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イスラムについて理解が進んだ〜内藤正典『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』

トルコ 中東情勢のカギをにぎる国

トルコ 中東情勢のカギをにぎる国


主に社会問題を中心に様々な話題を扱う荻上チキのセッション22というラジオ番組がある。
podcastもあるので、通勤時間や週末のランニング中によく聞いているのだが、特に面白いコーナーに新刊著者による本の紹介・解説があり、この『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』もそこで知った一冊。シリア難民やイスラム国の話題は、いつもテレビで見ているし、地理的にもヨーロッパとシリア・イラクを繋ぐ場所に位置するトルコは、大事な国のはず。
世界史・地理という苦手分野強化のためもあり読んだ勉強本だったが、思いのほか熱中できる内容だった。

  • 目次
  • はじめに いまなぜ、トルコか

 ⇒中東崩壊の危機のなかで唯一の民主化に成功した国/イスラム的公正を内外に示す/「イスラム国」を手玉にとる

 ⇒トルコ共和国の誕生/政教分離の難しさ/世界でも稀有なトルコ軍の地位/PKKとの戦い

 ⇒イスラムが強くなると、ナショナリズムは弱くなる/支配民族のいなかったオスマン帝国/似て非なるイスラム/公正・発展党の政策のどこがイスラム的だったか/住宅問題の「イスラム的」解決

  • 第三章 ヒズメト運動と現在のトルコ

 ⇒草の根型のイスラム互助運動はなぜ政権と衝突したのか/ヒズメト運動とは何か/ヒズメト運動が変えたもの

  • 第四章 トルコと西欧諸国の関係

 ⇒西欧化の呪縛/なぜ、アメリカの戦争につきあわないのか/トルコ軍がタリバンの攻撃を受けなかったわけ/イラク戦争にも参戦しなかった軍/トルコは、なぜ EUに入ろうとしたか/アジアかヨーロッパか/なぜヨーロッパになりきれないのか/上からの西洋化改革/EU加盟交渉の紆余曲折/九・一一後のEUとの関 係/EU加盟の強迫観念は消えた

 ⇒エジプトの革命と反革命/アラブ諸国の対応/アサド政権への批判/トルコとシリアの深い関係/イラク分裂はトルコにとってもっとも深刻な危機/「イスラム国」の台頭/邦人人質事件/トルコ総選挙 /エルドアン大統領の強権化に対する批判/HDPの躍進が意味するもの/ついに事態が動いた/トルコ分裂の危機/中東大混乱が、トルコに新たな活力を吹き 込む/新たな国家へ

  • おわりに


最初に、キリスト教と同じ「宗教」の一つとしてひとくくりにできない、イスラムの基本的な考え方が整理されており、理解の助けになった。

ムスリムからで来ている社会も、あたりまえのこととして民意を反映させた政治を望む。その民意の中に「イスラム的な校正」が必ず入ってくる。イスラムというのは、心の中の信仰だけでは成立しない。壮大なイスラム法の体系とセットになっているので、「あれはしなきゃいけない」「した方がいい」「してもしなくてもいい」「しない方がいい」「絶対にするな」という五段階のルールが決まっている。そういうイスラムの「法」を憲法にするなら、イスラム国家ができあがる。だが、現実にそういうイスラム国家は存在しない。
イスラム法のルールというのは人生のあらゆる場面に規範を示す。欧米の人間の多くは、そんな鬱陶しいものは嫌だ、人間はもっと自由であるべきだと考える。しかし、ムスリムは「神の法」から逸脱してしまうことを恐れる。(略)過去30年くらいのあいだに世界のイスラム社会では、個人の間に神への畏れが強まってきた。トルコに限らず、エジプトでも、ムスリム移民の多いベルリンでもロンドンでも、スカーフ着用の女性信徒が急増した。目に見えないところで、世界中のムスリムのあいだに、西欧的な個人主義や「個」としての自由からの主体的に背を向ける動きが強まったのである。

このあと、「信仰は個人の心の内の問題」と考えるムスリムもいるが、そういう人は中流以上の知識人層に多く、貧困層には少ないことが書かれている。心の内の問題にとどまらず、実際に行動の自由を制限するという点が、イスラム国家としては重要であり、そこがどうしても先進国の自由主義と対立する部分なのだろう。
さらには、貧しい国で、草の根型の救貧運動を行うイスラム主義のNGOが、「今の政権は私利私欲に走っていて、ちっともイスラム的に公正な政治をしていない」と批判し、(米露などの支援を受けた)政府がそれを弾圧するという構図がある。

それがもっともはっきり弾圧というかたちで表れているのが今のエジプトである。逆に、軍や西欧化論者の政党と熾烈な闘いをつづけて、ついに、草の根型イスラム主義運動を取り込んだ政党が政権の座についたのがトルコなのである。このままでは何度でもつぶされることを見抜いたレジェップ・タイイプ・エルドアンやアブドゥッラー・ギュルたちは、軍に叩かれる隙を与えないで再イスラム化を支持者に訴える方法を編み出していった。世俗化したムスリムから敵視されないための工夫を凝らしていった。
極端なことを言えば、コーランイスラム法も持ち出さずに、しかし、施策がイスラムの教えに適っていることを国民に示したのである。p42

トルコ建国の父アタテュルク(ムスタファ・ケマル)は、「世俗主義」を憲法上の原則として、厳しい政教分離策を取った。このことは政治と宗教の激しい対立を生んだが、スタートがそこにあったからこそ、エルドアンが首相・大統領になった、この10年で、現実的な巧い着地点に到達しつつあったという状況が第二章に書かれている。(エルドアンは近年強権的になるのだが)
この中で、「イスラム的な施策」の事例としてメトロ・バスの例が挙がっている。
渋滞問題解決のために、金持ちしか持てない自家用車に不便を強いて、幹線道路のうち中央二本を庶民の足・メトロバス専用とした。 先進国では、中層階級以上の自由や権利を制限する施策は出しにくく、結果として、格差を拡大する方向に向かうことを考えると、このメトロ・バスの事例は、トルコのやり方が正解であるように思う。


二つ前の引用(囲み部分)に、スカーフ着用の女性信徒が急増している話が出ているが、特にこの10年は、先進国型の「民主主義」「自由資本主義」は、それほど万能じゃないのではないか?という考えが広まっている。「遅れた」中東の国に起きた民主主義運動「アラブの春」が結局上手く行かず、特にエジプトにおいて、結局、軍のクーデターで元に戻ってしまったこと自体が、そのことをよく示している。(しかも、欧米は選挙で勝った前政権(ムスリム同胞団)ではなく、反民主的な現政権を支持する)
さらに、シリアの難民問題では、先進国が難民受け入れに消極的で、外国からの「自由」な国の行き来を制限しているだけでなく、度重なるテロの発生は、監視や手荷物検査などの形で、自国民にも「自由の制限」を強いる状況を産んでいる。
日本でも欧米でも格差が問題視される中、「資本主義」自体の欠陥は誰の目にも明らかで、その代替案が無い中、「イスラム的な公正」に解決を求める人がいるのはわかる気がする。特にムスリムであれば、そこに救いを求めるだろう。これまで、イスラム教についてあまり興味を持っていなかったが、この本を読んで、いわゆる「イスラム教過激派」が何を考えているのかを知るためにも、もう少しイスラムについて勉強してみたいと思った。


後ろの章では、特にEU加盟とキプロスをめぐるギリシャとの関係に書かれた4章が面白い。
EU側としては、国民の大半をムスリムが占める国をEUに加盟させておくことは、イスラム世界との関係上、重要だと判断している。(p147)しかし、西欧社会でのイスラムに対する嫌悪感が強く、2004年にEUに加入したキプロスを理由に加盟交渉は中断する。この国は、トルコとギリシャの間にあり、1960〜70年代にギリシャ系とトルコ系とが衝突を繰り返した歴史があり、島の上半分の北キプロスは、トルコに違法に占領された状態にあるという。トルコは、北キプロス・トルコ共和国を承認しており、南半分のキプロス共和国は承認していない。EU加盟国を承認していない国の加盟交渉をすることはできない、というわけだ。
しかし、交渉が途絶した2006年からの9年間でトルコは経済成長を続けたため、EU加盟は「見果てぬ夢」ではなく、無理に加盟する必要はない、と多くの国民が考えているようだ。
現在、トルコからEUに入る難民をめぐって、EU加盟が交渉にも使われているので、とてもタイムリーな話題で、このニュースにも注目している。


そのほか、第5章の中東周辺諸国について扱った章も、それぞれの国の状況がよくわかって良かった。
全体として何度も読み返したい良い本だった。トルコでは今年に入って、アンカライスタンブールで2回テロが起き、またクルド民族との問題が激化しつつあるが、何とか収まって、この本のタイトルにある通り、中東情勢を前進させてほしい。今年は伊勢志摩サミットもあるということで、トルコと仲の良い日本にも果たせる役割があるはず。