Yondaful Days!

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王としてのアルスラーンの魅力〜田中芳樹『征馬孤影―アルスラーン戦記〈5〉』

王都エクバターナ奪回へと西進するアルスラーンに、北方の強国トゥラーン軍急襲の報が入る。反転してペシャワール城に戻ったパルス軍は、智将ナルサスの指揮の下、敵の大軍を迎え撃つ。一方、虜囚の身から抜け出したパルス国王アンドラゴラスは、王妃タハミーネとともに、王都脱出を図っていた。父子は再び相まみえるのか?急展開に目が離せないシリーズ第五弾! (Amazonあらすじ)


タイトルは、アンドラゴラス王から南方遠征という事実上の追放の勅命を受けたアルスラーンが、たった一人でペシャワール城をあとにするシーンから。この南方遠征には「5万の兵を集めたら戻ってこい」という条件がついているが、1万枚CDを売らないと今後CDをリリースできなくなったmisonoのようで、もし本当に達成したらラッキーだが、基本的には厄介払いという位置づけだろうか。


しかし、ラストシーンは1人ではなく、7人の仲間が南に向かうことになる。
物語としては、キシュワードクバードらの万騎長(マルズバーン)を仲間に加え、10万の大軍を率いてトゥラーン軍も撃破し、もはや無敵状態という、やや面白みに欠ける状況を打破する、という意味があったのだろう。しかし、圧倒的に先の見通しが悪くなったアルスラーンを、ダリューンナルサスアルスラーンを選んでついていく理由が「主人公だから」では説明にならない。
そこで、この巻では、トゥラーン軍のジムサ将軍というキャラクターを通じて、アルスラーンの人間的魅力を改めて探るようなエピソードが散りばめられている。

「あのアルスラーンという王子は、どう見ても、お人よしの惰弱者というだけではないか。武勇はダリューン卿やキシュワード卿の足もとにもおよばず、智略はナルサス卿に頼りきり。あの少年に何の取柄があるというのだ」
(略)
ナルサスは、相手の疑問に対して、直接的には答えなかった。
アルスラーン殿下の肩に鷹がとまっているのを見たろう」
「見た。それがどうした」
「空を飛ぶ鳥も、永遠に飛びつづけることはできぬ。かならず巣にもどらねばならぬと思うが、どうだ」
王太子は、有能な臣下にとって、よき止り木だというのか」
p190

「大きな船が自由に動きまわるには、広い海が必要だ。アルスラーン殿下は、まだ湖だが、海になれる可能性が多い。充分に期待する価値がある」
海と船のたとえ話を、トゥラーンジムサ将軍には、ナルサスはしなかった。海を見たことのないジムサには通じないたとえであったから。
p240

とはいえ、中学生程度の年齢の王子に国を代表するような智将、猛将がついていくのだから、もう少し具体的なエピソードが必要なのではないか、と思わないでもない。そこら辺はアニメや荒川弘版は苦労しているのではないだろうか。


さて、そのアルスラーンについて、以下のようにヒルメスに言い放ったのが、ギーヴである。

「そうはいくか。宝剣ルクナバードを地上の者が手に入れるとしたら、それはアルスラーン殿下だ。あの方こそ、宝剣の所有者としてふさわしい」
自信満々でギーヴは言い放ったが、以前からそのような信念をいだいていたわけではなく、現在の状況がそういわせたのである。
p75


ギーヴはこの巻は絶好調。トゥラーン軍からおそわれたアルスラーンの生命を救って再登場しつつ『正義と平和の使徒』『美女には愛を醜男には死を』などと、敵に向けてキャッチフレーズ付きの自己紹介をするところはギーヴらしい。
今回も天野喜孝版で読んでいるが、その表紙がギーヴ。ところが、光文社文庫版も、この「征馬孤影」では、ギーヴが表紙と言うだけでなく、アングルもほぼ同じ。山田章博が、天野喜孝に対決を挑んだ形になるが、これは、山田章博の勝利ということで良いと思う。天野喜孝版は、少し軽く書き過ぎで、もうちょっと色男に描いてほしかった。ただ、山田章博版では、あまりに「楽師」過ぎて、戦士としての側面が薄まっているので、その意味では丹野忍版が一番かも。

征馬孤影・風塵乱舞 ―アルスラーン戦記(5)(6)  カッパ・ノベルス

征馬孤影・風塵乱舞 ―アルスラーン戦記(5)(6) カッパ・ノベルス


さて、その他の展開としてはこんな感じで、盛り沢山の巻でした。