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心の性について考える〜毎日新聞「境界を生きる」取材班『境界を生きる 性と生のはざまで』

境界を生きる 性と生のはざまで

境界を生きる 性と生のはざまで


いわゆる性的マイノリティについて語られるときに使われるLGBTのうち、T=トランスジェンダーについては、以下のような説明をよく目にしてはいたが、イマイチどのようなものなのか理解できなかった。

LGBT. レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー性同一性障害など心と体の性が一致しない人)の頭文字に由来し、性的少数者を意味する。
LGBT(えるじーびーてぃー)とは - コトバンク

LGBなど、性的指向の問題である場合、自分の恋愛対象のベクトルを変えることで、想像ができる。
しかし、性自認の問題、つまり「心と体の性が一致しない」という状況がどういうことなのか、については、恋愛経験の置き換えはできない。「自分の体が男であること、もしくは女でないこと」について考えたことが全くない場合、想像をすること自体が困難なのだ。


しかし、この本は、性同一性障害GID)だけでなく、性分化疾患DSD)についても対象として書かれており2つを合わせて読むことによって、これまで理解しにくかったことが想像しやすくなった。

性分化疾患(第1章)

序章〜第一章は「性分化疾患」について書かれている。

この世界は「男」と「女」だけでつくられていると考える人は多いだろう。
子どもの性別はお母さんのおなかの中にいるときから決まっていて、誕生したときには外見で確かめるだけでいい。
でも実際には、生まれたばかりのわが子を抱いた瞬間に「男の子と女の子、どちらにしますか?」と医師から決断を迫られることがある。生まれたときは「男の子」 あるいは「女の子」と言われても、成長してから体の性があいまいであると分かったり、「心の性」が反対であると気づいたりする人もいる。(帯文)

帯文にも書かれている通り、生まれたときに外性器で男女の区別がつかない、また、染色体もXXとXYが混在している場合がある。それでも出生届には男女の別を届ける、もしくは、進学などで男女どちらの性を選択するか判断が必要となる。
生まれた直後に、どちらで生きていくのが望ましいかを家族が決めた場合、性腺の摘出や外性器の形成手術などで選んだ性に近づけていくことが多い。しかし、医師の誤診などもあり、選んだ性と「心の性」の不一致に悩む場合も多いという。
本の中では、小学4年生になった娘に「男の子、女の子、どちらにするか」を決めてもらうケースや、不妊治療の検査で自分の疾患に気が付くケースなど様々な例が紹介されている。
違和感を感じながらも男性として育てられた人が、小5のときに突如、初潮を迎えて驚くというプロローグの例も興味深く読んだ。親の意向で、男性ホルモンの投与や胸を小さくする手術を受けるも、結局、違和感が取れず、今は体を女性に近づける治療を受けているという。
3章で紹介されている、第二次性徴が起きない疾患では、24歳からホルモン療法を始めるも、体の変化やこれまで感じたことのない性欲にとまどい、「治療」をストップさせた事例もあった。
いずれの例を見ても、「性を決める」ということが難しいことがよくわかる。
このように、性分化疾患の事例を見て行くと、手術やホルモン投与など「治療」としての側面も含むだけに、本人の悩みの深さは想像に絶するものがある。さらに、両親に目を向ければ、子どもが幼い頃に適切な「治療」を行えば、心の性と体の性が一致する方向に手助けをすることが出来る(出来た)かもしれない、ということで、こちらも色々と悩みは尽きない。

性同一性障害(第2章)

この流れで、「性同一性障害」について書かれた第2章を読むと、性自認の問題が、単なる「価値観」のような自己認識・自己評価とは違う、もっと根源的なレベルで存在する問題であることが分かった。
表紙にも登場している小林空雅さんは、中学から男子生徒として通学し、高校の弁論大会では、自分の抱えてきた悩みをこのような言葉で伝えている。

私は男ですが、体のつくりは女性として生まれてきました。
(略)
眠っている間さえも、本当の性別と異なる性の体と生活している違和感から逃れることができません。このような障害の苦しみは、本人以外の誰にも分かりません。


空雅さんは小学校高学年の頃から「自分は頭がおかしい」「宇宙人なんだ」と言うようになったと母親が語っているが、確かに、心の性と体の性が一致しない状況を示す言葉としては、そんな言い方しかできないのかもしれない。


2章の中では、「治療」についても触れられているが、「トランスジェンダー」と「性同一性障害」という言葉の使用法を考える際に、「治療」というのは大きな要素のようだ。

歴史的に見ると、『性同一性障害』という言葉はわりと新しい言葉です。 日本では、『トランスジェンダー』の中でも性別適合手術などの身体的治療を望む人たちが社会的に認知され、法的な整備もされ始めた2003年頃から『性同一性障害』という言葉が知名度を持つようになりました。 ただ、『トランスジェンダー』の人全員が身体的治療を望んでるわけではないのです。なので中には『トランスジェンダー』=『性同一性障害』と認識されてしまい、困惑している人もいます。心と身体の性別に違和感があっても、その度合が人それぞれであるように、社会的に身体的にどのような性別でいたいのかも多様なのです。
"性同一性障害"と"トランスジェンダー"ってどう違うの??| Letibee LIFE

このような状況にあるにせよ、性同一性障害の人が医療的サポートを受けたいと思う場合は、第一段階が精神科での診断とサポート、第二段階がホルモン療法や乳房切除、第三段階で性器の外科手術と進む。
ホルモン剤は健康リスクもあること、第二段階以降は自費診療になるため経済的負担が重いことなどの問題があるそうだ。
一方で、子どもの段階で性同一性障害と診断されても、成長とともに体の性別への違和感がなくなることも少なくない、ということで、ここも判断が難しい。

性と生のはざまで(第3章)

3章では、結婚や子どもの戸籍、海外の取り組みなど、性分化疾患性同一性障害の当事者が生活をしていく上での問題が取り上げられている。
また、最後に「第三の性」の可能性に関連して、日本生命倫理学会初代会長の星野一正・京大名誉教授による論文「性は『男と女』に分けられるのか」についても取り上げられている。
最近、アメリカで話題になったトイレ論争についても、出版時期によっては、この章で取り上げられた話題だろう。トイレ論争についても、全く実感がわかないニュースだったのだが、この本を読んで理解が進んだおかげで、改めて考えなおすことができそうだ。


エピローグはこんな言葉で締められている。

性別のあり方に苦しむたくさんの子どもや若者が、心の危機を抱えながらぎりぎりのところで生きている、そんな社会を作っているのは、私たち一人一人に他ならない。人々の意識が変わることで、救える命がある。
無関心という「罪」をこれ以上深めてはいけない。


先日、一橋大学アウティングに関する記事を読む中で、東京都青年の家事件の判決文について触れたコメントを見かけた。これは、同性愛者の団体に対し、東京都が「青少年の健全な育成に悪い影響を与える」として宿泊施設「府中青年の家(閉鎖)」の利用を拒絶したことについての損害賠償訴訟である。
判決文では、「無関心であったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである」「怠慢による無理解」といった強い言葉で東京都を非難している。

1997年9月16日に 東京高裁は「青少年に対しても、ある程度の説明をすれば、同性愛について理解することが困難であるとはいえない。」「都教育委員会を含む行政当局として は、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心であったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。」とした。そして「行政側 の処分は同性愛者という社会的地位に対し怠慢による無理解から、不合理な差別的取り扱いをしており違憲違法であった」として全面的に団体の請求を認める判決を下した。
東京都青年の家事件-Wikipedeia


20年近く前の時点では、「公権力の行使に当たる者」に求められた内容であるが、2016年の今では、そうでない一般人にも「怠慢による無理解」が求められる時代に入ってきているのかもしれない。人数比からすると、既に見知っている人や、これから付き合う人たちの中に、こういった悩みを抱えている人がいてもおかしくない。知識があれば人を傷つけることを減らすことが出来るのだから、少しずつでも勉強を続けていきたい。

参考図書

作中で取り上げられている性分化疾患についての漫画、六花チヨ『IS』は読んでみたい。