Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

伊藤潤二の方程式(5)「身近な恐怖〜人体」

巻末解説は、今をときめく直木賞作家で本屋大賞受賞者の三浦しをん
「私の好物は、お好み焼きやもんじゃ焼きなど、鉄板系小麦粉料理である。」から始まる文章の中で、伊藤潤二作品についてこう語る。

すぐれた恐怖漫画には、「絵のうまさ」「着想の奇抜さ」「そこはかとないユーモア」が備わっていると私は思う。その3つをいかんなく発揮して生み出された伊藤潤二の作品は、読者に生理的な恐怖感を味わわせる。乾いていると思って何気なく触ったら、じんわりと粘っこい水分が染みだして、こちらの肌にじっくりとまとわりつくような怖さ。梅雨時の洗濯物みたいに、感触がいつまでも手に残る怖さがある。

その後、この巻に収録されている「肉色の怪」を読んで、お好み焼きを食べている最中に気分が悪くなり、貧血を起こしてしまった話が書かれているのだが、この「生理的な恐怖感」というのは、とてもよく分かる。*1


そして、伊藤潤二作品においては、自分の体の器官・組織を、詳細に眺めるところから、このような「生理的な恐怖感」が導き出されている話が多いように思う。
典型的なのが、「肉色の怪」。この作品では最初に幼稚園に通う不気味な風貌の少年・チカラ君に焦点が当たる。伊藤潤二の漫画では双一やファッションモデルなど、不気味なキャラクターを中心に据えて物語を展開させるものがいくつかあるため、(風貌にインパクトのある)チカラ君も、その線を狙ったのかと勘違いしてしまう。しかし、本当に怖いのはチカラ君を育てる家族の方にあった。チカラの母親の、自らの身体のある箇所(状態)に向けられた過剰なこだわり(フェチズム)は、三浦しをんの書くように「想像を絶する」ものだった。
そのほか、収録されている話では「血玉樹」は、ハンサムな“嗜血症者”の男の台詞が印象に残る。

…しかし果たして彼女は血に逃げられたのでしょうか……
私はそうは思わない
彼女の血もまた彼女自身なのです……
彼女は血の果実となって永遠に生き続けるのではないでしょうか


これらの話に共通するのはは、人間の体の限定的な器官のみに「生命」や「美意識」が行き過ぎると、おぞましい姿となって現れるということ。
例えば、大傑作「うめく排水管」は、ラストシーンも大好きだが、バスルームでシャワーを使ったときの姉妹の会話が衝撃的だ。

妹「あいつはその穴のすぐ下にいるのよ!!
姉「ばかばかしい!! 水だってちゃんと退いてるじゃない」
妹「飲んだのよ!!」
姉「え!?」
妹「あいつ…お姉ちゃんや私の使った水を飲んだのよ
  排水は男の胃袋を通って外に出てたのよ」

誰かが潜んでいるという恐怖だけでなく、消化器官=管としての人体も思い起こさせられ、その発想に二度驚く。
その他の作品でも「屋根裏の長い髪」(髪)「うずまき」(耳)「なめくじ少女」(舌)など、人体の一部をクローズアップした話は目白押しで、本当の恐怖は案外身近にある。


なお、恐怖博物館シリーズは、現在、伊藤潤二傑作集と名前とサイズを変えて出版されているようです。『恐怖博物館(7)うめく排水管』と同内容のものはこちら↓

*1:一方で、「絵のうまさ」は、すぐれた恐怖漫画に必要な条件とは思わない。自分が怖いと思いながらどうしても惹きつけられる御茶漬海苔の作品は、決して絵がうまくはない。絵については「うまさ」よりも、「アンバランス」「過剰さ」「欠如」というあたりが必要なのではないかと思う。