Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

徳江さんが伝えようとした「50年」〜ドリアン助川『あん』


Amazonのおすすめ商品をサーフィンすることがよくある。
どのような経路を通って辿り着いたのかは忘れてしまったが、この本がまさにそれだった。

町の小さなどら焼き店に働き口を求めてやってきたのは、徳江という名の高齢の女性だった。徳江のつくる「あん」は評判になり、店は繁盛するのだが…。壮絶な人生を経てきた徳江が、未来ある者たちに伝えようとした「生きる意味」とはなにか。深い余韻が残る、現代の名作。


最初は、高評価レビューが多い本ということで気になったが、事前にレビュー内容までは読まないようにしているため、あらすじでも伏せられている徳江さんの「壮絶な人生」が何なのか、どら焼きの話とどう関わるのかわからない状態で読み始めた。
しかし、ちょうど読み始めた日に、日本財団主催のハンセン病文学ビブリオバトルが開催され、その中の一冊にドリアン助川『あん』が挙がっているのをニュースで見て、そうか…この本は!と今さらながら気が付いたのだった。

エントリー5作品は、近藤宏一『闇を光に』(みすず書房)、石井光太『蛍の森』(新潮社)、宮里良子『生まれてはならない子として』(毎日新聞社)、ドリアン助川『あん』(ポプラ社)、遠藤周作『わたしが・棄てた・女』(講談社)。予選を勝ち抜いた5名の若者がしのぎを削る書評バトルを繰り広げました。


自分は教科書的な知識としてハンセン病患者が隔離病棟に閉じ込められ、差別を受けたことは知っていた。しかし、やはり断片的知識だけでは十分な理解ができないということを今回の読書で痛感した。
特に自分が今回初めて知って心を打たれたのは以下のような部分。

  • 外界と隔離された療養所の中で自治会を作って警察も消防もすべてを自分たちで行う必要があった。
  • 療養所の中でだけ通用する特殊な通貨があった。
  • 入所患者同士の結婚は認められたが、強制的な断種が行われた。
  • 患者の大半は戸籍から抹消されて、療養所に来てから新たな名前を付けられた。
  • らい予防法が廃止されたのは1996年で、それまで患者たちの隔離の状況が継続されていた。
  • 療養所を出られるようになっても身元の引き受けがないなどの理由で療養所にとどまる人が今も多い。


物語の最初に、30代のどら焼きやの店長・千太郎と76歳の徳江さん(吉井徳江さん)が出会ってすぐの会話がある。

「あんは難しいんですよ。お婆…吉井さんはあんを作ったことあるんですか?」
「ずっと作ってきたの。もう五十年も」

そう言って徳江さんは、千太郎に、作ってきたあんを入れたタッパーを渡す。
その夜、一度はゴミ箱に放り入れたタッパーの中のあんを一口食べてみる。

徳江のあんは、ポリ缶のものとはまったく違っていた。香も甘味も奥が深く、予想外の広がりがあった。
「五十年か…」
しばし立ち尽くすことになったその味わいを振り返りつつ、千太郎は猪口を唇につけた。
「俺が生まれる前から」

千太郎が自分の母親を思い出すきっかけとなった50年という年月は、確かに長いが、このときは「あん」を作り続けた期間としてしか感じない。しかし、実際には、この50年という期間は、徳江さんが14歳で療養所に入ってから、らい予防法廃止までの年月、つまり療養所の中に閉じ込められた生活を送った期間を意味していたことがあとから分かってくる。この物語は、徳江さんが「あん作り」とともに、その50年間について伝えようとする話なのだ。


その後、徳江さんは、千太郎の店・どら春に通い、あんの作り方を教えることになる。徳江さんは、あんを炊いているとき、小豆に顔を近づけて、小豆の言葉を「聞く」ことが重要だという。小豆が見てきた雨の日や晴れの日を想像し、どんな風に吹かれて小豆がやってきたのか、旅の話を聞いてあげるのだという。
繰り返すが、それは垣根の外に出られない徳江さんが、外の世界を想像し続けた50年に繋がる。千太郎に送った手紙の中で、徳江さんはハンセン病と生きた半生を振り返ってこう言う。

つらいことばかりでした。もちろん、そういう言い方もできるかもしれません。
でも、この場所での歳月が過ぎていくなかで、私には見えてくるものがありました。それはなにをどれだけ失おうと、どんなにひどい扱いを受けようと、私たちは人間であるという事実でした。たとえ四肢を失ったとしても、この病気は死病ではないのだから生きていくしかありません。闇の底でもがき続けるような勝ち目のない闘いのなかで、私たちは人間であること、ただこの一点にしがみつき、誇りを持とうとしたのです。
だから店長さん、私は「聞こう」としたのかもしれません。人間はそうした力を持つ生き物だと思うのです。そしてその折々で「聞いて」きたのです。

こうした徳江さんの言葉は、千太郎と打ち解けあう中で、どんどん心の底から響くような強度の強いものになっていく。これは一番最後の手紙の中。

しかしやはり本音を言うと、私は垣根の外に出たかったのです。世間に出て、そこできちんと働いてみたかったのです。だれもが口にするように、世のため人のために働いてみたかったのです。
この思いはずっと続きました。病気ならいざ知らず、治ってからも園の外には出られない私。(略)
何度死にたいと思ったかわかりません。私の心にはきっと、世の役に立たない人間は生きている価値がないという思いがあったからでしょう。人が生まれてきたのは、世のため人のために役立つためだという信念があったからなのです。

しかし、夜の森で満月を見ているときに、月の「お前に見て欲しかったから光っていたんだよ」という声を聞いて考え方を変えることになる。

私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれを望んでいた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある。(略)
世の中には、生まれてたった二年ぐらいでその生命を終えてしまう子供もいます。そうするとみんな哀しみのなかで、その子が生まれた意味は何だったのだろうと考えます。
今の私にはわかります。それはきっと、その子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるためです。その子が感じた世界は、そこに生まれる。だからその子にもちゃんと生まれてきた意味があったのです。

そして、千太郎に向けても「あなたももちろん、生きる意味がある人です」と励ます。ここの前後数ページは小説のクライマックスであり、メッセージの詰まった個所だ。徳江さんがお菓子を作ってきたのは、作り続けてきたのは、自由を与えられ、生きる意味に気が付いたとしても、絶対になくならない苦しみに涙を流す人たちがいるから。そういう人たちの喜ぶ顔が見たかったから。
このあとで、中学生のワカナちゃんが徳江さんにプレゼントしようと持ってきた白いブラウスを取り出すシーンでは泣いてしまった。徳江さんの喜ぶ顔を見ることはできなかったけれど、徳江さんの「声」が聞こえてくるようだ。


最後の最後に、療養所の友達だった森山さんが「トクちゃんは、いちいち大袈裟だ」と言って、「聞こえる」という話が、徳江の創作であったことが分かる。これも良いシーンだ。

トクちゃんもその時に言ったの。小豆の言葉なんて聞こえるはずがないって。でも、聞こえると思って生きてれば、いつか聞こえるんじゃないかって。そうやって、詩人みたいになるしか、自分たちには生きていく方法がないじゃないかって。そう言ったの。現実だけ見ていると死にたくなる。囲いを越えるためには、囲いを越えた心で生きるしかないんだって。


人間は強い。
もちろん弱い部分はあるかもしれないが強く生きることができる。
そう思わせてくれる本は今まで何冊もあったが、『あん』は、とてもシンプルにそのことを伝えてくれる物語だった。
日本財団のHPには「ハンセン病を「知る」ことが制圧への第一歩」と書いてある。いい機会なので、病気とその歴史についてももっと知識を得ていきたい。


なお、河荑直美監督の映画も当然気になる。上では特に書かなかったが、小説も桜が場面場面でうまく使われているが、どのように映像化されているのだろうか。