Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

科学とアートと生きる力〜毛利衛『日本人のための科学論』


年2回くらいの頻度で訪れる日本科学未来館
最近では、期間を延長して5/10まで開催していた「チームラボ 踊る!アート展と、学ぶ!未来の遊園地」が、子どもにも大人にも楽しく、それだけではなく、科学技術とアートの両方について関心が持てる内容で科学未来館にピッタリの内容だった。
中でも、象形文字をタッチするとそこから動物や火や水が現れる「Story of the Time when Gods were Everywhere / まだ かみさまが いたるところにいたころの ものがたり」、そして7画面を立体的に配置して観る人を映像に没入させる「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点 - Light in Dark」がものすごかった。


後者は、大河ドラマ「花燃ゆ」のオープニングにも使われているが、あの映像体験は他ではかなり得難いもので、何とか常設展示にしてほしいと請願書を書きたいくらいで、ここ数年で最も感動した。(上に貼った動画は、V字型に並べられた7枚のパネルに奥行きを持って映し出された映像。左側に映る人影は鑑賞者の人影で、前面だけでなく側面も映像で満たされている感覚になる)


さて、そんな未来館の館長である毛利衛の新書は、前半部で科学論、後半部で未来館の理念について書かれた内容。*1
全体として、科学的なものの見方として、従来の(西洋科学的な)要素還元方式の発想に限界が見えはじめ、部分ではなく全体を見るアジア的なものの見方や考え方に注目が集まっていることなどを掲げながら、これからの科学者は「科学の発展のため」だけを考えていてはいけない、ということを語る。物質的に限界が見えている「孤立系」としての地球の諸問題を解決するためには「政治、経済、スポーツや芸術の分野も含めた力を総合智として総動員」(p86)する必要がある、という指摘は納得のできる考え方だし、未来館がそれを表現しようとしているのは非常によく分かる。


その他の部分でも、このような言い方をしているところがある。

さらに言えば、いままでまったく触れてこなかった世界に出会った時、人は「生きる意欲」を得るのではないでしょうか。
たとえば未来館で行なっている超伝導の実演を見て、液体窒素で冷やすといままで床にくっついていたものが急にヒュンと浮く現象を知ったとします。いままで世界の狭い人生の中では考えられなかったことが現実に起きることが実感される、その瞬間、なぜか生きていくための元気のようなものが芽生えてくる。p96

本の中で、繰り返し書かれる、このような考え方は、毛利さん自身の「宇宙から地球を見る体験」、そこから得た「非科学的な感動」(p75)に由来するのだろうが、本人も「非科学的」と書いているように、科学というよりは芸術と相性がいい。
ちょうど読んでいた五味太郎『絵本を読んでみる』でも、絵本「よわむしハリー」の解説として似た内容が語られる。

この本のほんとうのすごさは、明快な理由もないままに、ある瞬間、人間が変わってしまうということを、ひじょうに明るく、みごとに描ききっているということだと思う。
この絵本は、人間というのは、明快な論理や定石で動いているものではないということが実によく描かれている。(略)
ここは教育論やら人生論やらしつけ論やら生活論やらを、ポーンと超えてしまった感じの愉快さがある。どうしてか、なんてもうどうでもいいじゃない、という感じ。(p55)


「生きる力」というのは、実は、明快な論理から大きく外れた場所から生まれてくるのかもしれない。未来館というのは、そういう自由さ、因果関係に束縛されない生命力に溢れていて、それは毛利衛さんの「宇宙から見た地球」という一つの体験から生まれた熱意によって成立している。
この本を読んで、そのことがよく分かった。

このような未来館の活動は、未来館ではたらく科学コミュニケーターの方々の活動によって支えられている。
未来館の行動指針も非常に明解で、スタッフが単なる解説員を越えたところで働いていることがよく分かる。

1. 見てもらうのは物より人です。
2. 発見してもらうのは出会いです。
3. 分かち合いたいのは心からの共鳴です。
4. そのために市民と一緒に運動体を作ります。
5. 開かれた研究の拠点となり、研究者を支援します。
6. ボランティアの力を結集させ、人と一緒に成長します。
7. 狭義の科学技術というカテゴリーに留まりません。芸術もスポーツも政治も経済も私たちの運動体を形成します。
8. そのために柔軟で開かれた「場」を作ります。
9. コミュニケーションとネットワークづくりも私たちの仕事です。
10. 来てもらう場がありますが、出かけていく場も求めます。

特に、未来館に訪れた高校生たちの「学習プログラム」として、ビブリオバトルに似た取り組み*2が行われていることを知って興味を持った。理科学習では「学習」と比べて忘れられがちな「コミュニケーション」を重視しているのも未来館ならではなのだろう。


コミュニケーションについては、第二章の対談で登場する鈴木晶子さんが、科学とアート、論理と感性をつなぐものとして、コミュニケーション能力や判断力の重要性を説く。

「タクト」という言葉があります。もともと触覚を意味する言葉ですが、十八世紀ごろから、人とのコミュニケーションにおいて、その相手の表情や言葉の端々からその内容を見抜く能力、あるいはまた、医師が一瞬にして患者の容態を見抜く、あるいは状況において最も適切な判断や決断を下す能力といった意味で使われるようになりました。
状況の核心を一瞬にして掴み、臨機応変の反応をする未来志向型の判断力のようなものです。医師や教師といった専門家においては、このタクトは、学んだ論理を自分の思考方法にまで九州昇華するとともに、その論理の支えを受けて、実践の中で素早く適切な判断をするといいます。理論と実践、理論と経験の間をつなぐ能力だというわけです。
このタクトは、実は、美しさを感じる能力でもありました。理論と実践、論理と経験、理性と感性をつなぐものが、タクトだというわけです。ですから、論理と感性をつなぐこと、アートと科学をつなぐこと、そのつなぎ目には、このコミュニケーション能力ともいわれるタクトがあると考えることもできます。
p202

自分が未来館を好きなのは、直感に働きかける展示が多く、子どもも自分も楽しく時間を過ごすことができるからというのが第一で、これまでそれほど、未来館スタッフ(科学コミュニケーター)の人に積極的に話をしなかった部分がある。
しかし、人とのコミュニケーションこそが、最も「明快な論理から大きく外れた」要素を含むのであって、もっと未来館を楽しむためには、もっと彼らに質問して話をした方がいいのだろう。今年の夏の特別展はポケモンということで、自分(や子ども)の興味からはやや遠いが、次に行くのが楽しみだ。

参考(過去日記)

羽生善治『決断力』の感想の中で、理性と感情のつなげ方、思考を省略して決断につなげるヒューリスティクスについてまとめている。自分ながらうまくまとまっているとは思うが、格好つけたタイトル(笑)

*1:ここでは特に書かなかったが、この本の発売は2010年10月で震災の直前。科学論の部分では原子力どころか高速増殖炉もんじゅを推進するところがあり、時代を感じさせる。また、「リストラ、倒産も悪くない」(p70)という浮世離れ過ぎる考えが示されている部分には驚いた。

*2:四人一組でそれぞれが異なる展示フロアで調査をして、最後に集まって順番に発表するというもの。