Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

残念!!!〜湊かなえ『白ゆき姫殺人事件』

今年になって沼田まほかる『九月が永遠に続けば』『アミダサマ』を読み、イヤミスというジャンルがあるのを知った。これほど面白い沼田まほかると「イヤミスの旗手」として並び称されるのは湊かなえだという。『告白』以外は読んだことが無かったが、ずっと映画の宣伝が気になっていたところに、奥さんが文庫本を買ってきたので読んでみた。
が…
最近読んだ小説ではガッカリ度No.1。読後は、心の中の波田陽区が所構わず斬りまくり、荒んだ状態になったが、少しギター侍には落ち着いてもらって、良かった部分から感想を書く。

タイトルがいい

湊かなえはデビュー作『告白』以降、『少女』『贖罪』など二字熟語タイトルでのヒットが続いた。その後も、一部を除き熟語タイトルが続いたので、自分の中では湊かなえ=熟語というブランドイメージがあったが、あえて「ゆき」をひらがなにしての、印象的なタイトル。内容とのリンクもバッチリ。
そしてこのタイトルが著者名とカバーに並ぶとデザイン的な良さが際立つ。「湊かなえ」という名前の漢字かなバランスもいいが、このタイトルしかも白赤 恐ろしげなフォントも含めてインパクトは大きい。
白雪姫は、ディズニー映画では確かに青い衣装も目を引くけれど、白に毒りんごの赤が映える話。血塗られているのは「白ゆき姫」(単行本では「白ゆき姫」、文庫版では「白ゆき姫殺人事件」までが赤字)というところまで含めて完璧ではないか。

表紙のイラストがいい

勿論、表紙デザインはタイトルだけではない。
イラストは、殺人事件の被害者らしき女性の顔をケータイのカメラで写す人たち。
作品中には登場しないシーンだが、過度な無関心と、(共有できるネタに対する)異常な関心とが交錯する現代ネット社会を想起させるデザインとして秀逸だと思う。
白ゆき姫の「死」を見るのはケータイを通して。誰も本気で悲しんだり心配したりしない。
イヤミスの名手として知られる(らしい)湊かなえが、この表紙の本を書くということは、ネットの嫌な部分を語ってくれるのではないか。期待感に胸は高まる。


なお、文庫版と単行本とでカバーデザインが異なる本も多いが、この本は当然(タイトルの位置等細かい部分を除いて)同じイラストを使用。
さらに、Amazonで知ったが、コミック版のカバーデザインが全くこのままなのには驚いた。
もうこの作品は、このカバーイラストなしでは考えられない。

白ゆき姫殺人事件

白ゆき姫殺人事件

白ゆき姫殺人事件 コミック版 (ホームコミックス)

白ゆき姫殺人事件 コミック版 (ホームコミックス)

映画コピーがいい

先走るニュース報道や、三文ゴシップのネタ的な高速消費といったネット社会の問題点。
映画『白ゆき姫殺人事件』のコピーは、まさにその部分に焦点が当たっているように見える。

女同士の「噂」が暴走する


私は私がわからない


容疑者「城野美姫」は魔女?天使か?
食い違う証言

そして

『告白』の湊かなえが、ネット炎上をテーマに描く傑作サスペンス

「ネット炎上」がテーマというのは、やはり表紙カバーから感じた自分の印象と重なる。匿名×不特定多数によるうねりが「ネット炎上」を産み、それが今のネットの面白さでもあり怖さでもあるからだ。
ちなみに、井上真央は、「白ゆき姫」(被害者)役なんだろうと思っていたら、目立たない顔立ちのはずの容疑者。いくらなんでも井上真央が「目立たない」なんてことないだろう、と思ったが、予告編を見る限りでは、まさに地味な容姿の役になり切っていて驚く。

それでは何が残念だったのか?

ここからが本題でネタバレあり。







Amazonを見ると「薄っぺらい」という評価が多いが、登場する人物たちが薄っぺらいのは、実際には作者の狙った部分ではないかと思う。
ちょっとした人間関係のもつれが殺人事件に繋がり、それがきっかけとなり、仲良さげに見えた人間関係の嘘が暴かれてしまう。
SNS(マンマロー)や、記者・赤星とのやり取りの中から見えてくる登場人物たちは、表層部分を取り繕って、自分を良く見せようと必死だ。作者は彼らを薄っぺらく見せようとしているのだろう。
だから、この作品が残念な理由は「そこ」ではない。
ということで、改めて考えてまとめた、この作品の残念な部分は以下の3点。

  1. テーマ(良過ぎる表紙イラストとのギャップ)
  2. オチ(芹沢ブラザーズとは何だったのか)
  3. 仕掛け(あり得ない事件報道、効果的でないSNS


1.テーマの部分
この作品で語られると想像していたテーマについて、大したアプローチがなく、肩すかしを食らったという部分は大きい。
表紙カバーの持つポテンシャルと比べると、作品自体の問いかけは相当に低いレベルで留まっている。
確かにSNSの画面が出てきたりしているが、それらしい構成にはなっているというだけ。
たとえば、表紙カバーで表しているようなネット社会、現代日本の怖さは、最近話題になっている宮尾節子さんの詩「明日戦争がはじまる」が上手く表しているし、こういう読後感を期待していた。(自分は、明日戦争がはじまるとは思わないが、すべてに対して感受性が失われていく感じが怖い)

まいにち
満員電車に乗って
人を人とも
思わなくなった


インターネットの
掲示板のカキコミで
心を心とも
思わなくなった


虐待死や
自殺のひんぱつに
命を命と
思わなくなった


じゅんび

ばっちりだ


戦争を戦争と
思わなくなるために
いよいよ
明日戦争がはじまる

この詩と比べると、そして、この表紙カバーと比べると、本編の内容は、ただの小説に過ぎない。とても残念な部分だったが、期待しすぎていたのかと思う。


2.オチの部分(芹沢ブラザーズとは何だったのか)
やはりオチは酷いと言わざるを得ない。
一番気になるのは、容疑者・城野美姫の異常行動が複数に渡る点。
まずは、芹沢ブラザーズのトラブルに巻き込まれてからショックを受けた彼女が情報をシャットダウンし過ぎ。さらに、一ヶ月雲隠れというのも意味が分からない。
少し考えてみると、結局、(本人が直接登場しないまま重要な役割を果たす)芹沢ブラザーズは、トリック構築のためのコマだったのだと思う。多分こんな感じだ…。
  容疑者不在のまま噂がどんどん広がる展開にしたい
 ⇒容疑者は事件と無関係のトラブルで茫然自失に陥らせれば説明がつくのでは?
 ⇒容疑者が夢中になるようなアイドルを作中に登場させ、それを傷つけてしまうことが、放心状態に繋がるというのは?
 ⇒芹沢ブラザーズ誕生!


そして、犯行当日の不可解な行動についても、【真犯人】が、【容疑者】にそそのかして犯行の途中までを実行させるという流れをできるだけ自然に見せたいというニーズから、芹沢ブラザーズを登場させているように感じる。
しかし、いくら芹沢ブラザーズが好きだと言っても、コンサートに行くために(週明けには顔を合わせる)会社の同期をアルコール+睡眠薬で眠らせて車の中に置きっぱなしにするということはあり得ないのではないか。この部分についても城野美姫の人間性をかなり疑う。
また、里沙子のマンションの駐車場に(三木典子=白ゆき姫を寝かせっ放しの)車を置いたなら、大阪に行くまでの特急電車の中で里沙子に電話するでしょ、と思う。このタイミングで電話が一本入るだけで里沙子の目論見は簡単に崩れたはずだ。*1
いや、城野美姫が情報をシャットダウンせず、捜査に協力していれば、あっという間に解決するレベルの事件で、芹沢ブラザーズのトラブルと城野美姫の異常な引きこもり体質が重ならなければ、事件発生から解決までに週刊誌の憶測記事が2本も出るほどの長期化はしない。


つまりは、芹沢ブラザーズという便利なキャラクターを駆使しても真相の説明がつかず、容疑者の異常行動によって辛うじて支えられている物語ということができる。また、このような杜撰な計画で事が上手く進むと考えた狩野里沙子もやはり普通ではない。


3.仕掛けの部分(あり得ない事件報道、効果的でないSNS
この本は、週刊誌記者のインタビューに事件関係者(同僚など)が答えるかたちで1章から5章までが構成されるが、それだけでなく巻末にSNSのタイムライン的なものと週刊誌の記事が収められる、特徴的な形式を取る。しかし、そのどれにもリアリティが感じられず、「仕掛け」が生きないつくりになっている。
まず、この週刊誌の記事の内容が、あまりに酷くて、それこそ個人ブログレベル。一連の事件の聴き手である赤星雄治による記事は、確かに憶測報道で、問題が多々あるが、これを見過ごしたとしても、赤星記者が抜けたあと、真犯人が判明してからの掌返しの記事は本当に酷くて、雑誌記者という職業への冒涜レベルだと思う。
また、事件報道がこの一誌のみ(しかもたった独りの記者の手による憶測記事)という状態を想定しないと、この物語は成立せず、その時点で非現実的。


そして「仕掛け」としての問題はSNS。この本で登場するのはマンマローという架空のSNSで、個人ブログのコメント欄に近いイメージのやり取りが行われている。ツイッターFacebookのようなタイムラインとは異なるため、いわゆる「炎上」は起きにくく、今のネット社会の問題点は出てこない。(連載が始まったのが、2011年というツイッターが流行り始めた時期なので仕方がないともいえる)
むしろ、2ちゃんねるのような匿名掲示板に近いが、いくらでも驚かせるための工夫がしやすい土壌があるにもかかわらず、年齢性別詐称などの仕掛け(実名登場人物とのリンク)もなく、かと言って、このページがあるから作品に深みが加わるという部分もなく、効果的に使われるとはとても言えない。
結局、SNS風の読みにくい文章が、雰囲気づくり程度にしか役立っていないというのは、この作品の大きな欠点だと思う。


ただ、ラストで真犯人の書いた偽装ブログのラスト「心の準備は整った。さあ、王子様に電話をかけよう。この白ゆき姫を救ってくれと。」が、そのまま冒頭の狩野里沙子→赤星雄治への電話に繋がっている部分は、読み返してみると、巧い構成になっていると言える部分かもしれない。
しかし、やっぱりラスト直前に分かる真相(城野美姫の異常行動に救われる狩野里沙子のボロボロな犯罪計画)がトホホ過ぎて、ここに辿り着くまでに読者のほとんどは意識を失っていて、仕掛けにも気付けないと思う。

まとめ

ということで、読後に少し考えてみたのだが、主人公格と犯人の二人の異常行動に支えられるミステリでは驚けない、ということに尽きる。真相を知らされて、それが意外な犯人だったとしても「それで?」という感想しか抱けない。


ただ、映画は気になる。
城野美姫の異常行動をどう描くかという問題は残るが、架空のSNS(マンマロー)をツイッターに置き換えて、炎上をテーマに据えるという視点は正しいし、赤星が前面に出てこない部分が原作の大きな欠点の1つだと思うがそれもクリアされているからだ。パッと見では、映画の方も辛い評価が多いようだが、キャスティングも面白いし、中村義洋監督の映画『ゴールデンスランバー』はとても思い入れのある作品。原作のダメさ加減を知っている自分のような人間こそが、見るべき映画のような気がする。
とはいえ時期が少しずれてしまったので、DVDになったら見てみようと思う。

*1:さらにいえば、土曜日朝9時開演のコンサートというのは、クラシックではよくあるのだろうか?一次会を終えてからの城野美姫を急がせるための時間設定にしか思えない。