Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

何かができるってこんなに楽しいんだ〜星野博美『島へ免許を取りに行く』

星野博美さんは、以前『愚か者、中国をゆく』を読んでそれっきりになっていたが、セッション22で最新作『みんな彗星を見ていた』で日本のキリシタンについて熱く語っているのを聞いて改めて気になった。調べてみると、どの本も面白そうだったが、タイトルとジャケに惹かれてこの本を読むことにした。

愛する猫をなくしたうえに、人間関係はズタズタ。いやな流れを断ち切りたい。日常に小さな風穴を開けたくて向かったのは、島の小さな自動車学校。そこは、 山羊や犬やにわとりがいて、馬にも乗れる牧場のような学校だった!人生の示唆に富む運転教習に悪戦苦闘しながらも過ごした数週間。人や動物や車とのふれ合 いから見えてきた風景は?読めば、新しい何かに挑戦したくなる名作エッセイ。
Amazonあらすじ)


そう、まさにあらすじの通り!
「牧場のような学校」というのは言い過ぎだが、最後にある通り「読めば、新しい何かに挑戦したくなる名作エッセイ」という惹き文句が、この本の一番のセールスポイントだと思う。
というより、音楽や本などには、自分はどこかそういうところを求めてしまっているし、何かを決意させたり、考え方を変えたり、実際に行動に繋がったりする作品を評価したくなる。
だから、実際、五島列島福江島にあり、「全国唯一の乗馬体験ができる自動車学校」である「ごとう自動車学校」の合宿教習を始めてすぐの文章を読んだとき、もう既にこの本には100点満点以上の点が出ていた。長いが引用する。

人間、何かができれば嬉しいし、できなければ悲しい。できないことばかりを考えていたら前には進めない。だからできないことは、「自分には向かない」と言い訳をして存在を無視する。そうやってこれまで生きてきた。それは年齢を重ねるにつれ習得した、生きるためのノウハウのようなものだった。しかしそれはいつしか自分にぴったり張りついた皮膚のようになり、そこへ開き直りが加わり、ほんの小さな努力さえ怠るようになっていた。
どうせ何もできない。がんばっても誰も誉めてはくれない。だからがんばらない。新しいことに挑戦もしない。いつの間にか自分の人生は「…ない」という否定形に支配され、ナイナイづくしのナイナイ星人になっていた。
何かができるって、こんなに楽しいんだ。そして、人から誉められるとはこれほどうれしいことだったのだ。何十年も忘れていた感覚だった。私は車という未知の世界に自分を放り込んだ。いまはちょうど、はいはいから立ち上がろうとしている赤ん坊なのだ。


そして、教官が連れて行ってくれる観光遠足、楽しみにしていた乗馬体験、合宿に一緒に参加している博多からのギャル二人組など、楽しいことばかりが続く最初の数日間を過ぎると、第3章の最初のタイトルを引用すれば、「世界が逆転する」のが面白いところ。
計画では明日が仮免試験だというのに、全くハンコが足りていないことに気が付く。

「合宿免許というのは、誰もが16日間で取れるものだと思ってました。」
「それはあくまでも『最短で』という意味なんです。それぞれの習熟度によって、若干の日数差は出てきてしまいますね」

そう、星野博美さんは、とにかく運転が不得意なタイプだった。
運転が上達しないので、逃避のために、馬場と厩舎に入り浸り、厩舎の犬の散歩をしたり、教会巡りをしたり、と、教習以外のことに精を出してしまう。一方、あまりに教習で言われた通りのことができないので、落ち込んでしまう場面を見るにつけ、もしかして、免許が取れそうで取れない話なのかも…とすら思ってしまった。


そうはいっても取れなければ本にはならない。
誰よりも長い合宿期間を経て、「寮長」と呼ばれながらも、4週間で卒業検定を合格する。
4週間の間に、色々な人と出会い、別れる。その場面だけ読んでも彼女がとても誠実な人だと分かるが、もっと厳密に言えば、彼女は「人」に対してだけ誠実なのではなくて、「機会」に対して誠実なのだと思う。
印象的なのは、登場人物の中で唯一批判される一方のオギクボさん(東京から来た合宿生でごとうの文句を言う)を非難して語る独白。

私が旅の信条としていることだが、世界のどこにもおもしろくない場所など存在しない。自分が行先に選んだ場所をおもしろがれないとしたら、それは楽しむ努力が足りない自分の責任なのだ。想定と違うのなら、その想定をチューニングするべきだ。それでもどうしてもおもしろくないというなら、立ち去ればいい。通過者にはその自由があるが、選んだ場所を批判する権利はない。


第7章は、東京の鮫洲運転免許試験場で筆記試験を合格して無事免許を取得したあとの話だ。島で卒業検定を合格することでほとんど話が終わっているのでは?と思ったが、7章では、免許取得後、都内(家の周り)を実際に練習する話が続く。「ネタ」として合宿に行くのであれば、6章まででこの本は終わりだ。しかし、周りの人間(父親)を巻き込んで、折角取った免許を生かしていこうとする彼女の真面目さが読んでいて心地よい。


最初に書くのを忘れていたが、40歳を越えてからのチャレンジだというところが一番心を動かされた部分かもしれない。最初に引用した「できないことは、「自分には向かない」と言い訳をして存在を無視する」という態度は自分にもある。
何かができるという経験を楽しむ。
楽しむ努力をする。
努力したうえで人に頼る。
世の中を楽しく生きるためのヒントが、星野博美さんの文章の中に散りばめられていると感じた。楽しむための努力を、なるべく人を巻き込みながら続けていきたい。