Yondaful Days!

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オリジナル・ラブ『ラヴァーマン』の楽曲構成を考える(1)〜「四季と歌」以降3曲について

田島本人の予告通り、これまでよりフレッシュなメンバーで既に始まったツアーも盛況なオリジナル・ラブの6月発売のアルバム「ラヴァーマン」。
何度聴いても楽しめる素晴らしいアルバムですが、当初、どうしても楽曲構成(曲順)に違和感を覚える部分があって、いろいろと考えたので、これから3回に分けて、それを掘り下げたいと思います。
1回目の今回は、アルバムのクライマックスであるラスト3曲の素晴らしさについてまず語ります。曲順の話は次回以降になりますが、しばしお待ちを。

四季と歌

今回のアルバムで表題曲「ラヴァーマン」以外に一曲を選ぶとすれば、絶対に外せない曲が「四季と歌」です。
ナタリーの記事でもインタビュアー(臼杵成晃さん)に”「ラヴァーマン」とはまた違った方向で大衆性の高い曲”と括られていますが、この曲もオリジナル・ラブが目指す普遍的なポップスの域に達している楽曲だと思います。
歌詞の中にも「車」が出てくることもありますが、最初に聴いたときから車のCMで使われるイメージが頭から離れません。オリジナル・ラブで過去に車関係のCMで使われたのは「Words of Love」(1996年:ADDZEST カーナビゲーション)、「GOOD MORNING GOOD MORNING」(1997年:トヨタ・スプリンター)、「宝島」(1998年:トヨタイプサム)などがありますが、それらと比べても最も車のCMに似合っているし、そのようにして街中(まちなか)で聴かれるべき音楽とさえ言えます。
多分、自分が無理に奨めなくても、既にどこかのメーカーが目を付けているのではないかと勝手に想像を膨らませています。*1


さて、2度繰り返されるサビを聴くと、この歌は、季節という繰り返す円形の時間軸と、人生(旅)という一直線の時間軸の中心に「きみ」の笑顔を据えている曲です。

めぐる季節を 旅の続きを
変わってゆく街を 変わらない笑顔を
いつもいっしょに きみとずっと

また、「変わってゆく街」とは対照的に、「変わらない笑顔」としていることから、ここで歌われる「ふたり」の結束は固く、これから先の春も夏も秋も冬も、これまで通りの季節を二人で過ごしたいという主旨の歌のようにも捉えられると思います。*2


しかし、例えば、四季を歌ったラブソングとして、例えば自分の大好きなJUDY AND MARYの「散歩道」(歌詞はコチラ)が

  • 春の散歩道には 黄色い花かんむりが
  • 夏の散歩道には セミの行進が道をふさぐの
  • 秋の散歩道には カサカサ落ち葉のメロディ
  • 冬の散歩道には 氷の月が水に写るの

という風に、四季を同列に並べて歌っているのに対して、「四季と歌」は少し状況が異なります。
歌詞をよく見ると、夏秋冬については、ふたりの思い出が語られますが、冒頭の「春」だけは思い出ではなく、今の自分の気持ちが描かれているように思います。

春はなにを甦らせた?
止まった時がすこし動いた
現れ消えた いつか見た夢が

実際、このフレーズを歌った後で、ドラムとベースが入り、歌が動き出す構成になっています。


倒置して歌詞の意味を改めて考えると、次のようになります。

春が僕の中の何かを甦らせるまでは
時は止まっていた
いつか見た夢も消えていた

勿論、ここでいう「時」や「夢」が、恋愛とは無関係と考えることもできなくはありませんが、春に起きた何かがきっかけで、以前は親しかった彼女との仲が戻る予感がある、と考えるのが自然だと思います。
そうすると、変化のあとのサビフレーズの歌詞の「変わらないときめき」は、主人公のときめきが「止まった時」の頃と変わっていないこと、そして、今は一緒にいないけど、「いつか」は、(以前と同じように)きみと一緒にいるようにしたいということが歌われていると考えて良いと思います。

春と夏と秋と冬の
変わる風の香り 変わらないときめき
いつかいっしょに きみとずっと


なお、自分の中では、オリジナルラブ史でいう「春」とはアルバム『白熱』のことを指すので、「きみ」というのは『白熱』以降戻ってきたファンのことを指しているのではないかという穿った見方もできると思います。これについては「99粒の涙」でも触れます。
(なぜ自分が「春」とは『白熱』のことを指すと思い込んでいるのかについては、こちらを参考にしてください。→オリジナル・ラブ『白熱』の「色」優位仮説

99粒の涙

「四季と歌」「99粒の涙」という8、9曲目に並んだ2曲はセットであることは、インタビューの中からよく分かります。さらに言えば、これら2曲を説明する文脈で、田島貴男は、何度も「土地=ノスタルジア」というキーワードを出し、Negiccoに「サンシャイン日本海」を提供したときのことを語っているので、「四季と歌」「99粒の涙」「サンシャイン日本海」の3曲は「スタンダードなポップス」として非常に重要な要素である「ノスタルジア」という同じ根っこを持った曲だと言えます。
以下、金子厚武さんによるCINRAのインタビュー記事から長く引用。

―アルバムには、Negiccoに提供した“サンシャイン日本海”のセルフカバーも収録されていますが、田島さんがNegiccoとの対談でおっしゃっていた、「街とか土地こそがノスタルジアなんだ」という発言がとても印象的でした。
田島:僕はここ3〜4年で弾き語りをやったり、「ひとりソウルショウ」というスタイルで全国を回るようになって、「土地=ノスタルジア」なのではないかと思うようになったんです。音楽に対するそれぞれの街のお客さんの反応って、ホントに違うんですよ。その土地に流れる季節や風に育まれた人間の心情があって、その街を離れたり、また戻ってきたり、ずっとそこで暮らしていたり、そういう時間と距離の物語から生まれるノスタルジアがあると思ったんですよね。Negiccoは新潟のご当地アイドルだから、彼女たちが無意識的に発しているノスタルジアを曲に乗せたいと思って“サンシャイン日本海”を作りました。


―それは「スタンダードなポップス」において、とても重要な要素であるように思います。

田島:そういう気がします。演歌はもちろんのこと、ユーミン、(山下)達郎さん、桑田(佳祐)さんらが作る曲にもノスタルジアが含まれていて、日本人特有の感性が働いてると思います。それがすべてとは言わないですけど、日本のポップスにはそういう特徴があるような気がします。


―今回のアルバムで言うと、“四季と歌”という曲もありますが、個人的には“99粒の涙”から、ノスタルジアを強く感じました。季節や土地の移ろいが歌われていて、これは地方を回ることによって感じた、田島さんなりのノスタルジアが投影された曲なんじゃないのかなって。

田島:おー! なるほど! この曲は、もともとずいぶん前に書いた歌詞を、どんどん書き換えていって、結果的にこの形になったんです。これは時代の移り変わりと、その中で変わって行く心情と変わらない心情、離れていく人生とまた違 うところで結びつく人生、そういったシーンが列車の車窓を流れてゆくようなイメージで書いた曲で。言葉を何度も何度も入れ替えたから、最初はそういう内容 じゃなかったんですけど。

勿論、2曲がセットなのは、インタビューを読まずとも、歌詞の中で出てくる「街」「夢」「変わる」「変わらない」などのキーワードが共通していることからも分かります。
しかし、「99粒の涙」は、ある意味、ラブソングの“優等生”である「四季と歌」と同じテーマでも、少しひねくれた切り口で、人生(旅)を語ります。


具体的には、「四季と歌」では、季節は巡り、街は変わっても、人(ときめき、笑顔)は変わらないと歌っているのに対して、「99粒の涙」では、街も変わるが人も変わっていくと歌って、歌ったばかりの「四季と歌」とは逆のことを歌っているのです。
また、「四季と歌」ではぼやかして歌われなかった「時間の進行」について、つまり、自分が年齢を重ねているということについて、この曲の一番の盛り上がりの部分で歌われるところは、熱くなります。*3
この部分は、同じテーマについて歌われる「四季と歌」と続けて聴くからこそ盛り上がる部分だと思うのです。

文字盤の上を止まらない時計の針
押しとどめておけない若さ
変わる景色追いかけてたくさん忘れて
変わった夢もある
変わらない気持ちも


さて、インタビュー記事から十分読み取れるように、歌詞の意味自体は、それぞれの単語の意味から大きく外れないものなのだろうと思いますが、最後に少し別の見方も提示しておきます。「四季と歌」で「春」を『白熱』と読み替えた強引な解釈から言えば、田島貴男が旅の途中で止まる「駅」とは、一曲、一曲、もしくは、アルバム一枚、一枚のことになります。*4

旅の途中の駅で
移り変わりにとり残された
好きな人の気持ちはどうなるの

この部分は、田島貴男のアルバムごとの移り変わりが激しすぎるので、例えば『Rainbow Race』以降の変化についていけなかったファン、『ムーンストーン』以降の変化についていけなかったファンのことを歌っているのかもしれない、と考えられるように思うのです。
…という風に、2曲を併せて考えてみると、時の移り変わりと人の心という普遍的なテーマを歌っているようでいて、転機となった『白熱』に触れながら、オリジナル・ラブ史を振り返る歌というマニアックな見方もできる面白い2曲です。途中で気持ちが離れてしまったことのあるオリジナル・ラブの古参ファンなら絶対に熱くなれる楽曲だと思います。

希望のバネ

最近のアルバムラストの2曲は、『白熱』の「あたらしいふつう」「好運なツアー」、『エレクトリックセクシー』の「太陽を背に」「帰りのバス」と、より自身の実感に近い言葉で語られるという意味で、ブログ的な役割を果たしています。
今回のラスト曲「希望のバネ」も同様で、「エブリデイエブリデイ」で歌っていたことをバージョンアップし、「きみ」に向かって語りかけることで、こちらもより大衆性の高い楽曲になったという印象です。


そもそも、田島貴男の「努力」観は「努力すれば道は開ける」という楽観的なものではなく、努力は当然しなくてはならないという厳しいものです。

努力は実る努力と実らない努力があって、
経験的に言うと、
どちらかというと実らない努力の方が全然多い。
だから実る努力はどんどんするべきで、
しなけりゃもったいない。
そして実らない努力ばかりだからといって何もやらないわけにはいかない。
努力はスタートラインであって、
努力しない人はレースに参加しない人なのだ。
と、昨日ジョグしながら天に浮かぶ月に向かってマジに思ったのだった。


しかも、この曲では、聴き手に向けて「努力」だけでなく、それを含めた一連のステップを求めます。

  1. 希望のバネを見つけよう
  2. 日々の努力を続けよう
  3. 時が満ちたら行動に移そう


もともと以前のライブでオバマ就任に関するMCと合わせて歌われていたことを考えると、とかく「希望」がない、先が見えないと言われがちな現代社会に対して、鼓舞するような、メッセージ性の高い歌なのだと思います。
『白熱』ラストの「好運なツアー」では、幸せな日常への「気づき」だけが要求されていたのに対して、ハードルはかなり高くなり、ファンとしての行動力が問われる歌であることも確かです。
オリジナル・ラブ道」は厳しいのです。(笑)


ということで、アルバム内では「ラヴァーマン」と双璧をなすスタンダードなポップスである「四季と歌」から同じテーマを歌った「99粒の涙」で、少しだけ過去を振り返りつつ、「希望のバネ」で今を、そして未来に向かって歩き出すという流れ。おそらく大多数の人が考えるよう、このラスト3曲は動かせない、盤石の構成だと自分は思っています。

*1:なお、ジャケで田島貴男が自転車にまたがった『白熱』ではバイクの歌が歌われ、バイクにまたがった『ラヴァーマン』では、車の歌が歌われるのは面白い。

*2:ちなみに夏に行く「光踊るあの海」は日本海ということで良いと思う

*3:ただし、「99粒の涙」はメロディへの歌詞の載せ方がきついところも多い。そもそも、「好きな人の気持ちはどうなるの」がびっくりしたが、「変わらない気持ちも」は、ライナーを見ないとすぐに分からなかった。

*4:ちなみに、田島貴男自身が、ラジオ番組出演時に、「ラヴァーマン」は最終地点だとか終着駅、というような発言をしていたみたいですが、このあと「希望のバネ」で、「まだ先の長い旅を/物語の続きを」と歌っているのですから、途中下車したターミナル駅という程度だと思います(笑)