Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

モヤモヤはインタビューで解消〜永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』

最初に書いた感想

あまりに気になるタイトルながら、実は「生きづらさ」を感じている人の本だと知り、読んでみた。
結果、とても良い本だと思った。この本に救われる人は、おそらく沢山いる。
高校生とか大学生に読ませると、勘違いして、男も女も風俗に行きたい、とか言い始めるかもしれない(笑)ので、もう少し上の世代の人に多く読まれてほしい本。


とはいえ、最初に読んだときは、綺麗すぎる、と感じた。
それは、一度どん底まで落ちた吾妻ひでお失踪日記2〜アル中病棟』を読んだときに、「社会復帰ってそんなに簡単じゃないんだ…」と思ったこととの比較からだ。ラストで世界が輝いて見えるようになり、かなり常人に近づいた現状を見て、「不幸が足りない…」と何となく思ってしまったからだ。(上から目線で大変申し訳ありません)


読み返してみると、そうではない。
現状では、考え方が変わったものの、依然としてコミュニケーションは苦手で友達はいない。スペック的な部分が大きく変化したわけではない。
それでも、「大切な何か」を掴んだことが彼女(永田カビさん)にとって大きかった。
この本の凄いところは、かつての彼女にとって何が一番不足していたのかを、徹底的な自己分析のもとに明確に表現できている点だ。しかも、それは一般的な内容ではなく、彼女に特化した「特殊解」であるところに価値がある。彼女の本気度が見える。*1


そして、その「大切な何か」を示す見せ方(構成)も、非常に考え抜かれたものになっていると思う。
レズビアン風俗でお姉さんと対峙している場面から一転、この漫画は10年前から始まる。
大学を半年で退学し、鬱と摂食障害に悩まされた時期、彼女は悩みの原因を「居場所」に求めていた。

「所属する何か」「毎日通う所」がなくなった事が無性に不安だった
「所属する何か」「毎日通う所」=自分なのだと思っていた
自分の形を支えていたものを失って消えて空気に溶けそうだった p9

しかし、新しい「居場所」として、アルバイトをやっても不安はなくならない。(ロッカーでこんにゃくを食べる話が強烈でした)

あたたかい居場所を得るにはお金以外にも何かがいるらしかった
その、お金以外の「何か」は、
物をおいしく食べるのにも、自分をきれいに保つのにも
人と尊重し合う事にも必要なものだと
後年気付くがこの時はまだ知らない p21

と、序盤は「何か」を見せずに焦らす。焦らすことで、もっと大切なことがあることを予告する。
なお、この引用部分で「人と尊重し合う」という言葉を使っているのが、自分は好きだ。
人と会話をする、人とコミュニケーションをとる、でもなく、人と尊重し合う。それはとても大事なことだし、それができるためには、ここで焦らされる「何か」が必要なのだと思う。


章が変わって第2章「前日譚」は、次のような言葉で始まる。

自分にとって親の評価が絶対だった
親から認められたい
がんばらなくても許されたい
それだけが原動力で動いていた p25

しかし、アルバイトをして貯金をし、さらに、「親の希望する正社員」を目指して面接を受ける中で、必ずしも親の評価を受けない部分に、自分が一番やりたいことがあることに気が付く。それは、マンガを描くことだった。(パン屋の面接担当から「マンガがんばれよ」と言われて、電車内で泣いてしまうエピソードが好きだ)
そこから数年間マンガに打ち込み、ついにデビュー。
物語の流れとしては、好きなマンガに打ち込むことで不安も消えて、ハッピーエンド、となっても綺麗なのだが、予想とは違って、このあと彼女は精神的に辛くなり、病院で薬を処方してもらうようになる。
第1章の序盤で焦らされた「何か」というのは、「マンガを描くこと」ではなかったのだ。この漫画は、ここからが面白い。


薬を飲んで状態が改善した頃、自分の不安を生むものが何かを探ろうと、さまざまな本やWEB記事を読んでいた彼女は、自分に「誰でもいいから抱きしめてほしい」という欲望があることに気が付く。(このときの、「フリーハグ」と地元名を入れて毎日検索していたという話には、大変だとは思いながらもちょっと笑ってしまう)
そしてここに来て、やっと、今まで自分に足りなかったこと、第1章から焦らしてきた「何か」に気が付く。

私…自分から全然大事にされてない
(略)
自分を大事にできないから、
何を思っても自分から「大した事ない」扱いされる
だから何がしたいかわからないし、ついには何も考えられなくなってしまった p55

自分で自分を大切にすること、自分の本心に耳を向けることが「物をおいしく食べるのにも、自分をきれいに保つのにも人と尊重し合う事にも必要なもの」だったのだ。
それでは、彼女自身は、何がしたいのか、どんな本心を持っているのか。
(ここからが、彼女の「特殊解」だと思う。)


ここで初めて自分自身の性欲と向き合う。
彼女は、性的な事を考えてはいけない、性的な事なんか一生自分には関係ないまま死ぬと思っていたのだった。でも、自分の気持ちに素直になるために、これまで心の奥底に押し込めてきた「性的な事」に目を向けるようになる。


やっと自らを解放し、レズビアン風俗について検索しまくった翌日、世界が広くなったことに気が付く。(ここから第3章)

「親のごきげんとりたい私」の要求じゃなく、私が私の為に考えて行動している。
それがこんなに充実感のある事だなんて

ここの理屈が面白いのだが、レズ風俗について考えるようになってから、自分の身だしなみを気にするようになり、(雑念が多く集中できなくなるという弊害はあったが)仕事も頑張ってできるようになったという。後者はホントにそうかなあと思うが、わからなくもない。
世の中の「幸せな人」には、仕事に生きがいを感じて、それに打ち込んで幸せを掴む人と、仕事以外の「雑念」に振り回されながらも幸せに生きる人がいると思う。自分は、明らかに仕事に生きがいを感じるタイプではなく、彼女と同様に、レズ風俗(的な何か)で得たエネルギーを使って、日々の仕事を頑張るタイプな気がする。


かつ、重要なポイントがあると思う。
例えば、「レズ風俗」ではなく、「フィギュア集め」を、(これまで抑えてきたが)本当に自分のやりたいことだと気が付いた人がいて、この話のような展開になるかといえば、ならないと思う。
自分の気持ちに目を向けたときに出てくるものは、多分、永田カビさん以外の誰が考えても、人との接触、それこそ、最初の引用にあった「人に尊重される体験」なのではないか。つまり、「レズ風俗」というのは特殊解だが、一般解も、そこからあまりずれていない場所にある。
「そこ」に人がいるからこそ、身だしなみを気にして、自分を大事にするようになるし、それへと向けた無限のエネルギーが生まれてくるのではないだろうか。

改めて書いた感想

…と、ここまで書いてきたが、どうもしっくりこない…。
感想の文章自体も最初は良かったのに、何かズレてきた気がする…。
よく考えてみると、なんというか、この漫画にはしっくりこない部分が何点かある。
明るいラストを見て、「よかったね」と思う一方で、落ち着かない部分が少しだけある。


⇒本当に、「レズ風俗」が彼女を救ったのか?
まず、なぜ彼女を「レズ風俗」が救ったのかといえば、大きな一つの要因としては、それが「親のごきげんとりたい私」から一番離れた「自分のやりたいこと」だからだろう。
ラストで彼女はこう書いている。

高校を出てからの10年位、行動の選択肢に常にあった「死」が初めて保留になった
今までずっとどうしてみんな生きていられるのか不思議で仕方無かった
きっとみんな何か私の知らない「甘い蜜」のようなものを舐めているんだと思った
それが今、急に口に大量に注ぎ込まれたような感じだった
生きる理由、生きる力、この世の場所、何が「甘い蜜」となるのかは人によって色々だと思う
(略)
私が最後にまともな生活をしていた頃である高校時代は
友達がいてくれる事でほめてもらえる事が甘い蜜だったから
友達のいる状態に戻る事しか満たされるすべは無いと思ってたけれど
手ごたえを持って描ける物がある事、自分の描いた物をたくさん見てもらえる事
「何によって自分の心が満たされるのか」がわかった気がする
発信して人に届く事、人に認めてもらう事だ

つまり、前回、デビューして「まるで長い洞窟から外へ出られたようでまったく新しい自分になったよう」と感じていたにもかかわらず「2年も経つと魔法が解けたように苦しくなった」のは、マンガの題材が「手ごたえを持って描ける物」では無かったからだ。そして、「親のごきげんとりたい私」が、自分の本心を閉じ込めていたからだ。
それに加えて、彼女が「レズ風俗」で救われたのは、彼女がマンガ家であり、マンガの題材として「レズ風俗」が新鮮だったからという要因が大きい。pixivという媒体の存在や、体験漫画のニーズが増えているという現在の社会状況ももちろん関連する。
その意味では、彼女が商業誌デビューしたときの二の舞にならないためには、「レズ風俗」以外の新しいネタを仕入れていかなくてはならない。もちろんすべての漫画家に言えることなのだろうが、その意味では、これからの頑張りが重要で、「甘い蜜」として彼女の心を満たした「発信して人に届く事、人に認めてもらう事」というのは、継続性があるわけでは全然ない。


と考えると、第4章(当日編)で、レズ風俗のお姉さんに会いに行く前と帰り際に2度口にしているように「友達をつくること」が、彼女を真に救うことになるのかもしれない。今は人気だから何とか大丈夫だが、人気がなくなったときに、独りだときっとまたきつくなる。自分でもそれを心の底で思っているからこそ、ここでわざわざ2度も「友だちがほしい」と書いているのではないかと邪推する。


⇒親のことをどう思っているのか?
邪推ついでに言えば、「親のごきげんとりたい私」が自分の本心を閉じ込めていた状況と、かなり長い間「正社員になれ」と親に言われ続けてきたことから考えると、もっと親を恨んでも誰も文句を言わないと思う。にもかかわらず、親への批判は避けているように見えるのが気になる。
おそらく、彼女はとてもいい人なんだと思う。思うけれど、一時はブームになるほど「毒親」という言葉が溢れており、実の親を批判することは、それほどレアケースではない。親の問題も否定できない部分があるにもかかわらず、親への文句が全く出ないのは少し気持ちが悪い。
何か整理できていない部分があるのだろうか。


⇒彼女はレズビアンなのか?
そして最後に、彼女が本当に女性を好きなのかどうかがよくわからなかった、というのも、ちょっと気持ちが悪い。「性的な事」を避けてきたのは分かるが、マンガの中で2度登場するレズ風俗の場面を読んでも、彼女がそれを本当に望んでいるのかよくわからない。
そもそも、「レズ」という(通常侮蔑の意味も含まれる)言葉をここまでおおっぴらに言いながら、性的指向についての悩み描写もカミングアウトも、そして恋愛体験も一切書かれていない本というのは、ほとんどないんじゃないかと思う。
唯一書かれているのは、「フリーハグ」という言葉で検索しまくる場面での自己分析。

ところで、フリーハグ程度なら性別問わないのだが
それ以上の事をしたい対象が なぜ女性かというと
自分が「自分」である前に「女」であると
過剰に定義されるのが怖いというか...
後はもうとにかく男体より女体に性的な興味がある
でも特定の女性に性欲を抱くわけじゃない…みたいな


これだけ理路整然と自分の悩みを言語化していくこの本の中で、自分で自分をレズビアン認定する場面がこれだけしか無い、というのは、本当にしっくりこない。そして、そもそも、「誰かを好きになる」ということをベースにしなければ、性的指向を語ることは無理なのではないかと思う。しかし、この本には、それが無い。
ただ、やはり、彼女は「性的な事」を考えること自体が本当に苦手なのではないか、という気もする。
特に、(「創作物の描写」を改めるよりも)「性に関する正しい知識」を学校などでしっかりと教えるべきという話が、突然に、前後の脈絡とあまり関係なく表れる場面(p118)状況を見るにつけそう思う。。
そうすると、どういう覚悟を持って「レズ風俗」などという言葉をタイトルに選んだのか、と軽い怒りが沸き起こってきてしまう。そもそも、この本を読む前に本の内容として想像していたのは「レズ風俗って何?」ということしか無かったから、読者を騙すタイトルであることは確かだろう。
別にバイセクシュアルや、アセクシュアルの人もおり、グラデーション的な違いがあるんだから、男女どちらに性欲を感じるのか、という部分を追求する必要もないのかもしれないが、漫画を読む限り、彼女がレズビアンであるとは何だか信じられなかった。(むしろ田房永子が熱望するような、安全な形での「女性向け風俗」を、彼女が真に求めているのでは、とも思う)


cakesアンケートを読んで

ということで、この本がしっくりこない原因は(1)本当は友だちが作りたいということの方が彼女にとって重要では?(2)本当は、親のことを憎んでいるのでは?(3)そもそもレズビアンという自己認識が誤っているのでは?という3つにあった。
ここまで書いたとき、CAKESにインタビューの前半を読み、後半に、どうも自分の疑問に答えてくれそうな内容が載ることを知り楽しみにしていた。
…で、読んでみると、まさに、自分がモヤモヤしていたことが載っていた!!
また、そこからリンクの張ってあったpixiv連載中の『一人交換日記』もモヤモヤを吹き飛ばす内容だった。

“人肌”は、自分のすべてを救ってはくれなかった|永田カビ @gogatsubyyyo |『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』永田カビインタビュー

一人交換日記 - 永田カビ | 無料試し読み 【pixivコミック】


⇒(1)本当は友だちが作りたいということの方が彼女にとって重要では?
まず「レズ風俗」に救われたのか?という話については、まさにインタビューで答えている。

最初にレズ風俗に行ったきっかけである「人との接触で心満たされればすべての苦しみから解放される」神話が、まだ自分のなかで根強いんでしょうね。3回 行ってみた今、初対面で数十分しか会えない、しかもプライベートは聞いてはいけないマナーになっている相手と触れ合っても「すべての苦しみ」からは解放さ れないというのはわかったのですが……。
なので、レズ風俗は今のところの非常手段であって、他の方法も模索中です!

一人交換日記の第2話でも「私のこと好きじゃない人にお金払って虚しくなりに行くのか!」と脳内の自分がツッコミを入れているが、やっぱり、それでは救われないことは分かっているのだ。
で、インタビューでは、「他の方法」として、「昔の友だちでも仕事関係の人でも、それこそネットで知り合った人でも、機会があれば会うようにしている」としている。
そうだよね、それしかないよね、と改めて思う。


⇒(2)本当は、親のことを憎んでいるのでは?
一人交換日記では、『レズ風俗レポ』に比べると、より煩いものとして親が描かれており、特に第5話では母親に対する複雑な気持ちを打ち明けており、とてもスッキリした。

数年前まではずっと
私がしんどいのは全て
お母さんのせいだと思っていた。

から始まり、母も被害者だったのでは?ということに気づき、母を見捨てて実家を出ていいのかと悩むこの回と、そして第3話での、父親への激しい怒りを露わにするシーンで、自分のモヤモヤは完全に晴れた。親に対する憎しみについては『レズ風俗レポ』では話がわかりにくくなってしまうため、封印していたのだろう。
それにしても『一人交換日記』は、彼女の悩む様子だけでなく、悩んでいる状況に対する分析が上手く、それにもかかわらず、物事が全く思い通りに行かない(部屋を借りなおす話には衝撃を受けました…)ため、本人は大変かもしれないが、読者側はスリルを感じながら読める。リアリティTVみたいで、外から見ている自分に少し感じる罪悪感がまたスパイスになっているのかもしれない。ということで、限りなく悪趣味な感じもするが、自分は永田カビさんを応援しています。


⇒(3)そもそもレズビアンという自己認識が誤っているのでは?
これについては『一人交換日記』でも全く言及なし。結局、「人肌」至上主義ということで、それを満たせるサービスが「レズ風俗」ということなのでしょう。自分がレズビアンではないのに、タイトルに「レズ風俗」を謳うのはやはり気持ちが悪い。自分はLGBTについて詳しくないけれど、ノンケの男の人が『さびしすぎてゲイ風俗(ホモ風俗)に行きましたレポ』を書いたら、とても差別的な感じがするので、このタイトルについては、やっぱりちょっと引っかかりは残ったのでした。


ともあれ、『一人交換日記』は、とても面白く、何となく読んでいるこちらも励まされ、福満しげゆきの『僕の小規模な失敗』を思い出しました。これからの作品も楽しみにしていますので、頑張りすぎないように時々休みながらマンガを続けていただければと思います。

参考(ブログ内リンク)

*1:以前読んだストーカー本によれば、一般解は、一時しのぎ、成り行きまかせ、様子見、分析にとどまる意見など、現状を変えることにはならないアドバイス。それに対して特殊解は、まさにその人が直面している問題点に即した個別で具体的な回答。