Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

つられる日本人〜高橋秀実『素晴らしきラジオ体操』

予想以上に真面目な本で、ラジオ体操の誕生と変遷について、過去90年程度の(限られた範囲の)日本の歴史を辿る内容の本になっている。誰もが知っているはずなのに、誰も知らない、というジャストミートなテーマ設定だ。現在のラジオ体操が生まれた過程はこんな感じだ。*1

  • ラジオ体操は、簡易保険局が、米国の方法を真似て、保険思想普及(と死亡率低下)のために昭和3年に始めた。(第二章)
  • しかし、日本放送協会の放送で、保険の宣伝はできないということになり、新たな目的として「集団的精神の培養」を掲げた。(第三章)
  • その後、さまざまな人を経る中で「禊」など、精神的・宗教的な意味合いも濃くなった。(第四章)
  • 急速に広まったラジオ体操は、命令されてやるものではなく、自由で平等に行なうものとして多数の国民に受け入れられた。(第五章)
  • 戦時下において、ラジオ体操指導者たちがアレンジを加え、数多くのバリエーションが生まれた。(第六章)
  • 戦後、GHQの占領下におけるラジオ体操禁止を恐れ、変更を重ね(米国の大好きな)民主主義を盛り込みつつ新たな(現在の)ラジオ体操が生まれた(第七章)

しかし、この本が真に面白いのは、こういった歴史の部分ではなく、次から次へと現れる「ラジオ体操人」*2の信念であり、高橋秀実の文体である。

  • 「ラジオ体操祭ブラジル大会」に出場したときに新調したユニフォーム(胸にJAPANの字)を家から着て、中国、オーストラリア、ハワイなどに行く91歳・富岡さん(p11)
  • 「毎日やらないと、早死にしてしまいます」と、高速道路で6時30分を迎えたときにも緊急避難場所に車を停めてラジオ体操を始めてしまう67歳・武島さん(p22)
  • 自殺まで考えたのに、ラジオ体操をすることで「日増しに減退しつつあった食欲は油然と湧き上がってきた。食事の度に不快を感じていたのが、却って食事の時間が待ち遠しいようになった。嘗ては呼吸器病者の様に細かった顎が1吋増え、蒼白な顔が血色を帯びてきた。筋肉の直線美に思わず恍惚とすることがある。」とまで大袈裟に効用を語る昭和5年のラジオ体操人(p130)
  • 「あんた、富士山がなぜ美しいかわかるか?」と唐突に問いかけ、「富士山は裾野が広いからだよ。ラジオ体操も同じだ、国民全体がやって、初めて素晴らしいものになるんだ」と、何かうまいこと言った感じの遠山喜一郎さん(現在のラジオ体操の原案を作成)(p218)

ラジオ体操人のことを調べる中で、無の境地に辿りついてしまう高橋秀実さんの文体は冷めていて、でも大事な部分は抑えている。

ラジオ体操人に何を訊いても、大抵答えは「ラジオ体操ですから」ということになる。「ラジオ体操は面白いですか」との問いには「面白いとか楽しいとかじゃない」と怒り口調になり、「では、なぜ毎日やるんですか」と問い詰めると、「ラジオ体操は毎日だからだ」と答える。問いと答えが同じになるのがラジオ体操の妙で、これをある老人は「無の境地」と言う。(p12)


色々な人から言葉を引き出すのもやはり作者の才能なのだろう。ちょっと哲学的なやり取りもあった。

「惰性なんですよ」
惰性?
「そう、惰性でやってるんです。他にやることないでしょ。仕事がなかったら、ウチで何します?人間、のんびりなんてできるもんじゃありません。何かしなきゃいられんのです。じゃ、何します?」
・・・
「あたしらは惰性で生きているんですよ。惰性でなきゃ生きてゆけないものですよ。あなたも年とれば分かると思うけどね。」(p235)

毎日続けるのは確かに惰性かもしれないが、惰性で生きていると言われると…でもそんなものなのかもしれない。


ラジオ体操という、日本人的な文化について語るために、全体を通して「共振」という言葉が使われる。

「だから誰かと向き合ってやらないとラジオ体操にならないんです。」
向き合うことでラジオ体操になる。なるほど、ラジオ体操は共振現象なのである。ラジオの音楽、先生の声、そして目の前のラジオ体操人の動き。これらの生み出す波動に共振して、私たちはラジオ体操してしまう。音楽につられ、声につられ、お互いに向き合ってつられ合う。ラジオ体操でぽっかりするのは「私」と「あなた」が溶け合ってしまうからなのである。(p31)

あとがきでも書かれているように、つられてやっている、やるものだからやっている、というのが日本人の行動様式だというのは、確かにその通りであるように思う。ちょうど、NHK大河ドラマ「八重の桜」でも取り上げられている「ならぬことはならぬものです」という会津藩什の掟もそうだが、理由を詳しく説明せずに、「そのようになっているのだ」とだけ説明する。
そういう風習が良いかどうかは別として、日本人に染みこんだ感覚なのだなあ、とラジオ体操人たちとの禅問答のようなやりとりを読んで改めて思った。


大好きな島本和彦の漫画『逆境ナイン』に出てくる「やる気パルス」の考え方は、まさに共振そのものだ。(知らない人は、ロッキーを見て自分が鼓舞されるイメージを思い浮かべてください)

人間にはもともとひとりにひとつづつ”魂”がある!!こちらの魂をふきこむ必要はない
そう、やる気のパルスを共振させればよいのだ!!
やる気パルスの伝達にはさまざまな方法がある。
言葉で伝える方法、映画や映像で伝える方法、文章として伝達される場合もある!!

論理で動くのではなく、あくまで「つられる」ことの大きい日本人にこそ、「やる気パルス」は効くのかもしれない。
だから、日本語で書く以上、ブログに書く文章も、なるべく前向きに、論理的でなくてもいいから、ポジティブに行く方がいいんだろうな。

そういえば

ラジオ体操と言えば、YMOの「体操」を思い出します。PVでは、体操というより音頭っぽくなっているところもありますが、第六章で取り上げられる「様々なバリエーション」の中には、盆踊りに近いものもあります。

次に読む本は

やはり、同じ高橋秀実さんの著書で、昨年売れたこの本を読んでみたい。

「弱くても勝てます」―開成高校野球部のセオリー

「弱くても勝てます」―開成高校野球部のセオリー

*1:かんぽ生命に「ラジオ体操の歴史」というページがあり、年表もついており、そちらの方がむしろ分かりやすい。笑

*2:この本では、ラジオ体操にいそしむ人たちのことを敬意を込めて(?)「ラジオ体操人」と呼んでいる。