Yondaful Days!

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1986年の出来事予想〜清水玲子『月の子』(4)〜(6)

月の子 (第5巻) (白泉社文庫)

月の子 (第5巻) (白泉社文庫)

月の子 (第6巻) (白泉社文庫)

月の子 (第6巻) (白泉社文庫)

とにかく面白い。前回、つのだじろう先生の名前も出しながら、オカルト要素の功績を説いたが、そこは作品の本質にはあまり関係が無かった(笑)。
3巻までの基本設定の上で、それぞれの登場人物の感情が交差するのが4巻以降。
アート、ベンジャミン(ジミー)、ショナの三角関係と、ベンジャミンに敵対するティルトで役者はあらかた揃っているが、物語的には必須ではないはずのセツをめぐる状況が、話を立体的に面白くしている。
3巻で一度ショナに告白をしており、ショナ一筋ではありながら、4〜6巻のセツの成長と存在感は抜群で、名シーンも多い。

  • ティルトの保護下でティルトの言う通りにしか行動できなかった自分の殻を破り、自分の思いに従って生きようと決意するシーン(4巻P88)
  • 今まで常に相手の話の聞き役だったセツが、突如、ショナを責めるように詰め寄り、ニューヨークの街中で自分からキスをする名シーン(6巻P94)
  • 一転して、オドオドしながら、美術館で「2番目でいいんです、あるいは3番目でも4番目でも」と告白するシーン(6巻P150)
  • これらの試みが実を結び、ショナが「いつか本当にきみが女性化したら僕がきみのところにいく」といってセツにキスするシーン(6巻P156)


そんなセツに対するティルトの捻じれた気持ちがまた面白い。
4巻冒頭で、飼っている犬に「セツ」と呼んでいるように、ティルトにとって、セツは、子どもの頃から離れたことのないペットのような存在。しかし、ショナと一緒にいたセツが通り過ぎても、自分をティルトと気づいてもらえなかったことにショックを受ける。ジミーが過去の記憶を取り戻すシーンで、かつ、ティルトがセツに対する思いを再確認するシーン(4巻後半)から引用する。

何もしない点ではセツもベンジャミンも大差なかった
かえってセツの方が何もしないくらいだった。
僕はセツを愛していた
でも同じくらい憎んでもいた
その 何も知らない、何もしない汚れのないやさしさを、美しさを
(略)
僕が汚くなればなる程
セツは美しく汚れなくなる気がした
何の苦労も汚れも知らないからこその美しさ、はかないやさしさ
(略)
ぼくはセツになりたかった
セツのように何も知らずに
やさしく笑って好きな人の卵を産みたかった

ffff

勿論、アートとジミー(ベンジャミン)にも動きがある。

  • 4巻後半以降のジミーは、基本的に女性体でいることが多くなる。(ただし、ショナがキスをすると少年のジミーに戻る)
  • 5巻後半で、ジミーは自分が人魚であることも含め、1巻冒頭の交通事故以前の記憶を全て思い出す。
  • さらには、5巻ラストで初めて意識的に「力」を使って報道陣のビデオカメラを破壊し、カメラマンを失明させる
  • セツの勧めもあり、ジミーは、アートの前に女性体で現れて、すべてを告白する。(なお、声が出ないのではなく、喋れるがダミ声という設定に変わっている)
  • アートは、女性体のジミー(ベンジャミン)と過ごすうちに、自分の好きだったのは少年のジミーだったことに気が付いていく。
  • また、アートは、ジミーがチャレンジャー号を爆発させるという予知夢を繰り返し見て、ジミーを信用できなくなってくる。(ティルトが自分の力をリタで増幅させて見せている)

こういった中で、アートが(自分のために両足を使えなくなった)ギル・オウエン(ティルト)に絶対服従を誓うというところも見どころだ。(5巻中盤)ちょうど、ジョジョ第4部で罪悪感を武器に相手を無力化していくスタンド「ザ・ロック」を持つ小林玉美のやり口に近い。

7〜8巻の展開予想

さて、4巻以降、ジミー、ショナ、ティルトの予言が、次々と当たり始める。

  • 1985年11月13日、ネバドデルルイス火山の噴火(Wikipediaによれば、死者23,000人、負傷者5,000人、家屋の損壊5,000棟。20世紀における火山噴火で2番目の被害者)
  • 1986年1月26日、チャレンジャー号爆発事故(7名の乗組員が死亡)


その中で、ギル・オウエンの命は病気(再生不良性貧血症)によって来年(1986年)の春までしか持たないことがわかり、一方、どの人魚も産卵後に死んでしまうということで、アート以外の主要キャラクターのカラータイマーが点滅し始めた状態になる。
なお、産卵後に人魚が死ぬという設定は、登場人物たちがこれを知るタイミングが遅すぎるだけでなく、魔女との契約がティルトにとても有利なものだったことを示すことになり、物語の流れからすると違和感がある。
さて、結末としては、主要登場人物は全て死んでしまうということになるが、その中で、「どんな1986年」が物語にふさわしいのかを考えてみる。


まず、ティルトの企む地球滅亡計画通りに事態が進行した場合を考える。物語は、この筋書き通りに進行しているので、一番ストレートな結末ともいえる。
この場合、ティルトが言う(5巻P44)ように、

  • アートとジミーによって、チェルノブイリ原発が爆発して、地球は人魚が卵を産めない世界に。
  • それに反発する人魚たちの圧力によって、アートとジミーは自ら命を絶つ。
  • セツは女性化し、ショナの子を産む。
  • ギル・オウエンは病気で亡くなる。
  • セツ、ショナら人魚たちも産卵を終えて亡くなる。


この計画は少なくとも5巻の段階では非常に上手く行っている。まさに、デビルマンの序盤で飛鳥了が疑うような「考え通りに上手く行きすぎている」展開になっている。が、これは、本来ティルトよりも「力」が強いはずのベンジャミン(ジミー)が覚醒していないからだ。勿論、魔女との契約によりティルトの力が強くなっていることもあり、5巻でのジミーVSギル・オウエンの直接対決では、お見舞いに来たジミーに虫入り(幻)のケーキを食べさせ、蛾の一群の中に埋もれさせるようにして圧勝している。*1
しかし、おそらくベンジャミンが「覚醒」後、徐々にティルトの思い通りに行かない出来事が増えていくのだろう。
なお、ショナの立場から言えば、このケースは「次善」とはいえ、望ましい展開かもしれない。実際、ショナは、女性化したセツを受け入れる約束をしている。
ただし、セツは「力」も小さいし、ベンジャミン以上に他人任せで、生きる力もない。優しいショナとは良いカップルかもしれないが、この二人+ティルトだけが幸せになるというのでは、物語的なカタルシスがない。
なお、リアルな地球の状況としては、1986年4月26日にチェルノブイリ原発4号炉が確かに爆発し、Wikipediaによれば、癌などの死者を含まない直接的な死者数は、数百人程度にのぼったと言えそうだ。つまり、ベンジャミンの予知する「たくさん人が死ぬ」「人魚は卵を産めなくなる」世界を、リアルな地球人類は生きていると言える。

ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて33名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行った炭鉱労働者に多数の死者が確認されている。長期的な観点から見た場合の死者数は数百人とも数十万人ともいわれるが、事故の放射線被曝と癌や白血病との因果関係を直接的に証明する手段はなく、科学的根拠のある数字としては議論の余地がある
チェルノブイリ原子力発電所事故 -Wikipedia


次に地球滅亡が防がれる=チェルノブイリが爆発しない場合を考えてみる。
これはつまりジミーとアートが何らかの原因で結ばれない場合を意味するが、2人の気持ちが離れることは考え難いから、可能性としてはどちらか一方が死んでしまうというケースが考えられる。


まず、アートが1986年4月よりも前に死んでしまう場合を考える。
原因としては、ジミーが「覚醒」した力を制御できなくなった場合に、アートを何かの巻き添えにしてしまう場合が考えられる。この場合、責任を感じたジミーがアートの後を追うに違いないため、結果的にはチェルノブイリが爆発した場合と同じ結末を迎える。しかし、そうしてしまうと、物語的な盛り上がりを著しく削ぐので、可能性としてはなさそうだ。
ジミーが1986年4月よりも前に死んでしまう場合を考えても、結局展開は変わらないので、やはりチェルノブイリが爆発しないというのは難しそうだ。第一、魔女と交わした契約でティルト(ギル・オウエン)が求めたのは地球を「死の惑星」とすることなので、やはり、チェルノブイリは爆発するのだろう。
さらには、リアルな世界の状況を踏まえずに、都合のいい平行世界が描かれるのは、リアル世界の住民として納得しづらい。


そうすると、チェルノブイリが爆発するのは決まりで、あとは、ベンジャミンが「覚醒」した力を何処で使うのかという部分だが、これはティルトへの恨みを晴らす場面で使うのだろう。と考えると、さらに、派生的に起きることとして、ベンジャミンが、ティルトを倒すために発した「覇気」が、ティルトだけでなく、ティルトを守ろうと動いたセツにも影響してしまう、という展開が座りがいい。
しかし、地球滅亡に向かっているにも関わらず、いまだ私怨優先で動くベンジャミンには、どんどん読者が共感しづらくなってくる。
したがって、チェルノブイリが爆発したあと、ベンジャミンが、自分の命と引き換えに、爆発による「広がり」をとどめるバリアのような働きかけをする。その結果、地球への影響が最小限に抑えられ、地球はかろうじて「死の惑星」となることを免れる、というストーリーも考えられる。(リタは、最後になって、ティルトではなくジミーの力を増幅する側に立つのでは?)
このケースであれば、ベンジャミンはアートの卵を産むことができないが、その思いを貫くことができる。また、セツは女性化し、ショナと結ばれることになる。ティルトが、ベンジャミンと共倒れのような形で死んでしまえば、物語的なカタルシスが十分にある。


ということで、ある程度、7〜8巻の展開予想は固まった。あとは推しているキャラであるセツがどうなるのか?というあたりに期待して次を読みたい。

色々なジミー

6巻で、ビデオカメラ爆発事件後にいじけているジミーと、遊園地でその「能力」がばれたあとで女性体で部屋に現れたジミー。
後者は、上半身・下半身のバランスがおかしいのだが、少年がいると思っていたところに突如現れた女性に対するアートの印象は、こんな感じかもしれないと納得もする。

*1:いずれも、楳図かずお『洗礼』『蟲たちの家』へのオマージュか?