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好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

エジソンが発明したのは闇〜又吉直樹『火花』

火花

火花

言わずと知れた第153回芥川賞受賞作。
又吉直樹はテレビで見たことはあったが、文章の方は、自由律俳句の本(『まさかジープで来るとは』)だけでしか読んだことがなかった。
それもあって、言葉の取捨選択にストイックな人なのだろうという印象があったが、実際に小説を読んで、その思いを強くした。何か大事件が起きたりする話ではないので、Amazonなんかでは「全体的にダラダラしている」という評価も見られるが、自分には、無駄な部分が少なく、また、ナンセンスギャグのシーンもできるだけ他につながるように作ってあると感じた。
以下、ネタバレしない程度に、内容について触れる。

お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼を師と慕う後輩徳永。笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!「文學界」を史上初の大増刷に 導いた話題作。


徳永は神谷の何処に惹かれたのか、というのは、この小説を読む上で一番重要なポイントであるように思う。
勿論、この小説はお笑い芸人の話だから、笑いの才能に惹かれたのだし、文章中にも何度も、主人公徳永の神谷への憧れが現れている。
しかし、全編を通して読むと、神谷の魅力は「優しさ」であり、それがこの小説の魅力でもあることがよく分かる。
実際、熱海の花火大会でのイベントで初めて会ったときの神谷は、観客を罵倒するネタを展開しながら、幼い女の子に対してだけは優しい声で特別な言葉をかけ、その一言が徳永を強く惹きつけたのだった。

もう僕はその一言で、この人こそが真実なのだとわかった。
p8


小説全体としては、基本的に、お互い別々のコンビで活動する徳永と神谷の飲み屋でのお笑い談義やナンセンスな会話が多くの部分を占めるが、話の端々に「優しさ」が満ちている。裕福でなかった徳永の昔話に対する神谷の反応(p22)や、喫茶店で傘を貸してくれたマスターの話(p35)など、作者は、ちょっとした出来事にも、わざわざ「優しい」という言葉を使って、日常生活に偏在する優しさに気づかせようとしているようにも思える。


ハッとさせられるような言葉も優しさに満ちたものが多い。
シュールな内容ばかりの神谷の発言の中で、特に心に響いたものが二つある。どちらもネットに関連する内容で、twitterや匿名掲示板では、人を傷つけるような発言が何の躊躇もなく発せられることが多い(自分も誰かを傷つけているかもしれない)ので、特に身に染みた。

人を傷つける行為ってな、一瞬は溜飲が下がるねん。でも、一瞬だけやねん。そこに安住している間は、自分の状況は良いように変化することはないやん。他を落とすことによって、今の自分で安心するという、やり方やからな。その間、ずっと自分が成長する機会を失い続けてると思うねん。可哀想やと思わへん?あいつ等、被害者やで。俺な、あれ、ゆっくりな自殺に見えるねん。
p97

もう一つは、ネットニュースで徳永率いるスパークスが取り上げられたときのコメント欄の荒れた状況(「誰だよ!」「知らねえよ!どの基準で記事書いてんだ?」「最近の若手は、ちっとも面白くない」)が語られたあとの台詞ということもあり、なおのこと響く。ちょっと涙ぐんだ。

同世代で売れるのは一握りかもしれへん。でも、周りと比較されて独自のものを生み出したり、淘汰されたりするわけやろ。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。でもな、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。やらんかったらよかったって思う奴もいてるかもしれんけど、例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったんかって言うたら絶対にそんなことないやん。一組だけしかおらんかったら、絶対にそんな面白くなってないと思うで。だから、一回でも舞台に立った奴は絶対に必要やってん。ほんで、全ての芸人には、そいつ等を芸人でおらしてくれる人がいてんねん。家族かもしれへんし、恋人かもしれへん。
p134

これとは別に文脈に無関係なところで出てくる「エジソンが発明したのは闇」という、忘れがたい言葉があるが、おそらく作者は、普段目のいかない部分に常に目を向け、目立たない人の心を掬い取っていくようなことを心がけている人なんだと思う。


総括すれば、笑いの哲学や批評のあり方などの部分は、本や音楽の楽しみ方などとも照らし合わせて考えることができ、色々と印象に残るような言葉も多く、それだけでも十分に面白い。
しかし、何よりも神谷をはじめとした登場人物の優しさが心に響く小説だった。そして、無駄に思えるエピソードや、「一向に売れない」カタルシスのない展開も、すべては、この優しさのために用意されているように感じた。


なお、ラストの超(?)展開も含めて多数あるナンセンスなシーンのうちで、自分が好きなのは、赤ちゃんを泣きやませようとして、神谷が次々と蠅川柳(蠅をテーマにした川柳)を繰り出すシーン(p77)と、神谷さんが別れた彼女(真樹さん)のアパートに荷物を取りに行くのを徳永に手伝ってもらうシーン(p88)。特に、後者は笑いと涙が同時に味わえる名シーン。


この小説は映像化されるとのことだが、そもそも主人公の独白や、神谷との下らない会話がほとんどを占めるので、華やかさに欠けるし、そのままのシナリオでは映像化に向かないように思える。
自分としては、この小説が小説であるが故に省いた部分を映像で見たい。例えば、吉祥寺のハーモニカ横丁の雑多な感じとか、東京の「その他大勢」の人間が醸し出す優しさ、冷たさみたいなものが、映像から伝わるような作品になったら面白いと思う。

参考(過去日記)