Yondaful Days!

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予想外の展開に血の気が引く〜小野不由美『風の海 迷宮の岸(下)』

下巻の見どころは上巻で出し惜しみしていた3つだ。

  1. いつ泰麒が、妖魔を「折伏(しゃくふく)」するか?
  2. いつ泰麒が、獣の形に「転変」するか?
  3. いつ泰麒が、この人が王だという「天啓」を受けるか?

つまり泰麒が自らが麒麟である証拠をどのように示すかという部分がポイントで、そういう意味で下巻のストーリーは予想しやすかった。だからこそ、最後の予想外の展開に驚きが大きかった。
下巻は、我こそは王にと蓬山に登ってきた人々と泰麒とのやり取りから始まる。その中で最初に目を引いたのは飛燕という天馬(翼の生えた犬)と、それを従える李斎という女性の将軍。天啓がない中で、親しみやすい彼女の天幕に何度か通う中、計都という趨虞(すうぐ:虎に似た妖獣)を従え、持つ氷の白髪と紅玉の目の将軍・驍宗(ぎょうそう)とも知り合いになる。
驍宗は「剣客といえば、一に延王、二に驍宗」と呼ばれるほどの逸材で軍兵の人望も篤く、泰麒は彼に圧倒的な覇気を感じながらも天啓はなかった。


昇山したものの誰にも天啓を感じず、また転変も使令をしたがえることもできないまま、泰麒は、李斎、驍宗とともに、趨虞を捕えに黄海に出る機会を得る。
そこで、伝説の妖魔・饕餮(とうてつ)*1に遭遇し、李斎が襲われる絶体絶命のピンチが訪れる。そこで、泰麒の麒麟としての力が初めて発揮され、長時間に渡る対峙のあとで、泰麒はその饕餮折伏し、傲濫(ごうらん)と名づける。待ちに待った泰麒活躍のシーンに、読んでいる側も胸のすくような思いだ。


さて、傲濫のことがあって、泰麒が麒麟であることが分かっても、最初に挙げた3つのうちの残りの2つ「転変」と「天啓」は、その兆候が見えないまま、昇山してきた者たちが下山する時期となるが、ついにその2つが果たされる場面を迎える。
李斎と驍宗が帰り、もう会うことは出来ないと知り、焦る泰麒は、皆が止める中、彼を追いかけ走る。必死の思いで逃げる中、無意識のうちに獣の形に転変し、そして追いついた驍宗に対して契約を結ぶ。
え…!


天啓のなかった驍宗に対して偽りの契約を!!!
まさか!
この「やっちまった!」感は衝撃的で、まさに顔面蒼白となるような予想外の展開!


結局、「麒麟は天啓を得て王を選ぶもの」と繰り返してきた下巻全体が、一種の叙述トリックと後に分かることになるのだが、この場面には血が引くような思いをした。

  • なんという裏切り。これまで慈愛を注いでくれたすべての人に対する、国と王と、民と、驍宗自身を欺く途方もない偽り。p126
  • 泰麒の罪は確定した。p133
  • 罪は犯した者を無限に苛む。しかし、もはや引き返す術を見つけられなかった。p140
  • どんな儀式が行われるのかは知らないが、天がこの罪を見逃すとは思えない。驍宗は王ではないと弾劾され、泰麒は王でないものと契約を結んだ罪を問われる。p141

これらの文が、地の文なのか、泰麒の心理描写なのか分からないような形で挟み込まれるので、脂汗が出るような辛い思いをしながら読んだが、ラストでは、景麒と、延王、そして延麒の協力で、驍宗が正当な王だ(王を選ぶ際に明確な天啓があるわけではない)と分かって一件落着となる。


ただ、『月の影〜』で書かれていたように、このあと新しい王、しかもこれ以上ないほど有能な王を得た戴国が繁栄するかというとそうはならないようで、やはり、不穏な空気の拭えない慶国と併せて気になる。しかし、次は、延国の話のようで、戴国からも慶国からも離れることになる。十二国記は、まるで病気の親戚が増えるように、色々な国に対して不安が募る物語だ。


なお、Amazonをチラチラ見てみると、新潮文庫版でエピソード0として出ている『魔性の子』を最初に読まなくてはならなかったみたいじゃないか!!ホワイトハート版を辿っていてちょっと失敗した。(と、このときは感じたのだった)


講談社ホワイトハート版でなく、最新の新潮文庫版はこちら。

風の海迷宮の岸―十二国記 (新潮文庫 お 37-54 十二国記)

風の海迷宮の岸―十二国記 (新潮文庫 お 37-54 十二国記)

*1:Wikipediaによれば「饕餮(とうてつ)とは、中国神話の怪物。体は牛か羊で、曲がった角、虎の牙、人の爪、人の顔などを持つ。饕餮の「饕」は財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意である。何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになった。一説によると、蚩尤の頭だとされる。