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驚きのテーマと驚きの解説〜山田詠美『学問』

学問 (新潮文庫)

学問 (新潮文庫)

東京から引っ越してきた仁美、リーダー格で人気者の心太、食いしん坊な無量、眠るのが生き甲斐の千穂。4人は友情とも恋愛ともつかない、特別な絆で結ばれていた。一歩一歩、大人の世界に近づく彼らの毎日を彩る生と性の輝き。そして訪れる、それぞれの人生の終わり。高度成長期の海辺の街を舞台に4人が過ごしたかけがえのない時間を、この上なく官能的な言葉で紡ぐ、渾身の長編。

「生と性の輝き」という説明を読んで、ある種のドキドキを期待できる青春群像劇かと思い込んでいたが、良い意味で裏切られた。
いや、裏切られたどころじゃなく、こんな風なアプローチで「あのこと」を掘り下げる青春小説があることに、本当に驚いた。

物語の基本構成

この小説では、主人公の仁美を中心とする4人の仲良しメンバーが小学生から高校生になるまでの成長が綴られる。物語は4編に分かれ、以下のように、4人+途中から準・仲良しメンバーとなる素子が「人生をまっとう」したあとの、雑誌の死亡記事が挟まる構成となる。

  • 学問(1):仁美は7歳というから、おそらく4人は小学2年生の夏休み。冒頭に仁美の死亡記事。
  • 学問(2):4人は小学5年生。英語塾の高見先生登場。冒頭にムリョの死亡記事。
  • 学問(3):4人は中学2年生。千穂の引越。冒頭にチホの死亡記事。
  • 学問(4):高校2年生になる前の春休み。冒頭に素子の死亡記事。ラスト直前に心太の死亡記事。


このように、物語の進行からすると将来の時間軸から振り返るように人生を眺めるという構成は、吉田修一横道世之介』に少し似ている。どちらも市井の人を歴史的人物のように振り返ることで、(小説を読んでいる)自分の人生も、実はそう捨てたものでもないのかも、と、ポジティブな気持ちになれる。
が、それと同時に、自分は彼らのように生きられるか?生きているか?という気持ちも抱く。

「さっきの話だけど、ほんと、私たちは、いつ死ぬんだろうね」
仁美の言葉に、心太は、さあ、と首を傾げました。
「いつでもいいけど・・・・・・」
「けど?」
「おれ、まっとうして死にたい」
p314

解説で村田沙耶香も引用しているが、記事の中で触れられる、登場人物たちの「まっとうして死んだ」感じがとても羨ましい。人生が長い短いは別として、それぞれが、心太の言う「欲しいもの」を手に入れているように見える。

「おれは、今のが大事だな。今、欲しいものが手に入ってればいい。だって、明日、死んじゃうかもしんないら?」p272

心太はそう言うが、「欲しいものは今すぐ欲しい」という、心太の性格は、多くの人を惹きつける代わりに、素子からは警戒され、麻子(高見先生の娘)には届かず、自らの心を傷つけることになった。
結局は、それぞれの個性に応じた道のりで、人生をまっとうしたのだ。ただ、心太の「明日、死んじゃうかもしんない」という言葉は、1人の登場人物が早くして亡くなる運命にあることも知ってしまうと、胸に刺さる。
勿論、心太の祖母の死や、野々村先生の自殺の噂など、物語の中に埋め込まれた「死」は、小説の中の彼らの人生を、より生き生きと見せる効果があるのだろう。
僕らも、身内や知人、親しい人の死を受け止め、自らの死を覚悟することが、人生を輝かせるために「人生をまっとうする」ために大切なのだ。

仁美と心太

この小説では、心太は特別な存在として描かれているが、最後に「心許なさをさらけ出して、全身で泣く」様子を見ると、彼もやはり他の3人と同様に普通の人で、ほんの少し、考え方や言動が魅力的な人物なのだろう。
ただ、仁美の心太に対する思いが非常に複雑で理解しにくいのと同様、心太が仁美をどう思っていたのかは、やはり、しっかり理解できたとはいえない。
二人は、つきあっている状態になったことがなく、仁美と千穂の会話の中でも出てくるように、仁美は、心太を信頼しているが、恋愛対象として見たことは全くないという。それならば友情という言葉で括られるような気がするが、高校時代のエピソードで、仁美が「友情」という言葉で、心太との仲を周囲に理解されて不本意に想うシーンがある。

だって、彼女は、もうずい分と長い間、彼に対して、よこしまな心を抱き続けているのです。そして、そのことを、ひそやかに楽しんでいるのです。友情などという野暮で硬質な言葉で邪魔されたくはないのです。親友というありきたりの役割を与えるには、心太は、あまりにも惜しい人なのです。p254

二人の関係性は、素子が繰り返し口にし、千穂もそう言ったように、支配という言葉を使うとうまく説明できるのかもしれないが、やはりピンと来ないところもある。次回の宿題としたい。

「儀式」と解説

外堀を埋めたので、そろそろ本題に入る。
冒頭にも書いたが、作中の言葉でいう「儀式」という難しいテーマにここまで特化した小説はないと思う。しかも、それを、いやらしくない方向から、それこそ「学問」的な取り上げ方で深く掘り下げる文章は、読み返してみても、とても新鮮だ。
特に、いかにも普通の女子小学生、女子中学生、女子高校生然とした仁美が、「欲望の愛弟子」と自称して研究に勤しむ様子は、自分にとって衝撃的だった。
中学時代に、素子から薦められて読んだヘルマン・ヘッセ車輪の下』で、ハンスがエンマに誘惑されるシーンに興奮する話(p203)などを読むと、あまり変わらない気がするが、彼女の「儀式」は、男のそれとは全然違うと言う。

もしかしたら、自慰とか自瀆とか呼ばれるものは、幸せな夜の代わりなのでしょうか。裸の写真は、本物の女の人がいない時の、野球で言うところの代打みたいなものでしょうか。そこまで辿り着くと、またもや、彼女は窮地に陥ってしまいます。だとしたら。やはり、男のしこしこと、自分のかけがえのない儀式は全然違 う。私の頭の中には、ピンチヒッターなんて誰ひとりいない!どの人も、どの情景も、大切にいつくしまれて順番を待っている。p206

さらに、高校で美術部の先輩とつきあうようになり、すでに男性経験もある仁美の独白がすごい。

生身の男は使いものにならないな。仁美は、いつしか、そう思うようになりました。自分を心地良さに導くのは、男の人の体そのものより、それが与えてくれるイ メージの断片だと悟ったのです。ばらばらにして、秘密の儀式用に持ち帰れば、実際に体を重ねている時より、はるかに能力を発揮します。空想の中で、それらは動き回り、彼女に手心を加えられて、具体性を獲得するのです。

それ以外も、「学問」を極めた仁美の男性観は、とても怖いと感じる部分がある。(ラストに至って、それは変わるのかもしれないが)
例えば、柔道部にいながら最近、美術部をかけもちして新たな自分を見つけつつある静香に対する思いが綴られた部分。

一方で、男の人に求められれば事は簡単なのに、と彼女を気の毒に思う気持ちもあります。親も友達も、そして自分さえも見過ごしていた美点を誉め言葉で教えてくれるのに、と。新たな自分を見つけようとする時、男の人は、とても有効です。p327

生身の男は使いものにならないが、こういうときには「有効」と言い切る感覚は、男性から見れば、相当に怖い。やはり、「儀式」への執着も含めて、仁美はフィクションの中の人なのか、と思って、解説を読むと驚く…。

愛の告白のような解説

とにかくこの本の解説はすごい。作家・村田沙耶香の、山田詠美への思い、『学問』への思いが凝縮された、この文章は、「解説」というよりは「告白」だ。

私が初めて足の間で自らの性の感覚に触れたとき、私はまだ幼稚園にも通っていない小さな子供だった。

から始まる、この文章から、仁美のように「儀式」のことを考え、学問に取り組んだ女性がここに実在していることを知る。


物語の最後で、仁美は「儀式」のことを何故「自ら慰める」と書くのかを理解し、納得する。ここに至って、仁美の男性観は、大きく更新されることになるのだが、それも含めて、村田沙耶香が自らの経験と重ねて解説する。
というより、「高校生の仁美に教えられた」と説明する。
つまり、小説を解説するのではなく、自分の人生が、小説によって解説されることについて書かれた文章なのだ。


多分、この小説は、人によって(特に男女で)受け取り方が異なるタイプの内容だろう。しかし、これほど強い影響を受ける読者がいる、という事実だけでも、この小説を読む価値は間違いなくある。
横道世之介』ほどエンタメしておらず、何となく物足りなさを感じてしまう部分もあるが、自分にとって新しいタイプの小説で、数年後にまた読み返して本読みとしての成長を確認したい内容だった。


次は山田詠美作品(『僕は勉強ができない』くらいしか読んだことがない)も気になるけど、やはり未読の村田沙耶香作品を読んでみたい。

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