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こんな風に対話をしたいと思わせる本〜糸井重里・池谷裕二『海馬』

海馬 脳は疲れない (新潮文庫)

海馬 脳は疲れない (新潮文庫)

10年近く、読む本リストに入っていたこの本。10月に某所で行われた居酒屋ビブリオバトルで紹介されたのをきっかけに遂に、満を持して読むことになった。


脳と記憶の薀蓄本だとずっと思っていたが、読んでみれば実際は、糸井重里池谷裕二の個性がぶつかり合う熱血本だった。
対談形式の本は、ともすると、お互いが別方向のことを言いっ放しで、2冊別々の本にした方が分かりやすいのでは?という内容になってしまうことも多いが、この本は、かなりのレベルのまとまりを見せている。特に、糸井重里の癖玉を全て受け止めて笑顔で投げ返す脳科学者・池谷裕二さんの名キャッチャーぶりが見どころ。勿論、糸井重里の、この話題への投球の正確さや、おそらく、ほぼ日スタッフの「まとめ力」にもよるのだとは思う。
2002年のあとがきで、池谷さんは「この本は、私も含め、この地球上に生きるすべての人への応援歌」と自著を語っているが、脳の話題を通して、読者に向けて、「よく生きる」ための方法を伝えようとする熱い心を感じた。



本の内容は多岐に渡り、例えば、「あることのはじめと終わりには仕事がはかどる。したがって1時間の仕事は30分が2回あると思いこむと、よりはかどる」(p227:初頭効果と終末効果)などライフハック的な要素もあるにはあるが、メインテーマは、脳の「可塑性」について。これについては、池谷さんのあとがきが非常に上手くまとまっている。

脳をプロセスとして捉え直すと、随分と見通しがよくなる。経験、学習、成長、老化。人の本質とは「変化」である。この本でも重視してきた「可塑性」だ。脳がコンピュータと決定的に異なる点は、外界に反応しながら変容する自発性にある。だからこそ、プロセス重視の生き方がより人間らしい存在に直結すると、私は自信を持って言える。問われるものは、結果そのものではなく、そこに至る過程であると。(p310)

このように、脳の機能としてだけではなく、「人間性」にもつながってくるというという「可塑性」について、二人は、色々な事例を挙げながら、お互いの意見を聞きだして、さらに理解を深めようとする。
この対話の過程そのものが、外界からの刺激に反応して海馬を増やしていくという、脳の「可塑性」を最大限に生かしたコミュニケーションの好例になっているのが凄い。2人ともに、相手の言うことを受け止めた上で自分の話題に繋げるという謙虚な姿勢が、それを成り立たせている。

ある程度、専門分野のことができると思い込んでいる人たちとプロジェクトを組んでいて、「意外とたいしたことがないな」と感じる時があります。
「かつて、こんなことをやってきました」
といかにもプロだと言う割には、つまらない。そういうことは、けっこうあります。
(略)ほんとうにその分野に精通しているプロは、そういうことがないんです。むしろ素人の何気ない「不満足」を敏感に察知して、自分の側の問題点を積極的に改良しはじめたりする。ほんとのプロっていう人たちには、そういうところがあるから、仕事を進めていく上では圧倒的に助かる。(p173糸井)

ものを見る時の「余裕」…(略)つまり、新しい認識方法を受け入れるためのスペースが必要ですよね。いっぱいいっぱいになっていると可塑性は生まれませんから。(略)
頑固ということこそ、「頭の悪い人」の定義のひとつかもしれません。(p255池谷)

悩みを抱え込む人は、受験秀才型だったりするんだよな。正解のわかっていることをカッコの中に書き込むのはすごい得意なんだけど…行き詰まると必ず今まで蓄えてある知識に走っちゃうんです。考え続けて立ち止まってしまう。
(略)秀才って、「エレガント」とかが好きなんだよな。でも、ぼくの偏見かもしれないけど「エレガント」って言葉の好きな人は、そうも机の上だけの活躍になるんです。
泥くさいことを試しているヤツのほうが、解決する力を持っているような気がします。(p287糸井)

可塑性と安定化の天秤の両側を、うまく行き来できるということがいかに重要かというのがありますね。(略)
忙しすぎるというのもありますが、可塑性のみだと核がなくなってしまいますよね。どんどん変わって行き過ぎるということで、人格が崩壊してしまいますし。(略)
…誇りを生むためには、ちょっとでも完成したものを残しておくというか、そうしないと、自信って出てこないですよね。(p299池谷)


池谷さんは、もともと、日経新聞の読書欄のコラムで、自らの相貌失認症のことを語っていて気になっていた人だが、この本の中には相貌失認の話は全く出ていなかった。(似た話では、辛うじて九九が覚えられないという話題くらい。)
これだけ多くが語られた対談本で、この「大ネタ」が出ないというのは、池谷さんが、基本的にはキャッチャー役に徹したからなのかもしれない。
これほどまでに噛み合った対談本は珍しいと思うが、改めて対談本という形式の魅力を感じる一冊だった。