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左近介、そして青居とジュネ〜手塚治虫『火の鳥(9)異形編・生命編』

火の鳥 9・異形編、生命編

火の鳥 9・異形編、生命編

異形編と生命編は、まえがきで手塚治虫が言う通り「人間が他人の生命をないがしろにしたために、自分に報いがくるという、ごくシンプルなテーマの連作」。ここで手塚治虫は「罪と罰」を比較対象に挙げている。

ドストエフスキーの「罪と罰」に、主人公が金貸し老婆を世の中のダニとして社会正義の名のもとに殺害する下りがありますが、大詰めで、いかなる境遇の人間であろうと、生命の尊さはかわらないということを悟るのです。このテーマを過去と未来の二つのエピソードで趣きをかえて描いてみました。


この意図通り、シリーズの中では、短いだけでなく、話もシンプルでテーマが明確な2作。しかも、どちらも「火の鳥」が自然なかたちで登場する。同じくらいの長さの連作には「ヤマト編」「宇宙編」があるが、それよりも2作のテーマが似通っており、一体感がある。

異形編

舞台となっているのは応仁の乱の後ということで、室町時代の後期。火の鳥の中でも、「日本の歴史」を辿った“過去”側の作品と比較して、歴史上のメジャーな人物が少ないことと、非常に狭い空間を舞台にしていることから、いつもの悪ふざけ(清盛が電話で議論をしたり、ジャイアンツの話が出てきたり等)はほとんどなく、むしろ架空の世界を扱った“未来”側の話に近い。
舞台は琵琶湖の北にある見崎の蓬莱寺。登場人物は少なく、男性として育てられた主人公の女性・左近介とお付きの可平。そして、八百歳も生きながらえていると噂される八百比丘尼*1でほぼすべて。
なお、数シーンのみ登場する人物には、「お馴染みのキャラクター」もいる。左近介の父で悪逆非道の藩主・八儀家正は猿田博士、左近介の初恋の相手だったのはロックとなっている。
冒頭に書いた通り、「許される」ことがテーマになっているが、例えば、永遠に許されることのない「宇宙編」の猿田などとは異なり、左近介には、逃げ道があるのは救い。

未来永劫、あなたはくり返し殺され続けるのです
外の時間は30年のあいだを何度も何度もくり返します
そのたびに外から新しいあなたが来てあなたを殺し
入れかわることになるのですよ
(略)
今の仕事をずっとつづけなさい
しいたげられた不幸な人びとを無限に救いなさい
それこそ無限に!
あなたは残された20年のあいだ
無限におとずれるすべてのものの命を救ってやることです
それが出来ればあなたの罪も消えるでしょう


タイトルが「異形編」なのは、左近介が救った「しいたげられた不幸な人びと」の中に、妖怪変化が多数含まれており、これを記録したのが『百鬼夜行絵巻』だったというオチがついているから。ただ、このタイトルは話の内容とはマッチしていなくて、左近介の運命に関するネーミングの方が良かったと思う。無限編とか。
なお、恋人関係にある2人の話が出てこない(ロックは思い出の中の数コマのみ)のは、シリーズでは初めてかもしれないが、そのために、男として育てられた女性が主人公となっているのかもしれない。

生命編

生命編のテーマも、やはり「償い」。クローン人間をハンターに撃たせるテレビ番組の企画がメインにあるので、「自分そっくりのクローン人間が現れた場合、どのように区別するのか」というP.K.ディック的なSFテーマもあるように見えるが、「本物」は呆気なく殺されてしまい、最後まで生き残るのはクローンの方なので、本物か?クローンか?という問題はあまり気にしていないようだ。
なお、筋書きが似ている『バトルランナー』は、原作(スティーブン・キング)が1982年、映画公開が1987年ということで、生命編(1980年)よりも後発ということになる。


この巻の火の鳥は、「宇宙編」のように、人間の形をして登場する。正確に言えば、彼女は3000年前に、アンデスケチュア人火の鳥(精霊)が結ばれて生まれた娘。野菜や家畜、そして自分自身の複製をつくる技術を持っており、主人公・青居の薬指を切り取り、その細胞からクローンを何体も作ることになる。
その後、15年以上過ぎてから、山里に人目を避けて青居とともに暮らすジュネの元に火の鳥(人間タイプ)は再び現れる。ここで喋るメッセージは以下の通り。

  • 青居は取り返しのつかないことをしたため、報いを受けた。それによって死ぬまで苦しむことになる。
  • 青居を苦しませないようにするために、ジュネが火の鳥の仲介をしながら、青居に教育を施す必要がある。
  • 汚れた文明の知識、疑い深い人間の心を改めるべき。生き物としての素直な心を備えるべき。


これらのメッセージにもよく現れているが、「生命編」は、同様のテーマを題材にしている「異形編」とは異なり、“警告”的要素が強い。特に、テレビ番組の売らんかな主義に対する批判の気持ちが強く、悪ふざけのエスカレートが止まらなくなった場合を恐れているように見える。生命編が描かれたのは1980年と30年以上前だが、児童養護施設を舞台としていながら、その描写に問題があるということで非難を受けている『明日、ママがいない』の問題や、NHKスペシャルで実質的には虚偽の内容を放送してしまった佐村河内さんの問題など、最近でもテレビ関係のニュースが多い現代と感覚が変わらない。そう考えると、こういった「警告」や危機感がいくらあっても、テレビ番組は良くならないのかもしれない。
タイトルの「生命編」は、「異形編」と合わせて、かなりしっくりこない。火の鳥のシリーズ全体が「生命編」と名付けておかしくない内容の中で、この話の特徴が上手く表されているとは到底思えないからだ。自分なら「複製編」だろうか。


なお、異形編では、片腕を切られる描写はなかったが、生命編の主人公・青居は、ハンターに左腕を撃たれて、その後、片腕で物語後半を過ごすことになる。また、この話で登場する猿田博士は(「異形編」と比べると特に)善人だが、青居とともに火の鳥から受けた試練の中で強風に煽られ、壁に体をぶつけて死んでしまう。
猿田博士に会えるのも、あと一作品を残すだけと思うと残念。小粒だがスッキリ読める連作でした。

*1:日本各地に広まっている人魚伝説の主人公で、人魚の肉を食べたために不死になった美女。