Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

もがく女子たち〜ヤマシタトモコ『HER』

HER(Feelコミックス)

HER(Feelコミックス)

朝日新聞日曜読書欄の悩み相談コーナー「悩んで読むか読んで悩むか」のコーナー(2016/5/1)でこの漫画が取り上げられていた。
「結婚か仕事かどちらを選べばいい?」という28歳女性の相談に、サンキュータツオが紹介した3冊のうちの1冊だ。(『HER』以外は、酒井順子枕草子REMIX』、江國香織落下する夕方』)

いろんな女性の生き方や価値観、あなたのような悩みを持っている人の声を、歴史的あるいは同時代的に知ってほしいと思って、女性作家の作品を三つ選びました。
(略)
ヤマシタトモコさんのマンガ『HER』は、結婚、子ども、仕事に悩む美容師などが主人公の連作短編。彼女たちは人生の局面でさまざまな人に出会い、自分と向き合っていく。客観的に悩みを捉えられるんじゃないでしょうか。
恋愛と仕事を並列に扱うことに矛盾も感じますが、そう簡単には割り切れないもの。「好き」の言葉だけでは収まらない感情を、彼にも仕事にも持っているんだと思います。

これを読んで
「そうか!この漫画は悩む女性の漫画だとストレートに受け取っていいのか!」
と思った。

というのは、以前も書いたように、これを初めて読んだときは、ヤマシタトモコ作品の味わい方について不慣れだったし、この漫画の核にある部分がよくわかっていなかったのだ。

モヤモヤしていた部分をいくつか挙げてみる。

  1. 登場人物たちの悩みは特に解決しない(前に進まない)
  2. 登場人物たちの独白が多用されるが感情移入しにくい
  3. 6話を通したテーマが理解できない


しかし、今回再読してみると、モヤモヤしていた3点は自分の中ではクリアになった。
一番目は、まさに前回『Love,Hate,Love.』を読んで気が付いたヤマシタトモコ作品に共通するポイントであり、『HER』にもその特徴が強く表れている部分になる。

もっと言うと、登場人物が作品内世界で生き生きと暮らしていれば、それでいいのだ、という開き直りを感じる。ストーリーを駆動させるために、悩みやコンプレックスがあるわけではなく、登場人物それぞれの個性として、自然と悩みが漏れてしまっているだけなのだ。
たとえば、『Love,Hate,Love.』で言えば、主人公の貴和子は28歳で男性経験がないことが1つのポイントだが、作品内では、そ れは終始変わらず、むしろ「ネタ化」されている。弱点がキャラクターの個性として大切にされ、変化することは許されないようにも見える。
つまり、ヤマシタトモコの作品は、ストーリーテリングの面白さ(意外な展開)や、伝えたいメッセージのためではなく、登場人物の魅力を最大限に引き出すことを目的として作品が作られているように思う。ストーリーは2の次だ。
繰り返すが、自分が好きなタイプの典型は、登場人物が、ぶつかった壁を乗り越えたり、悩みに対して前向きになったりするものなので、それらとは全然違うアプローチになる。


二番目も同様だ。
サンキュータツオは『俺たちのBL論』の中で、漫画やアニメの楽しみ方(消費の方法)を、ログイン型と非ログイン型に分けている。自分のように、ほとんどの作品に対して「ログイン型」で挑む人もいれば、サンキュータツオ春日太一のように「ログイン型では楽しめない」という人もいる。
物語のつくりが、ある程度楽しみ方を限定している作品もあり、たとえば、同じく独白多用型でも『さよならガールフレンド』は、多分ログイン型で読んで楽しめる作品だが、『HER』は、そうではない。『HER』は、「このような思考を辿る人もいる」という人間観察的な視点で読むべき作品だと思う。性格が違い過ぎて、6つの物語の全ての主人公にログインできる読者はいない。
まるで、ログインできないことを分かってもらうためのように、独白が多用され、私(I)の物語ではなく、彼女(HER)の物語として読ませることに成功しているところが、この漫画の一番のポイントなのだと思う。


そして三番目。
上にも書いたように、ヤマシタトモコ作品には「伝えたいメッセージ」があるわけではない。
人間観察がメインの漫画なので、女子高生の西鶴さん(3話目)が「フツー」だとか「終わっている」を脳内でも連発する部分や、服オタの井出さん(1話目)が、履いている靴で周りの人を○×評価して部分など、それぞれがこだわりを持って世界を見ていることを純粋に楽しめばいいのだと思う。
それに加えて言えば、主人公たちが、家族や恋人ではなく、少し離れた立場にいる人から何らかのヒントを得たりするのも面白い。それが最も表れているのは3話目に登場する白髪の武山さん。彼女が女子高生の西鶴さんに話すのは、〜した方がいいよ、というアドバイスではなく、「別の視点」。
最初のサンキュータツオの悩み相談の回答に戻る。悩んでいる人に向けて、的確なアドバイス(〜した方がいいよ)が出来れば確かにそれが一番いい。しかし、アドバイスではなく「別の視点」があれば、解決に繋がらなくても悩みを相対化できる。年齢差、異性、容姿、それぞれの違いで悩みとの向き合い方が変わってくることを知ることができれば、自分がどう向き合えばいいかが分かってくる。
登場人物たちが、それぞれの言葉で、それぞれの思考で悩みまくる。それは実人生でもあまり変わらないことだが、人の心を読むことはできないから、このようにして一冊の漫画にまとめてあるのは、とても貴重だし、もしかしたら、こういう本を「実用的な本」と読むべきかもしれないと思った。ということで悩む女性にオススメするサンキュータツオは正しい!


ということで、白髪の武山さん名言集…

…ふうん 貧しい友達だね

花を好きなのを黙っていたことも
苗字が嫌いなことも2年もすれば忘れて
その3年後には
今気にしているようなことはどうでもよくなる

…その5年後
16歳の自分が大切なものをドブに捨ててきたことに気づく

体は減らないなんて思ってるか知らないけど減るのよ
…それに気づくのはきっと10年くらい経ってから

…だから安心しなさい
…あと何万年生きたって悩まない日はないし
誰が隣にいても孤独じゃなくなる日は来ないから