- 作者: 羽海野チカ
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2013/09/27
- メディア: コミック
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大事な人って誰ですか?
家族の第9巻
今回、帯にこうあるように、9巻はどちらのパートも「家族」の話。いや、「悩める中高生」パートは、大体どの巻も家族の話だったことに改めて気づく。
『3月のライオン』は、それぞれのパートで、登場人物一人一人が、自分の頭で真面目に考える。
羽海野チカが考えるのではなく、50の先生は50歳の頭で、60歳のおじいさんは60歳の頭で考える。そこが面白いし、読んでいる側の心を打つ。
特に、5巻から始まり、いまだに引きずる「いじめ問題」。
新任の小見川先生は、いじめた側の高城が反省しようとしないことに苛立ち、ベテランの国分先生にこういう。
高城との話し合い…いつまで続けるんですか?
お言葉ですが、これ以上 彼女に何を語りかけても無駄ですよ
彼女は罪の意識そのものを「理解するまい」って決めちゃってるんですから
何でここまで手をかけてやらないといけないんです?
おかしいですよ
「迷惑をかけた人間」の方が
こんなに手厚くかまってもらえるなんて…
やられた佐倉ちほは転校までした上に
向こうでもまだ学校にも通えていないんですよ?
その通りで、いじめた当事者の高城は、いまだに自分の考えを改めない。作者として高城(いじめの中心人物の同級生女子)を改心させる描き方もできるはずなのに、羽海野チカはそうしない。改心しない高城に愛想を尽かす、小見川先生の言い分も、もっともな内容だ。
そんな高城に対して、国分先生は、彼女を理解しようと、そしていじめについて理解させようと、ベテランの先生なりの色々なアプローチを試みる。
今回、その熱意が実を結ぶかもしれない、という部分で、物語は一旦この問題からは離れることになる。
桐山が、いじめ問題に対するひなちゃんの姿勢から大事なことを学んだという独り言も登場するが、『3月のライオン』の中で、いじめ問題はもはや中心のテーマなのかもしれない。
何故、将棋といじめなのか。
いじめる側、いじめられる側だけでなく、見過ごす側であっても、後悔や後ろめたさが残る。その気持ちは僕自身にもやっぱりあるし、多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。そういう過去に向かう、過去に引きずられる気持ちを、やはり「過去」の勝負に引きずられるプロ棋士の悩みに重ねているのかもしれない。
そして、ひなちゃんが持つ「自分を信じて挑戦する気持ち」こそが、桐山を駆り立てた一方で、高城(いじめっ子)に欠けているものなのだろう。
お前が何にもがんばれないのは
自分の大きさを知ってガッカリするのがこわいからだ
だが高城
ガッカリしても大丈夫だ
「自分の大きさ」が解ったら
「何をしたらいいか」がやっと解る
自分の事が解ってくれば
「やりたい事」もだんだんぼんやり見えてくる
(国分先生の高城に対する言葉)