Yondaful Days!

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ヒルメスの三日天下〜田中芳樹『王都奪還―アルスラーン戦記〈7〉』

第一部完となる7巻。今回はあらすじを追うのみ。
この巻の一番の見どころは、3つのパルス、すなわち東側のアンドラゴラス、西側のヒルメス、南側のアルスラーンの誰がルシタニアを退けて「王都奪還」を達成するのか、となる。
まず最初に、この巻の表紙(角川・天野喜孝版)にも登場するキシュワードが指揮するアンドラゴラス軍が、ルシタニアと対決。ただし、このときの計略はナルサスが考案したものであった。
その後、アルスラーン軍も合流し、ルシタニアは大敗。そこへ、ヒルメス軍が、秘密の地下道を用いて内側から開門。結局、最初に到着したのはヒルメスだった。
ギスカールは、敢えてエクバターナを明け渡し、パルス内部の対立を煽る作戦だったが、エクバターナを出たところで、アルスラーン軍に遭遇し、壊滅的被害を受け、自身は、パルスの政略的な目的(マルヤムのボダンの打倒)のために、解放される。これにて、完全なる王都奪還が果たされたことになる。


一方、地下水道におけるキシュワード対サームの対決を経て、アンドラゴラスヒルメスが対面し、ヒルメスの出生の秘密が、そして、同じタイミングで、アルスラーンと母タハーミーネとが対面し、アルスラーン出生の秘密が、それぞれ明らかにされる。(タハーミーネは予想外に人間味のある女性でした)
自身がパルス王室の血を引いていないことが分かったアルスラーンが、すぐに宝剣ルクナバードを求め魔の山デマヴァントに向かう部分は頼もしい。ルクナバートから選ばれたアルスラーンと7+1人の対話は名シーン。改めて見ると、ここにエステルが入っているのは少し妙だ。が、少しあとの巻を見ていると、エステルも、また他とは違ったかたちで物語の渦に巻き込まれていくのだろうか。

「私は王家の血をひいていない。血統からいえば、国王となる権利の一片もない。だけど、地上に完全な正義を布くことはできないとしても、すこしでもましな政事(まつりごと)をおこなえればと思っている。力を貸してもらえるか?」
「生命に代えましても」とダリューン
「非才なる身の全力をあげて」とナルサス
「おれでよければおれなりに」とギーヴ
「ミスラ神の御名のもとに」とファランギース
「おともさせていただきます」とエラム
ナルサスたちといっしょに」とアルフリード
「こ、心から!」とジャスワント
エステルは黙っていた。彼女はアルスラーンの臣下ではなかったからだ。エステルはただ黙って、王子の姿に視線をそそいでいた。
p224


そのエステルだが、エクバターナに入ってからは厳しい現実を目にすることになる。解放されたパルス人たちによってルシタニア人たちがどのような仕打ちを受けるのか、想像するまでもないのだが、その惨状を、これまでずっとルシタニアの傷病者の看護をしてきた立場のエステルが見てしまう。

「個人の善意や勇気では、どうすることもできぬことが人の世にはある。だからこそ、権力が正しく使われることが必要なのだ」
パルスの軍師がいった言葉を、エステルは想いだしていた。ここまで守ってきた傷病者たちがころされたことで、エステルのやってきたことは、むだになってしまったのだろうか。そうではない、と、エステルは想いたかった。生き残った者が、この不幸をくりかえさないよう努めるかぎり、流された血は人々の尊い教訓となるだろう。そう思いたかった。
p235

田中芳樹作品では戦は戦として「活劇」的にエンターテインメント重視で描かれるが、合間合間にこういった現実直視の描写が入る。説教くさくならず、戦争の現実の一端を覗かせるバランスは見事だと思う。


最後は、ヒルメス戴冠式の場に、アルスラーンがルクナバードを携えて登場し、それをさらに奪おうと現れたアンドラゴラスにルシタニア王イノケンティウスが絡んで二人の王が塔から墜落死するという急展開。
物語上非常に都合の良いラストだが、アンドラゴラスが生き残っていたら気持ち良く物語が進まないので、これはこれで英断だと思う。むしろ、ヒルメスが生き甲斐を失ったように、イリーナ姫を連れてエクバターナを後にするという方が気になる。第一部では後半になるにしたがって、常に「かませ犬」として登場していた感があるだけに、ヒルメスはもう少し明るい道を進んでほしい。