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癖のありすぎる「金字塔」〜あさのあつこ『バッテリー4』

バッテリー (4) (角川文庫)

バッテリー (4) (角川文庫)


既に5巻まで読み終えているが、この巻あたりから『バッテリー』は、スポーツ小説ではなく独自ジャンルの小説になる。
3巻までは山あり谷ありはあったが、まだ、野球少年たちをめぐるスポーツ小説の範疇に入っていた。
それどころか、暴力事件が原因の活動停止期間が明けた直後の横手二中との練習試合。ついに、実際の試合での天才スラッガー門脇と原田巧との対決が…。ここから全てが始まる!と言うような「引き」で終わった3巻。
これを受ければ、4巻は、まさにスポーツ小説の醍醐味が描かれる巻になっていたはずだ。


しかし、そうはならない。
この外し方(期待の裏切り方)は相当なもので、自分は『バッテリー』の魅力に引き込まれていながらも、何故ここまでトリッキーで癖のありすぎる小説が、児童文学の金字塔という呼ばれ方をするのか疑問を感じてしまうほどだ。

まつり(練習試合)のあと

4巻は10月最後の日から始まる。
横手二中との練習試合は9月最後の日曜日に行われたので、試合が終わって1か月後の話だ。
話の構成として、試合開始直前から試合終了後のシーンに話が飛ぶという倒叙形式は、スポーツ漫画なんかでも無くはない。
しかし、そこでの敗北があとを引きずり、新人戦も秋季大会も、巧−豪のバッテリーが試合に出ないままに過ぎてしまうというのは、物語上の流れとはいえ異常過ぎる。



2人が突如崩れた原因については、何度か瑞垣が説明してくれる。

おまえじゃ、姫さんのキャッチャーはつとまらん。おまえら二人じゃ、バッテリー組むのは無理や。
(中略)
姫さんみたいなタイプには、上手いこと合わせていかなあかんのや、おまえみたいに必死こいて、対等に付き合おうとするとな、ボロが出る。それが今日の結果や。バッテリーがお互い足引っ張りおうて、もたれ合って、ふふん、門脇やないけど、ほんま、ぶざまさらしたな、永倉。
(p79:瑞垣→永倉豪への言葉)

「おまえ、まだ気がつかねえの。姫さんは、おまえを見てたんじゃねえ。永倉を見てたんだ。相手が誰であろうと、永倉が、要求する球だけを投げてたんや」
「ああ…で、永倉の集中力が、プッツンしちゃったから、一緒にプッツンか」
「そう。そこが、姫さんのどーしようもなくアホなとこで、もしかしたら命取りになる弱点で、欠点で、かわいいとこやな。で、おれ、行ってくるわ」
(p163:瑞垣、門脇の会話)

そうだ、あのとき、おれは全部知ってしまった。おれにとって、受けるだけで精一杯の球を、全身全霊を使って向かい合い、捕った後、ぷつんと切断の音がして集中力を失うほどの球をあいつは、表情も変えず投げる。投げられるのだ。
瑞垣の声がする。
…おまえ、あれ以上の球がきたら、捕れんの?
捕れない。無理だ。置いていかれる。あの快感の記憶だけ残して、おれは巧に、置いていかれる。
(p92:永倉豪の独白)


これらの原因説明が間違っているというわけでも非現実的であるというわけでもない。
実際に、このようにして調子を崩すピッチャー、バッテリーはいるだろうと納得させられた。
エヴァンゲリオンで言うシンクロ率が落ちている状況に当たるだろう。
しかし、そのことが、その後1ヶ月間キャッチボールすら行わない関係に繋がるか、と言われれば疑問である。少なくともチームメイトにしてみれば納得がいかない。


これまで読んできたスポーツ漫画との比較で言えば、対決物の醍醐味は、ライバルとの対戦まで様々な敵を倒して勝ち進み、主人公が成長していくこと。
横手との練習試合に負けた新田東が、秋季大会を勝ち進んでいく中でチームとしての強さを備え、そこで改めて再試合、という方がすっきり行く。今回は引退する3年生チームを相手にしているので、無理なのだが、本来ならば、県大会の決勝で再選、という形が王道だろう。
勿論、物語上の要請だけではなく、他の登場人物の気持ちを考えても、このストーリー(巧−豪のバッテリーがその後の試合に出ない)はすっきりしない。全国レベルで戦える可能性のある原田巧というピッチャーを擁していながら、その力を見せつけることが出来なかったオトムライ(監督)や、2年生の野々村(キャプテン)、そして1、2年生のチームメイトたちは、練習には参加するがキャッチボールもできないままの二人をどのように思っただろう。


ちょうどよい機会だと、(バッテリーの舞台である)岡山県の中学野球について、ネット上を見て回ったが、少ない人数ながら秋・夏の連覇を目指す野球部のHPや、Yahoo!知恵袋で対戦チームの情報を仕入れようとする必死の書き込み(笑)などを見るにつけ、秋の大会で好成績を収められなかった新田東の悔しさは相当なものだろうなと、改めて想像した。

強い憎しみを含んだ愛情

さて、この巻での「バッテリー」の二人。
3巻で巧に殴りかかった豪は、横手との練習試合で、巧のピッチャーとしての才能に惚れ直しながらも、巧のことを嫌いになっていく。

ジコチュウで、生意気で、プライドが高くて、今まで会った誰よりも扱いづらくて、難しい。一緒にいると、はらはらしどおしだった。なのに、惹かれた。誰も教えてくれなかった歓喜を、興奮を、感情の高ぶりを、たっぷり味わわせてもらった。
同じ場所で同じ時間を共有できる、奇跡のような偶然を感謝した。しかし、今は、のんきに感謝していた自分が、おかしい。
「あいつが、嫌だ」
声に出して呟いてみる。
巧が、嫌だ。あいつが、嫌いだ。
巧は、いつも、簡単に答えられない問ばかりつきつけてくる。ぎりぎりの所に人を追い込んで、自分だけは、自分を信じ切って、凌いで、深い傷も負わず、成長していく。オトムライの言うとおりだ。他人を惹きつけ、混乱させるくせに、支えることも励ますこともできない。
p102


面白いのは、瑞垣、門脇という横手の幼馴染コンビにも似た関係があるところだ。

秀吾が嫌なやつなら、野球が天才なだけのアホなやつなら軽蔑もできた。それがどうだ。単純でおりこうさんでマジメくんだ。鼻持ちならない傲慢さも、他人を見下す愚かさも、ない。天才で、けっこういいやつで、幼なじみだ。最悪だろう、海音寺。おまけに、このおれは、野球を諦めることも割り切ることもできずに、門脇の後ろ、横手の五番を打ったりしている。最悪最低。気がついたら、もう15だぜ。
俊二は、ゆっくりと煙を吐き出した。
p159


あさのあつこは、仲が良いだけの友情を信じない。
憎しみの中の友情・愛情、依存と裏腹の信頼、陰と陽の両面に常に目を向けながら、ご都合主義のストーリーを回避するように物語を構築する。迂回の程度が、いわゆる王道からもっとも離れているのが、この4巻。ラストでは、吉貞と瑞垣の漫才の掛け合いがありつつ、青波がピッチャーで横手の2人を相手する、ある種の「夢のオールスターマッチ」が組まれているが、それでも巧と豪のバッテリーの間には不穏な空気が漂ったままだ。
しかし、こういった物語の歪(いびつ)さこそが、『バッテリー』を何度も読みたくなる部分だし、ここまであからさまにエゴが出るのも、中学生という年齢設定ゆえなのかもしれない。
ということで、巧と豪のバッテリーには暗さが目立つが、原田巧を「姫さん」と呼ぶ瑞垣や吉貞、そして海音寺など、バッテリー以外のキャラクターが活躍するこの巻は、やっぱり面白いのでした。