Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

未来を、いまを生きるために必要な力について〜日本SF作家クラブ編『未来力養成教室』

ロボットとヒトが同じように暮らす未来,文明が滅び去り荒廃した未来,なにかを守るために戦い続ける未来――.SFが描く未来はさまざまですが,緻密に構成されたその世界はとてもリアルで,私たちはぐいぐいとそのなかへ引き込まれてしまいます.なぜ,SF作家たちは,いまここにはない未来を,いきいきと描き出すことができるのでしょうか.そのカギは「想像力」にあります.
この本では,9人の人気SF作家が,想像力と未来についてみなさんに語りかけます.そもそも想像力っていいものなんだろうか.想像力はどんなときに役に立つのか.想像力を鍛えるにはどうしたらいいのか.想像すれば未来はやってくるのか.僕たちの未来は明るいんだろうか――.その答えを知りたい方は,ぜひ本書をお読み下さい.作家たちのメッセージは,ときにはユニークに,ときには真正面からあなたへ届けられます.きっと心をゆさぶる一篇に出会えるはず.「未来」や「想像力」なんてお題目は聞き飽きた,というあなたにこそ,ぜひ読んでもらいたい一冊です.


そもそもこの本に辿り着いたのは、『華竜の宮』が最高に面白かった上田早夕里の文章をもっと読んでみたかったからだったが、他のメンツを見てみると、なかなか錚々たる顔ぶれ。新城カズマは同年代だとすると、自分と同世代から上の世代が30代後半から60代まで揃い踏み。

  • 小さなお部屋   新井素子(1960生まれ)
  • SFを読むことが冒険だった頃  荒俣宏(1947)
  • 夢と悪夢の間(あわい)で  上田早夕里(1964)
  • 未来は来るのか作るのか 神坂一(1964)
  • 想像しなくては生きていけない  神林長平(1953)
  • IT'S FULL OF FUTURES....  新城カズマ(?)
  • 皆さんに受け渡す未来のバトンについて  長谷敏司(1974)
  • 想像力の使い途(みち)  三雲岳斗(1970)
  • 物語の彼方(かなた)へ――SFのことなど――  夢枕獏(1951)


岩波ジュニア文庫の良いところは、多分、書く側も、読み手のターゲットを絞り込めるところだと思う。大人ではなく、10代に向けて放つSF作家たちの言葉は、どれも親切丁寧で、これからの世界をいい方向に導いていきたいという真面目な気持ちに満ちている。
今回、最年長世代でいえば、新井素子荒俣宏夢枕獏が、自分たちの子ども時代を振り返りつつ、若者にアドバイスをしているのに対して、神林長平は、哲学的な問いかけから「生きることは想像すること」と結論づける。
それらの内容を「待ってました」とばかりの(下の世代の)新城カズマの文章が面白い。
トリッキーな構成で、自らが想像力と未来の意味について語ろうとし始めたそのときに、「未来からの伝言」が割り込んでくる体裁をとっている。

…オーケイ、そこのきみ。
ふりむいちゃだめだ。
そのままこのページの表面を見つめていてくれ。あとはこっちでシンクロさせる。よし、それでいい。
いま、この文章を目にしているのは、きみだけだ。
正確には、きみたちだけだ。
(略)
彼らまっとうな大人連中にとって、このページ表面にはふつうに、四半世紀くらい昔の想い出話が少々の屁理屈と薀蓄と説教とをまぶしながら、むこう十数ページにわたって続いているだけだ。
曰く、想像力は人間にとって大事なものです、僕こと新城カズマも子供のころからSFのおかげで想像力豊かな人間になりました、ですからみなさんも。云々。

という風に、新城カズマの(セピア色の)文章にうまく割り込んで別の情報を伝達する手法によって、未来からの伝言が届けられるのだ。ただ、こんなにひねくれたメタ構造で発信されるメッセージも「無数の未来の中で、実現する未来はたった一つ。その意味でチャンスは一度しかない。」と、かなり真摯な内容で胸を打つ。


新城カズマが揶揄するような、「想像力を育むために本を読もう」式の文章も多いが、それらも決して陳腐ではなく、まっすぐ相手の方を向いた気持ちが伝わってくる。
「いろんな物語に触れて、その良さをいろんな人と共有し、同じ未来をともに夢見るだけで、ほんの少しであっても未来を作る力になれる…」(p63)と語る神坂一。「想像力は、人間に牙を剥きやすいものだから、本を読んで勉強することで飼い慣らそう」(p113)と言う長谷敏司。2人とも、教え諭すというより、世代の差を超え協力して未来を創ろうという前向きな姿勢で頼もしい。
長谷敏司も想像力の危険な面に触れているが、上田早夕里も、想像力を「両刃の剣」と捉え、次のように語る。

想像力を働かせるとき、ひとつだけ、気をつけて欲しいことがあります。その想像によって得られるものは、果たして、本当の意味で人間や社会をしあわせにするのかどうか。特定の人間の利益のためだけに、他人のしあわせや権利を踏みにじる可能性を孕んでいないか。これを繰り返し繰り返し、常に問い続ける必要があります。
p47

そして最後に、想像力を失うことは人間が人間であることを捨てることだ、と結んでいる。悪夢を想像する必要性についても触れた文章は、非常に納得のいくものだし、彼女が十歳のときに出会った『日本沈没』からの影響の話も、『華竜の宮』を読んだ自分の感想とフィットする内容で印象に残った。


また、「想像力」について、もう少し現実的な部分から取り上げた三雲岳斗の文章は、自分に欠けていた部分を指摘されたようで痛い。宝くじが当たったら…というような非現実的な空想では無く、「正しく想像すること」こそが、望んだ未来を手に入れる上で不可欠なのだ。

僕は普段、想像をもとに小説を書くことを職業にしているわけだが、そんなふうに考えると、想像力によって創り出されているのは、むしろ自分の人生そのものではないか、という気がしてくる。人間は自分がイメージできる以上の存在にはなれないし、逆に正しくイメージできれば、どんな職業にでも就くことができるのだと思う。
(略)
「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創り出すことである」という有名な言葉があるけれど、僕は少し違うと思っている。「自らの望む未来を創り出すためには、その未来を正しく想像すること」がなによりも大切だと思うのだ。
p129-131


しかし、創作や辛い場面を乗り越えたいときには、実人生を舵取りするような「正しい想像力」だけでなく、もっと非現実的な「妄想力」「空想力」が必要なのも確かで、そこら辺は、序文で、東野司さんが上手く説明している。

イメージを生産する妄想力がエンジンであるとすれば、それを形にしていく想像力はナビゲーションシステムなのだろう。
(略)
そう、妄想力も想像力もすべての人に標準装備されている力なのだ。
そして、未来を考えるとき、いつでも起動する力だ。また、それは未来を見るときだけではない。日々の生活の中で道が見えなくなったとき、方向を見失ったときにも、起動が可能だ。困難な状況の中で進む力と道筋を示してくれるエンジンとナビゲーションシステムなのだ。


という風に、皆それぞれが、想像力をどう育み、どう使っていくのかについて書いている中、10代の頃に自分の大好きだった作家・夢枕獏がトリ*1を飾ってくれて、しかもそれが昔と全く変わらないトーンで驚いた。子ども時代からSFの楽しさまでひととおり述べた上での最後の文章(つまりこの本の最後)がこれだ。

ああ――
それでも、いつか、神と宇宙と生命と人間のことを、書いてみたいんですね。
『最終小説』という、タイトルだけは、もうずっと前から決まっているんですが――
いつか、これを書いてみたいと思っています。
p150

ぶれない。
自分がこれから書いてみたい展開や作品を妄想しつつ小出しにするあとがき(しかもそれが10年くらい棚上げにされる笑)は、『キマイラ』シリーズや『餓狼伝』シリーズの定番だったので、読んでいて声に出して笑ってしまった。
ただ、モンスター級のエンジン(妄想力)を持ちつつ、それらを何とか束ねて作品にしていくナビゲーションシステム(想像力)を兼ね備えた人だからこそ、これだけ長く愛される作家になっているのだろう。


ということで、9人のSF作家が「未来」と「想像力」について語る『未来力養成教室』は、どんな人にも届く部分がある、とても良い本だと思う。自分もこの本で知ることのできた作家は、実際にその作品に触れて行きたいし、久しぶりに夢枕獏も読んでみたい。

*1:序文以外はアイウエオ順になっているが、あとがき的位置に夢枕獏が来たのは絶対的に正しいと思う。