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政府の「人間力戦略」が新型うつを生んだ?〜岸本裕紀子『感情労働シンドローム』

感情労働シンドローム (PHP新書)

感情労働シンドローム (PHP新書)

感情労働とは、仕事をするなかで、心の負担にポイントを置いた労働のことである。本来、営業職、客室乗務員など顧客相手の仕事を指していたが、今や職種を 超えた広がりを見せている。たとえば職場では、パワハラ成果主義、世代間の仕事観の相違などからくる感情労働的軋轢が深刻化し、怒り、落胆、戸惑い、不 信感、虚無感、孤立感、無力感といった感情がいたるところで渦巻いている。
若者と中高年における感情労働の特徴は何か?どのような背景が考えられるのか? 本書は、これら感情労働に関わる現象を読み解いたものである。

この本の面白いところは、通常の本であれば書かれるはずの「問題解決に向けて」の部分がバッサリないこと。その代わりに当事者インタビューのまとめ(現状分析)に多くのページを割かれる。

  • 第1章「感情労働をめぐる今日的状況」(全体まとめ)
  • 第2章「現代的な感情労働――仕事別考察」(インタビューのまとめ)
  • 第3章「職場と感情労働」(インタビューのまとめ)
  • 第4章「若者と感情労働」(インタビューのまとめ)
  • 第5章「ミドルエイジと感情労働」 (インタビューのまとめ)


そして、中立的な立場というよりは、1953年生まれの作者から見た感覚が強く反映されているように感じられるのも面白い。各章とも最終的には中立的に取りまとめているように見えて、途中段階では主観が出てしまっているので、むしろ共感(反感)を得やすく、読み手としては考えながら読むことができる。
例えば、3章で扱われる新型うつの問題も、新型うつに閉じこもる若者という視点が強いし、部下から受ける逆パワハラや、生徒にいじめられる教師など、50代程度の同世代が直面する問題が多く取り上げられる。
バランスを取るために、わざわざ第4章「若者と感情労働」という章が設けられているのかもしれないが、ここでの視点も興味深い。
就活の困難に目を向けるのではなく、就活が得意な学生についても書かれている。彼らにとって就活は「自分という人間が注目される場」であり、「やりたいことをアピールできる興奮する舞台」であり、「非日常のシチュエーション」であり、実際の「日常の業務」に上手く適応できず、ストレスを抱えやすい。(p145)
また、若者が「リア充」を好む理由について、友だちがいない自分に恐怖するからという理由以外に、リア充でないと、将来のことなどに目が行き、不安になってくるから、と書かれている。(p166)
さらに、「日常の業務」とは、大きくかけ離れ、強くやりがいを感じることができるように調整されているアルバイトの職場(p174)に生きがいを感じた若者には、上司は「やりたいようにやってみろ」と部下への信頼を表明しても「かまってもらえない」「やり方がわからない」と悩んでしまうことも多い、と分析している。(上司は、やることの優先順位を示し、目標設定を手伝い、その上で方法を選ばせることが必要)


最初と最後に述べられているように、こういった感情労働が増える時代背景には長期に渡る不況と、日本的な手法(終身雇用と年功序列)の崩壊がまずある。が、それらに対して、社会全体の仕組みを変更するよりもまず、解決策を個人(のスキル)に委ねようとしている部分に一番の問題がある。
こういった、個々人が自己啓発を行って、全人格を持って仕事に当たらなければならないような状況に陥った原因は、政府の働きかけによるところも大きい。2002年6月に閣議決定された「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002の中では「人間力戦略」が筆頭に掲げられ、2006年2月には、経済産業省が、社会が求める「学んだ知識を実践に活用するために必要な力」として、「社会人基礎力」を打ち出している、という背景がある。本来ならば、非正規社員の待遇改善など、政府が国民に向けてするべき部分がおざなりにされてきた。
人間力」での勝負を強いられる社会において、勝負に負けることで、過度に「人間失格」を感じる人が増えるのは間違いない。「新型うつ」などの問題は、思っていた以上に現代社会の問題が表に出たものなのだろう。競争原理と福祉の問題が、うまくバランスしていたのが過去の日本型社会なのだとすれば、どちらかに振れ過ぎることなく、新たにバランスするポイントを探している過渡期なのかもしれない。