Yondaful Days!

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大吉の「視点」〜宇仁田ゆみ『うさぎドロップ(1)』

うさぎドロップ 1巻 (FEEL COMICS)

うさぎドロップ 1巻 (FEEL COMICS)

←新装版より前の方がデザインは好きです。

祖父の訃報を聞いてかけつけた、ダイキチが出会った見知らぬ女の子、りん。小さな彼女はなんと祖父の隠し子! りんと暮らすことを決意したダイキチの手 さぐりの子育てスタート。6歳児と独身30男が繰り広げる、なごみ系ちぐはぐ☆LIFE。案外、この世界も悪いもんじゃないって、りん、君はしっているか い――?
Amazonあらすじ)

うさぎドロップ』の1巻を初めて読んだときは全くそんなことを考えなかったが、2、3、4と読み進めて行って気づいたのは、主人公である30歳独身の大吉の「視点」がこの漫画のポイントだということ。
というのは、基本的に、大吉は自分が当事者でありながら、子育ての大変さを客観的に評価する、特殊な立ち位置にあるから。最初の葬式の場面で最もしがらみがない存在だったが、物語が進行しても、それが継続する。作者の宇仁田ゆみさんは、いわゆる「母性」から離れたところから、子育てを見てみることをしてみたかったのではないか。
例えば3話目でスポットライトが当てられる「犠牲」という言葉。もし女性の主人公がこれを言うと、特に(母親は子どもに無償の愛を注ぐものという)「母性」を信じる人にとっては、ワガママな母親と見られてしまうかもしれない。子育てだけでなく、りんからも離れた立場の大吉が言うことで、フラットに問題を捉えられる。


ところで、この漫画を「父娘の物語」として描くなら、大吉が「母親代わり」とすれば落ち着きがいい。例えば『千と万』など、類書における母親は、忘れ去られたり、写真の中の存在だったりして、具体的な形を持たない概念的な、象徴的な存在。
それなのに、この漫画ではことごとくそれを避ける。初回の葬式の場面で親戚一同で喧々諤々の議論がされた内容について書かれてはいないが、かなりの時間が母親のことについて割かれたに違いない。皆が文句を言うことで、まだ見ぬ母親像は少しずつ具体化してくる。
大吉は、「母親」の不在を常に感じることで、自分が子育ての当事者でありながら、親代わりには(精神的な意味で)なり切れず、いい意味で客観的な視点を保てているように思う。


子育ての悩みの書き込みは、もはや背景化していて、自然にそこにある。大吉がりんと住むための準備やりんの好みがいちいち具体的なのはすごい。例えば絵本のチョイスやアルゴリズム体操ユニクロのタグを切らないミスなど。
それだけじゃなく大吉が抱える会社での悩みも具体的かつ適切。「子どものことで自分が犠牲になっていると思ったことはあるか」という大吉の質問に対する西加奈子風外見の先輩・後藤さんの答えは良かった。「犠牲」の話は、このあとも何回か出てくる。

仮にそう思うことがあったとしても
言葉にしてしまうのは わたしは やだな…
だれが聞いていても聞いてなくてもね
言葉の力は強烈だから…
んーと…言霊だっけ?


Eテレピタゴラスイッチ」で放送されるアルゴリズム体操