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好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

これから読む人のためのアドバイスを交えながら〜羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』

スクラップ・アンド・ビルド

スクラップ・アンド・ビルド

同時に芥川賞を受賞した又吉直樹『火花』がなかなか面白かったので、「又吉じゃない方」の本は、多分それ以上に面白いのだろうと期待して読んだ。
読んだ…
…が、ちょっと何だかよく分からないままに終わってしまった。


そこで、文芸春秋に掲載された選考委員による選評を確認してみた。(選評をまとめて下さっている方がいます→コチラ
読後の自分と一番近い感想はこちら。

  • 小川洋子「評価は、幼稚な健斗をどれだけ受け入れられるかにかかっていた。その上で、とぼけたユーモアのある小説にも、あるいは祖父と孫の間に不気味な闇が立ち上ってくる小説にもなる可能性があった。しかし結局、そのどちらにもなりきれなかったのでは、との思いが残った。」
  • 奥泉光「方法的なスリルはない単線的な小説で、である以上は、素朴に心を揺さぶるような展開や描写がもっと欲しい」

自分は、主人公の中に共感できるところを見つけながら読んでいくタイプ。
スクラップ・アンド・ビルドの主人公である健斗は、会社を辞め就活中の28歳の男で、登場時に、午前11時半に掛け布団を頭までかぶり、花粉症に苦しんでいる。
「死にたい」が口癖の祖父との生活の中で、突如芽生えた「祖父を楽に死なせてあげたい」という気持ち、それとセットで健斗を支配した自己の肉体改造への意欲…ここまでは理解出来なくはない。
しかし、話が進むにつれて、しつこい筋トレ描写が増え、独特の介護観が深化していき、「変人度」が増して、共感しづらくなっていく。
徐々に自分から離れていく健斗に対して、多分、何かの事件がきっかけとなって、彼に同情するようになるか、もしくは、全くついていけないという嫌悪感が生まれるか、のどちらかになるのだと予想していた。
だが、この主人公をどう見ればいいのかスタンスが定まらないまま、そのまま話は終わってしまったのだった。
もしかしたら、この小説の評価は個人の「小説観」に大きく左右されるのかもしれない。その意味で、自分の小説観は、小川洋子奥泉光のそれに近いのだと思う。


一方で、山田詠美の選評はよく分からなかった。

  • 山田詠美「この作品の中に埋め込まれたセオリー。それは、主人公の浅はかで姑息なアフォリズムをまといながら、その実、生き伸びるのに必要な知恵とユーモアを芯に持つ。介護小説ではないが、高齢化社会の今、読まれるべき。」

読む前に予想していた感想はこのようなものだったが、実際には「生き伸びるのに必要な知恵」や「高齢化社会」といった高尚なものは出てこないと感じた。だから感想が「よくわからなかった」になってしまったのだ。


選評を読んで、こういう風に読めばいいのか!とビビビ!と来たのは以下。

  • 川上弘美「こういう家族、知っている(というか、自分の家族の中にもこれと同じような感じがあるなあ)と、確かに私は感じたのです。」「(引用者注:「火花」と共 に)人間が存在するところにある、矛盾と、喜びと、がっかりと、しょぼい感じと、輝くような何か(それはとてもささやかなものですが)が、(引用者中略) たくさんありました。」
  • 島田雅彦羽田圭介得意の論理を畳み掛けてくる語り口は健在だが、実は語り手は天然ぼけでもあるところが笑える。」

この「しょぼい」「天然ぼけ」という言葉が何かすべてをクリアにした気がする。
この物語では、「しょぼい」、そしてすべてを見通せているように饒舌に語るが、何もわかっていない「天然ぼけ」の健斗を、読者は笑っていい。健斗は共感や嫌悪の対象ではなく、笑い飛ばす相手なのだ。
そう思って読み直すと、お釈迦様の掌の中にいるのに、全て悟ったような健斗の思考と、尊敬と軽蔑が入り混じったじいちゃんとの関係がとても味わい深い小説のように思えた。何だかそういうスタンスで読む本だということが途中で予想ができず戸惑ってしまったのが今回は失敗だった。


これから読む人に初読時から楽しく読むためにアドバイスを送るとすれば、この小説は以下の2人の登場人物の物語として読むと分かりやすい。介護の話はオマケで、社会問題としてではなく、物語の舞台設定として存在するという程度で読むのが正しいのではないか。

  • 「体が痛い痛い」とわがままばかりを言って、(実際には自分で素早く動けるのに)出来る限り他人に頼り、娘(健斗の母)に酷い悪態をつかれては、「早く死にたい」とぼやいてばかりの祖父
  • 「死にたい」という祖父の意図を深読みし、忖度(そんたく)して、「足し算介護」での「究極の尊厳死」をたくらむ健斗


小説の冒頭で、健斗は突然悟りを開く。死にたがっている祖父を楽に死なせてあげなくては…。そんな健斗の行動原理はシンプルで「使わなければ衰える」。逆に言えば、酷使することで成長する、つまりスクラップ・アンド・ビルド。この原理にしたがって、一見無関係の行動に思われる介護と筋トレが結ばれるのが面白い。
祖父に対して健斗は、尊敬や畏怖の念を抱いていながら、その扱いが徐々にぞんざいになって行くのも見どころだ。

  • すばしっこく走る珍獣(p79)
  • あのしぶとい生物(p101)
  • 老いた性欲野郎(p104)
  • 沼から出現した、洗ったゴボウの切れ端を股にぶらさげた化け物(p114)

そんな健斗の、微妙な心の動きに着目しつつ、何よりも、その独特な思考、強固な論理を楽しむというのが、この小説の読み方だと思う。最後に、健斗イズム(使わなければ衰える、スクラップ・アンド・ビルド)がよく現れた部分を引用しておく。

本当の孝行係たる自分は今後、祖父が社会復帰するための訓練機会を、しらみ潰しに奪ってゆかなければならない。健斗は畳み終えた衣服の中から自分と祖父のものだけを運び持ってゆくと、次は掃除にかかった。(中略)汗までかきながら一時間ほどで作業を終えると、祖父が頻繁に行き来する場所の同線はみちがえるほどすっきりした。まるで、転ばぬように杖や足で障害物を避けて通るための状況把握能力や筋力も、今までの半分くらいで済むように。p37

(略)区切りをつけた健斗はさらに、”使わない機能は衰える”の逆をいくため、最近己に課している一日最低三度の射精にとりくんだ。射精の能力は射精でもって鍛える。パソコンでアダルト動画を見ながら本日二度目の自慰行為を事務的に済ませると、タイマーを25分間にセットしベッドに横になった。p51

考えさせない。祖父が脳を活性化させる機会も徹底的に奪おうと、健斗は衣替えを全力で手伝った。優しくさしのべる一挙手一投足が、祖父のシナプスを切断した。p55

セックスの翌日に必ずおとずれる太股内側付け根の筋肉痛を、今回こそは克服できるか。その部位の筋肉に関してはいくらスクワットやデッドリフトをやってもだめで、セックスでしか鍛えられない。セックスに必要な身体はセックスでつくる。p59

「やおくて甘い」食べ物の代表格で祖父の好きなトーストを少し焦がしてしまったが、マーガリンとジャムをたっぷり塗り昼食として出した。焦げとマーガリンは発ガン性が近年問題視されているが、死に至る病の中ではガンが最も楽だと聞いている。祖父の部屋のカーテンを全開にすることで、日光による皮膚ガン発症をうながしもした。使い終えた皿やコップも健斗がさげることで被介護者が運動する機会を奪った。p63

テレビでは、年金システムが破たんし高齢者の生活がままならなくなるおそれがあるという高齢識者の見解が述べられていた。(中略)途端に健斗は怒りにかられた。今まで衆参両議員選挙や都議会議員選、都知事選といったすべての選挙で真面目に投票してきた健斗だったが、そんなことをしている場合ではなかったと気づいた。投票より、国民年金保険料不払いのほうがよほど直接的な作用をおよぼす政治的行為だ。自分は老人や老人的なシステムをただ生かすだけの今の政治に不満を抱いている。健斗は月曜にでも国民健康保険料の支払い方法だけ現金払いに切り替え、残る国民年金保険料引き落とし用の口座から預金を全額引き上げることを決めた。p68

素人は引っ込んでろ!これだから、目先の優しさを与えてやればいいとだけ考える人間は困る。被介護者の自立をうながす立場に立つなら姉も叔父も気やすく手をさしのべるべきではない。苦痛なき死という欲求にそうべく手をさしのべる健斗の過剰な介護は、姉たちによるなにも考えていない優しさと形としては変わらないが、行動理念が全然違う。まず出口を見据え、自分の立場を決めてから出直して来いと思った。p81

健斗は上半身がまったく筋肉痛もなくなまりきっている恐怖と闘っていた。鍛錬を休んだ末筋肉がやせ衰え、失われ退化するいっぽうであるという、これが真の恐怖だ。健斗は筋肉痛の少ない腹斜筋に改善の余地を見出すと、すぐさま仰向けになりツイストクランチを始めた。常に墓石、たんぱく質をあてがい全身改造を継続させなければ死んでしまう。p85

急性心不全だか肺水腫だか知らないが、そんな劇的で苦痛の大きすぎる甘えた死に方は、祖父にふさわしくない。(中略)
こんなところで死んでる場合ではないだろう、健斗は思わず叱りかける。
苦痛のない死を、自分の意志でつかみとってくれ。音速の壁を破るよりよほど命知らずなことをしようとしたあなたには、それができるはずだ。p96


書き出してみると、やっぱり面白い小説だったのではないかと思えてくる。
次は、前回芥川賞候補作のSM小説『メタモルフォシス』を読んでみたい。

メタモルフォシス

メタモルフォシス

メタモルフォシス

メタモルフォシス



参考(過去日記)