どもたちに将棋を教えているという。)対局の際にも、どんな手が出ても驚かないようにというアドバイスを受けて、相手の意外な手には「むしろ感動する」ように努めていたという。*1
あから2010を通して、開発者と心を通じ合わせようとしていた彼女の感性は、とても音楽的で芸術に触れるのに近い感じを受けた。


閃け!棋士に挑むコンピュータコンピュータVSプロ棋士―名人に勝つ日はいつか (PHP新書)人間に勝つコンピュータ将棋の作り方
さて、清水市代女流王将vsあから2010について書かれた本は、この本を含めて上の3冊あるが、この本は、他の2冊と比べると、それほど将棋将棋しておらず、著者の関心は「人工知能」の方にあるようだ。
もともと、情報処理学会の「プロジェクト」が求める最終形は、棋士の持つ「ひらめき」や「直感」(ヒューリスティックヒューリスティクス)に近づくことだが、あから2010を始めとするコンピュータ将棋ソフトのやり方は、それとは真逆の「全幅探索」で、しらみつぶしに調べつくした中から最善手を見つける。
このように、まだまだ人間の知性には手が届かないコンピュータ将棋の枠をはみ出て、7章、8章では広く人工知能〜ロボットの話題に及んでいる。
この中で面白かったのは、近年、人工知能開発の考え方の一つとして「身体性」が注目されているという話。知性の源は、「身体」を維持しようとするところにあり、すべてを教えてやらなくても、環境から自分で学習していくためには「生きたい」という欲求が必要だというのだ。その一例として、早稲田大学ヒューマノイド研究所のケミカルロボットの事例が示されていた。1cmほどのピョンピョン飛び跳ねる黄色いゲルは、むしろ人工生命に近いが、機能の積み上げによるヒューマノイド開発とは別のアプローチとして研究が進められている。
この本が少し残念なのは、そういった人工知能研究と、コンピュータ将棋の面白さをうまく合わせて伝えられていないところ。内容として地続きなのは分かるが、結論の部分は曖昧になってしまった。


ただ、この本で何度も書かれていたように、コンピュータ将棋には心はないはずなのに、そこに心を読み取りコミュニケーションしていく人間の能力はやはり興味深い。
コンピュータvs人間の戦いでありながら、電王戦の面白さも、プロ棋士だけでなく、コンピュータ将棋の開発者の背負ってきた物語の面白さにある。直接コンタクトするのではなく、将棋というゲーム、そして、コンピュータという人工知能、色々なものを介することではじめて人間について分かることがあるのだ。
清水は今回の敗戦で、これまで見落としてきた選択肢、経験から切り捨ててきた選択肢を拾い上げることで強くなれるかもしれないことに気がついたという。


強引にまとめるならば、対コンピュータでも、対人間でも、トコトン真剣に取り組むことがブレイクスルーにつながるのかもしれないと思った。

いつもの↓

*1:脳科学者の林成之によれば、能力を最大限に発揮するためには「対戦相手を好きになり、共通の目標を持ち、尊敬する」ことが必要だと言う。p167