Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

YAで描く子離れ、親離れ〜藤野千夜『ルート225』

もともとこの本は、児童書読書日記さんの特集記事「どっこいジュヴナイルSFは生きていた―21世紀ジュヴナイルSF必読ガイド30選」(前編)(中編)(後編)から選んだ数冊をよう太に読んでもらって、どれが面白そうかを計るという実験の中の一冊でした。ちなみにエントリーされた本は以下。(よう太は完読!!)

日常の夏休み (角川つばさ文庫)

日常の夏休み (角川つばさ文庫)

ぼくがぼくになるまで (エンタティーン倶楽部)

ぼくがぼくになるまで (エンタティーン倶楽部)

ルート225

ルート225

タイムチケット (福音館創作童話シリーズ)

タイムチケット (福音館創作童話シリーズ)

メニメニハート

メニメニハート

「希望」という名の船にのって

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世界がぼくらをまっている! (わくわくライブラリー)

世界がぼくらをまっている! (わくわくライブラリー)


この中では、唯一、一般の文庫本ということで、最もボリュームが多く、児童小説っぽさのない『ルート225』ですが、結構サラッと読み終えたよう太。感想は「面白い、というか、不思議な話だった。ちょっと悲しい話だったかも。いや、とにかく読んでみて」というもの。単に「面白い」というものではないところが気になり、実際に読んでみました。

公園に弟を迎えに行って帰ってきたら、家からママがいなくなっていた……。中2のエリ子と中1のダイゴが迷い込んだ、微妙にズレたパラレルワールド。学校もあるし、普段と変わらぬ日常が続いているようなのに、なぜか両親がいないのだ。おまけに、死んだはずの同級生が生きていたり、プロ野球選手がちょっぴり太っていたり。一体どうして? 必死で試みる母との交信から二人の軽やかで切ない冒険が始まる。 (Amazonあらすじ)

永江朗さんの解説(文庫巻末)を読むと、この本は、もともと森絵都『カラフル』などと同じ理論社の「YAシリーズ」の一冊として出版されたとのこと。藤野千夜さんという作家にとっては、『夏の約束』で第122回芥川賞受賞後の作品、初の書き下ろし長編、初のYA(ヤングアダルト)小説という点で、注目されていたようです。

閉じない物語

内容は、言われてみれば、『カラフル』に少し似た平行世界ものではあります。
ただ、読んでみると、よう太の感想の通り、「不思議な感じ」の小説です。
これに比べると、『カラフル』は、かなり「普通」の小説になるわけですが、『ルート225』が「普通ではない」一番の理由は、物語が閉じていないところにあります。
確かに、明確なオチのない小説というのはあります。児童小説では、かなり少ないと思いますが、ぼやかした終わらせ方をする小説もなくはないでしょう。それでも、物語は中盤以降、収束していくのが普通です。
つまり、小説の序盤で広げられた世界の欠片がどんどん主人公のもとに集まってくる。物語が進むにつれて、主人公たちの世界は厚みを増す、前に進む、ハードルを越える、階段を上る。だから話が盛り上がるというのが「お約束」です。
しかし、『ルート225』には、そういった「お約束」が欠けています。
むしろ、終盤で物語は発散方向に向かいます。エリ子、ダイゴの二人が平行世界について考えれば考えるほど、彼ら姉弟の目に映る世界はどんどん薄くなっていき、むしろ、自分たちが主人公では無い世界が重みを増していきます。

「よくわかんない。どういうこと?それ。物語とか主人公とか。これって現実じゃん、それともこれって現実じゃないって言いたいの?」
「ううん。現実だ、って言いたいの。現実だから、そんなふうにダイゴを中心にして世の中は動かないってこと」
p184

「ていうか、さっきから友だち、友だちって言ってくれてるけど、本当は私、ニセモノだよね。マッチョが知ってる田中エリ子のニセモノ。だから友だちじゃないよ。ホントは。」
p222

「だいたい、いなくなったらどこに行くんだろう、人って」
「死んだら、ってこと?」
「じゃなくて、いろいろ」
「死んでなきゃ、どこかにいるんじゃないの、ふつう」
「まあ、どっかにいるよね、そりゃ」
「なに言ってんの、お姉ちゃん」
「っていうか、どこにいても、絶対に誰かがいないような気がするんだけど、世の中って。最初からそういうふうにできてるんじゃないかな。仕組みとして。ダイゴはそんな気しない?」
p257

彼らが迷い込んだ平行世界には両親がいないほか、元の世界とは微妙な違いがあります。一方で、元いた世界では、彼ら(エリ子、ダイゴ)は行方不明となり、両親がその不在を悲しんでいます。話が進むにつれて、パッと見は違いが分からない平行世界が数多く存在することを2人は知ります。
それでも、最後に元いた世界に戻ることができれば「閉じた感じ」で世界は終わるはずです。
しかし、平行世界が平行世界のままで終わってしまう。そんなところがこの小説の大きな特徴です。

タイトルの意味

ところで、小説を読み終えて、よう太に話をしているとき、初めてルート225というタイトルが物語に登場しなかったことに気が付きました。物語の導入部が、家族で国道をドライブしているときの話で、また、平行世界に入り込んでしまった境界が国道だったので、何となく国道225号線のことかと思っていたのですが、後半でそれがピックアップされることもなく、何故このタイトルなのかの理由がよくわかりません。
ふと、目次をみると全9章の中で、第8章のタイトルが「ルート225」、第1章のタイトルが「ルート196」になっています。ここまでヒントが与えられても、自分はタイトルの謎が分からず、結局ググってしまいましたが、国道はおそらく意図的なミスディレクションで、実際にはルートは平方根を意味していたのです。つまり

  • ルート196=√196=14
  • ルート225=√225=15

ということで、これはエリ子の年齢を示し、一連の物語を通して14歳から15歳になるエリ子の成長を描いた物語だと読むのが正しいようです。
全編が、ほぼエリ子の一人称で書かれていることを考えても、この話は、エリ子とダイゴ、ではなく、エリ子一人の成長の物語なのでしょう。

何がエリ子にとって成長なのか

では、何故、エリ子の成長は、彼女自身の物語の中で、何かに打ち勝って大人に近づくという王道を進まず、物語が彼女の手から離れていくような描かれ方をするのでしょうか。
これはおそらく、少しずつ異なる世界が無数に偏在しているということを知ることこそが、エリ子にとっての成長であることを示しているのだと思います。
つまり、自分以外の他者の視点を得ていく、というところに主眼がある、と考えると、全体的にすっきりと読むことができます。
典型的なのは、ダイゴの同級生クマノイさんについての部分です。
過去に、クマノイさんを傷つけるような発言をしたことを、ずっと重荷に思っていたダイゴは、勇気を出して彼女に謝ります。しかし、平行世界のクマノイさんは、そのような発言は覚えておらず何も気にしていません。一方でクマノイさんの方は、エリ子に対して許せない気持ちを持ち続けており、エリ子は、平行世界のクマノイさんとの間にあったトラブルを知り、へこんでしまいます。
このエピソードは、平行世界だから成立する話だとも言えますが、現実世界でもクマノイさんとエリ子、クマノイさんとダイゴ、そして、ダイゴとエリ子それぞれの認識が完全に一致することはあり得ません。つまりは、SFでも何でもなく、個人個人の頭の中に、少しずつ異なる平行世界が存在するという状態が現実ということになります。
だからこそ、繰り返されるダイゴの「ダイオキシン8倍」のエピソードは、実際に何があってそんなことになったのかは物語の中では明かされないわけです。エリ子は、それを単純にイジメと解釈していますが、ダイゴは詳細を教えてくれません。ここでもダイゴとエリ子の頭の中では異なる「平行世界」が存在することになります。
と考えると、まわりの皆の捉える世界が決して一つではなく、クラスメイトのそれぞれが、そしてずっと一緒に暮らしてきた両親でさえも自分と異なる世界を感じ、生きていることを知る。そのことこそが14〜15歳という年頃の最も大きな成長ということが言えるのかもしれません。
エリ子(とダイゴ)は最後まで両親に会うことができないわけですが、これは逆に親から見れば、14〜15歳で可愛い娘、息子が自分の自我を確立して、精神的には親離れをするという、少し寂しいですが、頼もしい成長を表しているのだと、自分は思いました。


ということで、内容を考えながら読み返してみると、初読時には気が付かなかった作品の魅力に触れることができ、とても楽しむことができました。折角なので、藤野千夜さんは、是非、芥川賞受賞作にチャレンジしてみたいです。あと、『ルート225』の映画やコミックも気になります。

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