Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

圧倒的!!〜冲方丁『天地明察』(上)(下)

天地明察

天地明察


何度も何度も予想を外される物語でした。


天地明察』は本屋大賞を取ったときにも気になったし、映画化されたこともあり、改暦の話であることは当然知っていた。
本を読み始めてみると、主人公の渋川春海は23歳で算術が趣味の碁打ち。事前知識と合わせて、何となく全体としては以下のようなストーリーで、10年程度の月日のドラマが描かれる物語だと予想していた。

  • 抜群の頭脳を持った若い主人公が、その資質から「改暦プロジェクト」を命じられる
  • 彼がその天才を発揮し、天体観測を元に新しい暦を作成する
  • これまでの暦との比較で科学的優位性を示し、見事、改暦を果たす
  • ヒロインとも結婚し、めでたしめでたし


しかし、この素朴な予想はことごとく外れるのだった。

なかなか改暦プロジェクトが始まらない

驚いたことに、改暦の話はなかなか出てこない。上巻の後半で、老中酒井忠清に北極出地を命じられるときに、少し質問され(p142)、さらに、北極出地の先であった月蝕で、建部、伊藤に、宣命暦の「ずれ」を指摘されるシーン(p233)でやっとこの時代における改暦の位置づけが説明されるが、渋川春海自身は、それが自らのライフワークになることに気が付かない。改暦がテーマの物語なのに、それを明確に意識して主人公が歩みを進めるのは下巻まで待つことになるのだ。
これは、23歳の渋川春海が色々な才能に溢れながらも「自分探し」の旅まっしぐらだったことと呼応している。春海の気持ちの揺らぎを示すよう、安井算哲、保井算哲、渋川春海と3つもの名前が出てくるが、自ら名乗った「春海」の名前の由来については伊勢物語の歌を引用して以下のように書かれている。

雁鳴きて 菊の花咲く 秋はあれど
 春の海べに すみよしの花
(略)雁が鳴き、菊の花が咲き誇る優雅な秋はあれども、自分だけの春の海辺に、「住み吉」たる浜が欲しい。それは単に居場所というだけではない。己にしかなせない行いがあって初めて成り立つ、人生の浜辺である。
父から受け継ぎ、義兄に援けてもらっている全ては、秋だった。豊穣たる秋である。全て生まれる前から決まっていた、安泰と、さらなる地位向上のための居場所であった。
そしてこの場合、「秋」は明らかに、もう一つの意味を示している。
「憚りながら、退屈な勝負には、いささか飽き申しました」
その本音こそ、「春海」の名の本性だった。
勝負と口にしたが、実のところ、碁を打つ己への飽きだった。
碁を持って出仕となった安井家を継ぐ、己への飽きだった。
自己への幻滅だった。碁以外に発揮を求める、強烈な自己獲得への意志だった。(上巻p85)

城で勤務する際の履歴書には「碁、神道朱子学、算術、測地、暦学」(上巻p139)と書かれていたというから、暦については、確かに春海の関心の中にあったが、23歳の時点では、そこに「自分だけの春の海辺」を見出していなかったのだった。

科学ではなく、政治が物語を支配する

今日が何月何日であるか。その決定権を持つということは、こういうことだ。
宗教、政治、文化、経済……全てにおいて君臨するということなのである。(下巻p85)

結局、春海が「改暦」の可能性に思い至るのは、会津藩藩主であり、将軍家の御落胤である保科正之に資金確保を目的として、それを命じられる場面(下巻p60)が初めてだった。
つまり「改暦」は、真理に挑む科学者のゴールとしてではなく、政治的な必要性から生まれたのだった。
しかし、何より「民の生活向上」を求めた保科正之の治世観に読者は魅了され、そこに悪い意味での「政治」を感じない。玉川上水の開削、都市地図の配付、明暦の大火後の天守閣の再建見送りなど、彼が提唱した施策は、どれも納得の策で、その中に「改暦の儀」が入っていることに、むしろ満足感を覚える。
また、その中で、取らざるを得なかった政策のひとつである山鹿素行の思想弾圧が、後半部の物語の盛り上がりに関連してくるのも面白い。
一方で、関孝和本因坊道策という二人のライバル(算術、碁)との勝負は、これと対照的に、政治と無関係の純粋なものとして描かれているのは、彼らをより輝かせて見せていると思う。

ヒロイン「えん」は別人と結婚してしまう

物語の始まりで、金王神社での出逢いのシーンから「えん」には「運命の人」フラグが立っている。そして、その出逢いは、春海が、まさに恋してやまない関孝和という天才を知ったこととセットでもあった。つまり、関孝和との対面、えんとの結婚という2つのイベントが物語のどのシーンで登場するのか、というのが、最初から物語を牽引する大きな力となっている。
しかし、関孝和は姿を見せない。そして、北極出地に出かけていた1年4か月の間に、えんは嫁に行ってしまった。
改めて考えると、上巻ラストの時点では、改暦についての動きがないだけでなく、物語の大きな二つの柱がどちらも暗礁に乗り上げている、という、とても変な展開となっているのだった。

暦対決でまさかの敗戦

思えば、この『天地明察』は挫折の物語なのだ。
下巻で始まった改暦への取り組みは、帝から「改暦の勅令」を出させるという朝廷工作から始まったが、すぐに拒否される。
そして出てきたのが、春海たちの推す授時暦を、800年続く宣明暦と、万人の目前で対決させるというアイデア。上巻でさんざん出てきた碁の真剣勝負の話が「布石」となった非常に納得の展開で、宣命暦によって予想された6度の日月の蝕を舞台とした3年に渡る六番勝負は、物語的に一番盛り上がる場面だ。しかも、勝負前に「えん」とのバツイチ同士の結婚を申し込んだという絶対に負けられない戦い。


ところが、最後の6つ目の予想で、授時暦が予想を外し、勝負に負けてしまう。6勝を持って改暦に臨むという計画はここで終わってしまうのだった。
落胆する38歳の春海に対して、ここでやっと関孝和との対面が、しかも強烈な形での対面シーンが用意されているのが素晴らしい。しかも算術の出題を通じて、春海に重大なヒント(授時暦自体の誤り)を与えるというのも、上巻での伏線(春海から関への出題)が生きて、美しすぎる展開だ。

臥薪嘗胆の思いでの再挑戦も…

帝からの改暦の勅を受けて、宣明暦の代わりとして、春海達の考案した大和暦だけでなく、授時暦、そして明が用いられた大統暦の3つが候補として挙がってきた。lこの3つの中から、霊元天皇による改暦の詔が発布される場で、新たな暦が発表されるシーンは物語のクライマックスだ。
この部分は、冒頭、上巻でプロローグ的に語られるシーン。物語も大詰めを迎え、下巻も後半に入った262頁。やっと長年の願いがかなう瞬間が来るのかと思いきや、ここで選ばれたのは大統暦という衝撃的な展開。ギリギリまで飽きさせない物語だ。

渋川春海が年をとる物語だった

実はここが一番グッと来た部分。挫折を繰り返して成功する、という状況だけではなく、これほどの才能をもってしても成功するのにはひどく長い時間がかかり、そして成功したのちも年齢を重ねていくという点。
46歳になった春海は、泰福を見ながら、若かった昔の自分を思い出す。

暦法の術理修得に全力を傾ける利発な若者の姿に、春海はかつての自分を見る思いだった。
と同時に、自分と同じ過ちを犯すことを予見した。泰福は大和暦が採用されることをまったく疑っていない。だがたとえ暦法が優れているからといって、それが通用するとは限らないのだ。(p259)


だからこそ、大統暦の採用(大和暦の敗北)は、46歳の春海にとっては完全に読み筋の一つに過ぎなかった。
そして、「科学的」な方法とはほど遠い、あの手この手を駆使した方法で、ついに四度目の改暦請願で春海は勝ったのだった。
単なる成長だけではなく、その後の老いと別れ、最期のシーンまで含めて、一人の人間が生き、死んでいく中での喜び、苦しみが上手く描かれた物語だった。これこそ、当初の予想を最も裏切り、最も感動した部分だった。
前半、ブラウン管を通して若いスポーツ選手の応援をしていたと思ったのに、後半になって彼が自分の年齢に迫り追い越していく中で、渋川春海が実在の人間の存在感を持って間近に迫ってくるように感じた。そして、それは、年齢を重ねていく自分にも大事なことを語りかけている、そんな気持ちになった。


というわけで、『天地明察』は、文句なしに面白い物語だった。
また、これまで苦手にしていた日本の歴史ものに、とても興味が出てきたというオマケもついた。
言葉の通じない海外でも、知人が一人いれば百人力なのと同じように、今回、徳川家綱、綱吉の時代に、知人が何人か出来たので、自信を持って開拓して行けるような気がしてきた。思えば、よしながふみ『大奥』の4〜6巻がちょうどこのあたりの話だし、調べると、みなもと太郎風雲児たち』で保科正之が出てくるのは3巻のようだ。また、冲方丁『光圀伝』は、完全に同時代の物語として読める。あとコミックス版も…と考えると、ここからいくらでも広げて行ける。
あと、聖地巡礼というのか分からないけど、金王八幡宮はやっぱり行ってみたい。
…という感じで、色々と楽しみが増えて嬉しい限りです。


大奥 第4巻 (ジェッツコミックス)

大奥 第4巻 (ジェッツコミックス)

大奥 第5巻 (ジェッツコミックス)

大奥 第5巻 (ジェッツコミックス)

大奥 第6巻 (ジェッツコミックス)

大奥 第6巻 (ジェッツコミックス)

光圀伝

光圀伝

参考(過去日記)

⇒『大奥』は、ちょうど読みたい6巻くらいまで持っていたけど、本棚を調べると、人気作なのでいつでもどこでも読めるだろうと売ってしまっていたようです!!『天地明察』で語られるのは、紱川家綱・綱吉よりも、保科正之水戸光圀で、どのくらいリンクする部分は少なかっただろうけど、ちょっとショック。

⇒この本を読んだときは、歴史的側面についてどの程度意識して読んだのか。玉川ブラザーズについてもこれまでよりも関心を持って読める自信がついてきました。

⇒この本は、『天地明察』ありきで書かれている部分も多かった。改めて読み直さないと…。