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マリオが好きだった人は必読!〜ジェフ・ライアン『ニンテンドー・イン・アメリカ』

ニンテンドー・イン・アメリカ: 世界を制した驚異の創造力

ニンテンドー・イン・アメリカ: 世界を制した驚異の創造力

19日に任天堂山内溥前社長が亡くなりました。

任天堂前社長で、同社を世界的なゲーム機メーカーに育てた山内溥(やまうち・ひろし)氏が19日、肺炎のため京都市内の病院で死去した。85歳だった。告別式は22日午後1時から京都市南区上鳥羽鉾立町11の1の同社本社。喪主は長男、克仁氏。
1927年、京都府生まれ。49年、家業のカルタ・トランプ会社、丸福(現・任天堂)の社長に就任した。早くからハイテク玩具の成長性に目を付け、83年に発売した家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が大ヒット。「スーパーマリオブラザーズ」などの人気ソフトも生み出し、任天堂を世界企業に育て上げた。
52年間の社長在任中、ゲーム機「ゲームボーイ」「NINTENDO64」、ゲームソフト「ポケットモンスター」シリーズなどを発売。92年には個人として米大リーグのシアトル・マリナーズに出資し、日本人として初めて大リーグ球団のオーナーに就任した。

それなしには自分の小学生時代を語ることのできないファミコン。その生みの親が亡くなってしまったと知り、恩師の訃報を聞いたような気分です。
折角の機会なので、追悼の思いも込めて、2011年に発売されたこの本を読み返してみました。

山内元社長と任天堂

この本は、任天堂のゲームの歴史を辿る内容で、スポットライトが当たる人物は、山内社長の他、山内社長の娘婿でNOAの初代社長である荒川實、「枯れた技術の水平思考」などの言葉で知られる横井軍平、マリオとゼルダを生みだした宮本茂、そして2002年から山内の後を継いだ、岩田聡社長です。
このうち、山内社長は、ビジネス上の判断に優れた人物だったとはいえ、21歳で社長になってから、インスタントライス、タクシー会社、ラブホテルまで、次々と新しいビジネスに挑戦しては失敗を続けたようです。
その後、カードと玩具店の販売網を利用した商品に集中するようになり、横井軍平と組み、1970年に120万個売ったというウルトラハンド(マジックハンド)や相性を測るラブテスターなどを経て、1980年にゲーム&ウォッチを売り出します。
山内社長が「ポパイ」をベースにしたゲームを作りたいとして製作が始まったのが、1981年にマリオが初登場したゲーム「ドンキーコング」。その流れが1983年のファミコン発売へと繋がります。
山内社長は、自身は一度もゲームをせずに、スタッフが数分ゲームをプレイしているところを見て成否を判断する人だったといいます。(p84)
この本の最も面白い部分は、ゲーム開発の部分で、そういう意味では、主役は宮本茂横井軍平ですが、ファミコンというコンセプトや全体構想、人員配置を司っていたのは、常に山内社長だったことが読み返してみてよく分かりました。

ゲームの歴史の中の任天堂

さて、1974年生まれの自分にとって、初めて知ったテレビゲームは「ブロック崩し」、初めて買ってもらった電子ゲーム機はゲーム&ウォッチ(シェフ)です。したがって、この本で語られるゲームの歴史は、自分のゲーム史を辿るもので、それだけでもワクワクするものでした。
特に、マリオが初登場する「ドンキーコング」(アーケードゲーム)から「スーパーマリオ」の大ブレイクまでの任天堂の快進撃の話は、企業の単純な成功譚としてスラスラ読めます。
しかし、任天堂が真にその力を発揮するのはその後です。悩みながらも「ゼルダの伝説」や「スーパーマリオブラザーズ3」などのスマッシュヒットを飛ばしつつも、携帯型ゲーム機ゲームボーイを発売したりなど、ハードの開発を忘れません。
そして、セガジェネシスメガドライブ*1からの使者ソニックの脅威を破るため、SNESスーパーファミコン)とスーパーマリオワールドが発売。
その後も、マリオカートドクターマリオなど、マリオのゲームをヒットさせながら、インタフェースに拘りが強い任天堂らしいマリオペイント(マウスと一緒に発売)など順調に売り上げを伸ばします。

ライバル会社との戦い

そんな任天堂が陰りを見せ始めるプレイステーション以降の話は特にエキサイティングです。
もともと、ソニーと共同開発して「任天堂プレイステーション」の名で売り出すはずだったハード。CD-ROMの脆弱性を嫌って開発から降りた任天堂を尻目に、ソニープレイステーションで快進撃を続けます。
この頃に売れたのは、3Dシューティングの「スターフォックス」や浮き出るような画面が魅力的だった「スーパードンキーコング*2だったことを思い出すと、時代はゲームに「3D」を「バーチャルリアリティ」を求めていたことがよく分かります。だからこそ生まれたバーチャルボーイゲームボーイの後継機とされながらも、あっという間に忘れ去られたそれは徒花とも言えますが、紛れもなく任天堂イノベーション精神の賜物でした。(ただ、焦り過ぎた)
その後のニンテンドー6464DDゲームキューブの時代は、自分の中ではゲーム機といえば完全にPS、そしてPS2(世界で一番売れたゲーム機。一億四千万台以上。)だったので、それぞれについてはほとんど知りません。むしろ、同時期に出て、すぐに撤退を余儀なくされたセガドリームキャストの方がインパクトが強く感じました。この暗黒時代は、ポケモンゲームボーイ)のヒットなどはあるものの、マイクロソフトXBox発売で、任天堂はじり貧状態に陥ります。しかもXBoxは、山内社長がファミコン初期から温めていたネットワーク構想を軽々と実現してしまいました。(p246)
ゲームボーイをカラーにしたゲームボーイアドバンスも出ましたが、これに対して第19章では、任天堂贔屓の作者が珍しく怒っています。

こんなゲーム(「マリオvsドンキーコング」)を出すべきではなかったのだ。イノベーション精神はどこへいったんだ?(p255)

そんな危機を救ったのが、岩田新社長のもとで開発されたニンテンドーDSというあたりも、ゲームの自分史と合致していて面白いです。実際、プレイステーション以降で、久しぶりに任天堂に戻ってきたのがニンテンドーDSだったからです。
その後、この本では、3DSの販売までが語られます。実際問題としては、キネクト以降のマイクロソフトXBox)の快進撃など、任天堂が盤石なわけではないのですが、その中で一貫している作者のニンテンドー愛、任天堂贔屓の姿勢が、本を読みやすくしています。

マイクロソフトソニーは、任天堂とは違う。両者の狙いは、世の人々の余暇を奪い尽くし、人々の生活をゲームと自社製品に捧げさせることだ。エレクトロニクス機器やソフトウェアを誰もがうらやむほど売ってきた企業としては、実に正しいビジネスモデルだ。
任天堂も一時はそれを望んだ。だが、もう望んではいない。任天堂は学んだのだ。自分たちの本当の商品はハードウェアでもソフトウェアでもない。売っているのは楽しみだ。シェイプアップやペットのしつけ、ガーデニング、音楽の演奏、ビリヤード、釣り…。任天堂のゴールはゲームを通じた楽しみをあなたの生活に反映させることだ。Wiiはそのシミュレーターなのである。P309

この感覚は、とてもよく分かるし、ゲーム文化を絶やさないために、これからも任天堂を応援したいと自分は思っています。

マリオの物語

本書のタイトルは「ニンテンドーイン・アメリカ」ですが、原題は、副題に「How Nintendo conquered America」とついているものの、タイトルは「SUPER MARIO」となっており、最初から最後まで、話の中心にいるのはスーパーマリオです。
よう太に聞けば、小学生に人気のあるゲームは今もマリオとポケモン。よう太にこの本を見せたら、マリオに関する部分のみを拾い読んで喜んでいました。

面白かったエピソードは

  • 横井軍平宮本茂製作の「ドンキーコング」で初登場のマリオは、当時、名前を与えられず「ジャンプマン」と呼ばれていた。宮本は、当初「ミスター・ビデオ」か「オッサン」にしようとしていた。p35
  • 最初の設定は、配管工ではなく、大工だった。p37
  • 倉庫のオーナーで、賃料を払えとうるさいマリオ・セガール氏が口髭を生やしていたことから連想して、「マリオ」という名が生まれた。p42
  • 1990年代に、マリオは時代遅れで、ソニックセガジェネシスで登場)がクールと感じる時代があった。作者に言わせると「ニンテンドーが子供好きの愉快なマリオおじさんだったとすると、ジェネシスは、こっそり煙草を吸っている反抗的な不良少年の従兄弟だった」というp141
  • 同様の意味で、ワリオの存在は大きかったという。ワリオアンチヒーローとして活躍し続ける限り、マリオは聖人のように振る舞い続けることができる、としている。なお、ワリオは「悪」から来ているだけでなく、英語では「war」を連想させるという。p181

また、26章のタイトル全てが「マリオの産声」「マリオの世界」「マリオの革命」など、マリオと結び付けられており、マリオがメインで登場するゲームのほとんどを網羅しているだけでなく、世に出てはならなかった任天堂非公認のダメなマリオゲームや、構想段階で終わったゲーム、ハリウッド映画の紹介なんかもあります。
任天堂贔屓と同様、マリオへの愛が満ち溢れた内容で、全く中立的ではないところが、とても楽しいです。


勿論、任天堂という会社をビジネス的な視点で見ることのできる部分もありますが、子どもの頃にマリオの登場するゲームに嵌まったことのある人には、是非オススメの一冊です。

*1:日本でメガドライブより人気のあったNECPCエンジン(米国名はTG-16)は米国ではあまり売れなかった。

*2:宮本茂が関わっていないが大ヒット。制作はレア社