Yondaful Days!

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アサ○よりも浅漬けが心配〜朱戸アオ『ネメシスの杖』

ネメシスの杖 (アフタヌーンKC)

ネメシスの杖 (アフタヌーンKC)

12月の紀伊國屋新宿南店で行われたビブリオバトルでチャンプ本となった漫画ですが、一番のポイントを伏せるなど、あまりにも気になる紹介の仕方だったので即購入して、早速読んでみました。

四季賞出身の大型新人が挑む本格医療ミステリ!!
医療事故調査を主に行う行政機関「患者安全委員会調査室」。冷徹な調査員・阿里 玲のもとに、匿名の内部告発文書が届く。
「台田総合病院はシャーガス病に罹患した患者を隠蔽している」
調査のため病院へ向かう阿里だが、そこには想像以上の悲劇が待ち受けていた。
人間が不完全な生物である限り、罪はなくならないのか。苦悩しながらも阿里は、組織の深部に巣食う闇にメスを入れる!
(リンク先で最初の方が試し読みできます)


シャーガス病という実在する病気を扱っているということで非常に興味深いだけでなく、それによって日本社会に警鐘を鳴らしている部分があり、医療サスペンスとしても読み応えがあります。
特に、この漫画が素晴らしいのは、主人公・阿里の理想主義が一連の事件を通して揺れ動くさまがヒューマンドラマとして優れているところです。序盤で、阿里は事件解決に向けて協力する紐倉に向けて次のように言います。

遺族やそれに同情した国民は
悲しみや怒りから
ミスをした個人を罰したいと考えます


でも罰せられる可能性が存在すると
関係者は自分に不利な証言をしなくなる
結果、事故原因が不明確になり
同じミスが繰り返されることになります


人間が不完全な存在であるかぎりミスはなくなりません
大切なのはミスをしないシステムを作ることです
そのためには事故原因の解明が不可欠

とても合理的な考え方だと思うし、合理的なことを重んずる一部の先進国では、航空機などの事故原因究明の基本的な考え方になっていると聞きます。誰か一人のせいにしたがる、もしくは、(誰か一人のせいにするのが可哀想だからと)逆に曖昧にしてしまうのは旧来の日本的なやり方の悪いところです。
こういった日本のダメな部分をただ追及するだけでなく、様々な立場の人の心情が絡み合う後半部のクライマックスが見事でした。

輸血による二次感染について

さて、作品内で、紐倉は、シャーガス病について次のように言います。

日本でシャーガス病の患者がいるとしたら南米帰りか輸血かジュース…

ネメシスの杖』のストーリーの核は、ジュースを通したシャーガス病感染の可能性についてですが、これについては後述するとして、まず「輸血」について調べてみました。
ネメシスの杖の連載終了後*1すぐのタイミングの2013年8月に以下のような報道がありました。

厚生労働省日本赤十字社は14日、中南米出身の40代男性が6月に献血した血液の検査で、中南米感染症シャーガス病」の抗体陽性を国内で初めて確認したと発表した。男性は2006年ごろから日赤がシャーガス病対策を始めた昨年10月までの間に少なくとも9回献血し、日赤が保存している男性の血液を調べたところいずれも抗体陽性だった。
6月の献血血液製剤会社や医療機関への出荷を差し止めたが、過去の献血を基につくられた血液製剤11本が8医療機関で10人程度の患者に投与された可能性があることが判明。厚労省と日赤は患者の特定や感染の有無の調査を進めている。
シャーガス病は10〜20年は症状がないまま推移するが、心臓が徐々に肥大し、心臓破裂で死亡することもある。〔共同〕


これについては、『ネメシスの杖』作者の朱戸さん自身が、報道記事についてブログで取り上げ、南米移民の問題と献血の問題との2点からその難しさを指摘しています。

今回、輸血検査でシャーガス病の抗体陽性の方が出たという事ですが、これはとてもデリケートな問題をはらんでいます。日本には南米へ移民を送り出してきたという長い歴史があるからです。
南米へ移民をし、帰国した日本人の日系一世、二世、三世の方からの輸血によるシャーガス病の二次感染の危険性は以前から指摘されていました。 ヨーロッパではすでにスクリーニングが行われており、日本も去年の10月から献血時の問診で中南米諸国出身か、四週間以上の滞在歴があるかを尋ねていま す。
(中略)
献血は善意で支えられているシステムです。(略)本来は善意で献血にきてくだ さった方を国籍や出身地で追い返すべきではないでしょう。(略)
しかし献血された血液すべてにス クリーニングをかけるコストはそれなりにかかるのではないでしょうか。問診の回答の正確性とスクリーニングのコストを天秤にかけつつ、グローバル化してい る時代にどうやって献血のシステムを維持するか、いままで日本に侵入してこなかった感染症とどう向き合うか、これを機に議論が深まればいいなと思っています。


また、この報道を受け、また、おそらく『ネメシスの杖』の内容を受けて、2013年12月にフジテレビの「奇跡体験!アンビリーバボー」でシャーガス病に関する話題が取り上げられたようです。
HPを見ると、朱戸さんのブログでも「おそらく現在日本で最もシャーガス病に詳しい先生」として、その著書が紹介されている三浦佐千夫さんもシャーガス病についてやや怖いコメントをしています。

そして今年8月、日本でも初めてシャーガス病に感染した血液が献血から発見された。
献血した人物は感染に気づいていない、中南米出身の40代 男性だった。
この男性は、過去9回 献血、11人に輸血されていた事実が判明した。
その1か月後、11人の追跡調査が完了。
内5人は、検査で陰性。
他の5人はすでに死亡していたため、検査不可能。
残る一人は高齢のため検査を拒否、症状が無かったため、感染の心配はないと判断された。
だが、三浦氏によれば、突然死として2名すでに死亡している人がいるのではないかという。
それ以外に、心不全として葬られた日系人の人たちがいるというのだ!
心臓発作で亡くなった場合、単なる心臓発作か、シャーガス病で亡くなったかは、全く分からないという。


朱戸さんのブログからリンクされているサンパウロ新聞のWEB記事でも三浦さんは『この問題を放置すれば日本国内への病原体の拡散が心配され、今後大きな社会問題になる可能性がある。』と警鐘を鳴らしているようです。

三浦左千夫助手の話
日本ではシャーガス病の診断や治療法が確立されていなく、南米のデカセギの人たちが発病したら困ったことになる。それ以上に、輸血、あるいは保虫者が出産することで母子感染などによって日本国内に拡散する可能性もある。なるべく早く、デカセギの人たちのシャーガス病原体の有無の検査を行うべきだろう。また、デカセギ希望者は日本に来る前、自主的に検査を受け、病原体の有無を検査するべきだ。それが自分の命を守ることでもあり、日本で新たな感染者を出さないことにもつながる。


一連の記事からわかるように、日本においてシャーガス病が今後問題になるとしたら、輸血が一番危険性が高いと、日本で最もシャーガス病に詳しい三浦左千夫さんは考えているようです。

ジュースによる感染について

前述したフジテレビの番組では、輸血の問題をメインで取り上げながら、ジュース(ビブリトバトルの紹介で伏せられていた部分ですが、具体的にはアサイージュース)についても触れていたようで、これについて、放送翌日にアサイージュースの大手フルッタフルッタ代表取締役がブログで反論しているので、長文を引用します。

昨日フジテレビの「奇跡体験!アンビリーバボー」という番組でシャーガス病の報道がありました。アサイーと名指しではなかったものの、南米果実、そしてアサイーらしき写真を放映し、いかにも日本で流行しているフルーツ、「アサイー」が危険であるかのような印象を意図的に与えていました。

事実、今朝よりインターネット上で事実誤認が錯綜しています。

シャーガスはサシガメという虫の糞を媒介して感染する病気ですが、虫の糞ですから、衛生環境の悪い現場でなければ発生せず、また60度以上の加熱殺菌で死滅することがブラジル政府によって証明されていますので当社のような衛生管理された工場で殺菌処理された加工品は100%問題ありません。(レストランやカフェ、弊社直営店も同様原料を使用しています。)

番組に登場されていた三浦佐千夫先生とは旧知の仲で、以前よりシャーガスについては情報交換をしている間柄です。

その関係もあり、先生よりフルッタアサイーの安全宣言文書を発行してもらいました。

http://www.frutafruta.com/news/pdf/20131227.pdf


また、30万人近い日本在住のブラジル人が感染度の危険が高いと断定して報道し、人権問題にも発展しかねない事実誤認を生んでしまいました。

当番組の性格上、珍しい事件を毎週のように収集せねばならない事情があるのでしょうが、全く罪のない、ましてや日本人の為に善意で献血を行っているブラジルの人々に対して視聴率優先で内容を制作する当テレビ局の倫理観はどこにあるのでしょうか??

フルッタフルッタアサイーシャーガス病とは無縁である。

ブラジル人全てが感染の疑いあるという報道は事実に反する。

番組に対しては断じて抗議しようと思います!


リンク先のPDF3枚目では、朱戸さんのブログでも登場した三浦佐千夫さんの印付きの文書がついており、この中で、フルッタフルッタ社の製品は「洗浄、冷凍、乾燥、加熱と様々な製造工程と更には滅菌操作を経ることによりシャーガス病の病原体は全く感染性を失われる」とされています。
また、「基本的に現地のアサイーが汚染されている事が既に稀」で、経口感染シャーガス病の発生が報道されることもあるが、「それは全て初期段階の材料の洗浄がきちんと行われていないための事故」と念押しされています。


ここでは、フルッタフルッタ社の製品についての安全宣言が出ているに過ぎず、日本にあるアサイー関連全てが安全とは言えないわけですが、三浦左千夫さんの「基本的に現地のアサイーが汚染されている事が既に稀」という言葉や、日本で密封容器に入れられたジュースとして販売されるものは、食品衛生法に定めた加熱処理がなされていることを考えると、そのリスクはほとんどないと考えました。個人的には、今後も、コンビニで売っているようなアサイージュースについては特に意識せずに飲むと思います。
一方で、果実の状態で日本に輸入し、店頭で絞る、もしくは、果実ごと提供するケースでは、現地で洗浄せず、さらに、日本でも洗浄しないという明らかに不衛生な場合も(考えにくいですが)可能性としてはあり得るので、生に近い形でアサイーを食べようという気持ちにはなれません。


ただし、アサイーブームは既に去り、フルッタフルッタも次のフルーツを考えているようです。こういう流行りで大きく動き過ぎる日本の食習慣(特に健康食)には辟易します。国内のみで、次はヨーグルト、次は納豆、トマト…と色々と回している分はいいですが、海外の農業に影響が出るようなことは止めてほしいなあ、と常々思います。

生野菜のリスク

さて、アサイージュースの関連を調べてみて、やはり輸入野菜や果物を、(ジュースなど加工食品ではなく)生に近い形で口に入れるのは、少し気持ちが悪いなあ、と感じました。
ただし、生野菜のリスクについてネットで一通り調べてみると、海外の事例では、大規模な食中毒事件もあったようです*2が、日本国内での、輸入生野菜による食中毒事例は見つかりませんでした。生野菜として口に入れるものは大体国産のものであるという自分の実感からすると、口にすること自体が少ないのだろうと思います。(勿論、いわゆる冷凍ギョーザ事件など、加工食品では残留農薬が問題となった例があります)


国内の食中毒全般については、食品安全関連ではいつも参照している松永和紀さんが編集長を務めるFOOCOM.NETで以下のような記事がありました。

年間2万人前後の患者が発生する食中毒。どこでどのような食中毒が起きているのか、原因となる食品や菌にはどのようなものがあるのか、そんなデータをまとめた食中毒統計が毎年厚生労働省から公表されている。
最近10年間分(2005?2014年)を整理してみて、被害が大きかった事例にどのようなものがあるのか見てみた。


後半に死者が出た食中毒についての整理がありますが、最も死者が多かったのは8人が犠牲になった2012年に北海道で起きた浅漬けによるもの。
ユッケの影に隠れてしまったためか)これを見るまで忘れていましたが、確かにこの件もうっすら記憶に残っているし、2014年にも花火大会で売られた冷やしキュウリによる食中毒がありました。

静岡市内の花火大会で売られた冷やしキュウリを原因とする腸管出血性大腸菌「O(オー)157」の集団食中毒。508人が症状を訴え、115人が一時入院、6歳女児を含む5人が腎不全などを伴う「溶血性尿毒症症候群(HUS)」を発症した。肉の生食のリスクは知られるが、野菜の生食のリスクを認識していない人は少なくない。専門家は「もともと野菜はリスクが高い食品。生で食べるときは注意が必要」と呼び掛けている。(平沢裕子)

こういった食中毒では、死者も出ていることを考えると、リスクの大小から見てアサイージュースよりもまずは浅漬けに気をつけることが必要なようです。
なお、O157以外に気を付けるべきものとして松永和紀さんは、リステリアを挙げています。つまるところ、生野菜を食べる際は、よく洗い、清潔な食器に盛り付けて、調理後は早めに食べるという一般的なことに気を付けるのが第一ですね。

リステリアが検出されやすい食品は食肉や生ハムなどの食肉加工品、ナチュラルチーズなどですが、野菜にもいます。とくに2011年に米国で起きたカンタロープという編目の付いたメロンの食中毒は衝撃的でした。147人の患者が発生し33人が死亡したのです。
(略)
欧米では、そのほかにもコールスローサラダやホットドック、チーズ等が原因のアウトブレークがしばしば起きています。米国では、年間に約500人がリステリア症で死亡しており、食中毒死亡の約1割を占める、という推定もあります。そのため、リステリアによる食中毒は非常に重視されていて、一般市民への注意喚起も厳しく行われています。米国疾病管理予防センター(CDC)は専用ページで消費者に情報提供しています。
ところが、日本ではあまりリステリアに注意が向けられていません。厚労省の食中毒統計では、リステリアが原因の食中毒は記録されたことがありません。そのため、日本ではリステリア菌が少ないのでは、と思われていた時期もあったようです。
しかし、詳しい調査で、食品の汚染率は諸外国と大差ないことがわかってきました。また、原因のわからない「リステリア症」も報告されています。日本ではリステリアは届出の必要な感染症とはなっていないので、統計データがないのですが、年間に数十人程度は発症しているようです。
つまり、潜在的なリスクは相当に高いとみられるのに、消費者は関心が低く、事業者も中小を中心に注意不足という状況なのです。


このように、多くの過程を経て自分の口に入る様々な食品とうまく付き合うためには、中間で手を加える業者に対するある程度の信頼が必要となります。どの食材が危ない、とか、どの国の野菜が危ない、というよりは、食品加工会社や小売業者の安全確保に対する取り組みについて、消費者として日々勉強しておく必要があると思いました。月並みですが。
(一番ダメなパターンは、小さな輸入食品会社がよくわからない現地企業と組んで売る得体の知れない健康食品だと思いますが、静岡の花火大会の一件も考えれば屋台で生野菜は避けたいですね。)


なお、「ネメシスの杖」はトクホの問題についても取り上げてますが、これについても少し勉強しておきたいです。色々と示唆に富む漫画でした。

参考(過去日記)

 ⇒当時問題になった中国産チキンの問題に関連して、中国産食品全般の安全性について簡単に整理しています。

 ⇒基本的には、自分は阿里玲派(システムで人間のミスを補う)ですね。これは9年前の文章ですが、特に若い頃は、万能なシステムを求めていたような気がします。

 ⇒「安全というのは、技術の中に常に内蔵されているべき」という高木仁三郎の考え方は、システム重視の阿里玲の考え方と比べると技術者倫理(良心)よりですね。難しいですが絶対に必要な考え方です。12年前の文章か…。

*1:ネメシスの杖は2013年1月から6月まで連載、同年9月に単行本が発売

*2:昨年、メキシコ産の輸入キュウリによる大規模食中毒(サルモネラ菌)が発生し、死者も出ています。参照>http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/082600030/092800005/