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9編の底なし沼が待っています〜沼田まほかる『痺れる』

痺れる (光文社文庫)

痺れる (光文社文庫)

十二年前、敬愛していた姑が失踪した。その日、何があったのか。老年を迎えつつある女性が、心の奥底にしまい続けてきた瞑い秘密を独白する「林檎曼荼羅」。別荘地で一人暮らす中年女性の家に、ある日迷い込んできた、息子のような歳の青年。彼女の心の中で次第に育ってゆく不穏な衝動を描く「ヤモリ」。いつまでも心に取り憑いて離れない、悪夢のような9編を収録。(Amazonあらすじ)


悪魔のような9編かどうかは分からないが、CDで言えば「捨て曲なし」、すべてをシングルカット可能な短編集。
それぞれが見事すぎて、すべてについて語ろうと思えば、長文かつ、その良さを捉えきれない文章になってしまうだろうので、感想を書かないでおこうとも思った。
しかし、(そして、グロテスクなシーンが多かったこともあるが)ほぼ同じ理由で感想を書かなかった『アミダサマ』は、話の終盤の展開を既に忘れかけてしまっていることもあり、少しでも痕跡を残しておこうとメモしておくことにした。


ただ、この本の場合は、巻末の池上冬樹氏の解説が非常にうまくまとまっているため、付け加えることが何もない、ともいえる。その中から9編すべてのポイント解説を終えた後のまとめの文章を引用する。

以上9編、いずれもみな秀作である。どれもみな読者の倫理観を根底から覆すにちがいない。それもじわじわと不気味に気持ちよく変えられていくからたまらない。見たくないのにのぞき、のぞきたいのに目を背け、目を背けつつも体全体で気配を感じ取り、ときに深い快感を体の奥で感じてしまう。一言でいうなら、とてつもなく官能的な体験を味わわせてくれる。それこそが沼田まほかるの小説を読む深い歓びであり、それはいままで長篇でのみ可能かと思っていたが、どうしてどうして短篇小説でも充分に可能であり、むしろここまで世界を凝縮した短篇があるとは思わなかった。これほど見事な短篇が揃った短篇集も珍しいと思う。


自分も、同様に、(これまでに読んだ2作品で)沼田まほかるの長編の才能は分かっていたが、それ故に、短編では、その良さを出しきれないのではないか、尺が短いのではないかと思っていた。例えば、明確なオチの無いオープンエンドで、不穏な印象のみを残す、やや不完全燃焼な短編ばかりになっているのだろうと決めつけていた。しかし、1/9の短さでもしっかりと物語を終わらせてくるし、長編で読むのと同様の、池上冬樹氏のいう「官能的な体験」が味わえる。
快と不快がミックスされた「官能的」な感触をもたらすものは、時に、虫や小動物(ヤモリ、沼毛虫、TAKO、クモキリソウ)であり、花や植物(クモキリソウ、エトワール)であり、見知らぬ人(レイピスト、ヤモリ、テンガロンハット、TAKO、クモキリソウ、エトワール)である。
人の死そのものは概念的で、文章では伝わりにくいが、それがビニール袋に入る大きさになったり、小動物の死骸になると、実際にその重さを「感じる」ことができる。期待と不安もぼんやりとしたものだが、「見知らぬ人」として姿を現すことで一気に具体的になって、独りよがりな考えを巡らせる主人公たちに共感して行くことができる。そういった工夫が沼田まほかるの巧さなのかもしれない。


そして、印象的なタイトル付けの才能は、この人のもう一つの強みだ。
どの短編も突飛なタイトルに見えて、実際の物語を読むと納得が行く。例えば「TAKO」はこのような話だ。(池上冬樹氏の巻末解説より引用)

「TAKO」は、離婚した一人の女性が映画館で痴漢にあう話である。というと何ともえげつない殺伐とした内容に思うかもしれないが、そうではない。小学四年のときに偶然浮世絵の春画を見てから、蛸が裸の女性をからめとる図柄が頭から離れなくなる。

物語のほとんどは「痴漢にあう話」なのだが、冒頭でで描かれた蛸の春画との出会いの印象が強く、蛸がタイトルになるのは納得だ。しかし、なぜ「TAKO」なのだろうか。
主人公は、毎週映画館の暗闇の中で隣に座ってくる正体不明の人物を、春画で見た蛸のイメージで捉えている。それは確かに「蛸」ではあるが、「蛸」や「タコ」は、匿名性の高い相手のことを指すのにふさわしくないと考えたのだろう。ビジュアルイメージが湧きやすい「蛸」や、可愛いイメージもしくは罵倒する言葉としてのイメージの強い「タコ」とすると、別の印象が混ざってしまう。だから「TAKO」なのだろう。他のタイトルも、パッと見ると突飛でも、よく考えていくと、これしかないタイトルばかりだ。
また、作風と作家名の「沼」のイメージが(自分の印象としては)完全に一致するのも、自分の強みがよくわかって付けたペンネームなのではないかと想像する。


おそらく、長編は、沼田まほかるの色が強過ぎて、嫌悪感を抱く人も多いことを考えると、コメディタッチの話もあるこの短篇集こそが、最初に読む沼田まほかるの本としてふさわしいのではないか。
小説が好きな全ての人にオススメします。