Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

顔をめぐる2冊〜山口真美『自分の顔が好きですか?』×中村うさぎ・石井政之『自分の顔が許せない!』

タイトルの似た本を2冊まとめて読んだ。
一冊は、安心のブランド(!)、岩波ジュニア新書『自分の顔が好きですか?』、もう一冊が、やや色物のイメージがある平凡社新書『自分の顔が許せない!』。
タイトルは似ているが、読んでみると方向性の全く違う2冊で、合わせて読んで正解だったと思う。
なお、自分は「自分の顔」に対して、強いコンプレックスを感じていたり、美容整形をしてみたいと思ったことは無い。それでも、当然、「自分の顔」が、他人にどう見られているのか、逆に、他人が「自分の顔」をどう見せようとしているのか、は気になる。「自分の顔」が気にならない、という人はいないだろう。
その意味では、2冊とも、誰もが気になる本のタイトルだと思う。

山口真美『自分の顔が好きですか?』


予想とは違って(何が違ったのかは最後に改めて書く)、顔を見るときの認識・知覚の問題について、心理学や脳科学の成果や実験結果を知ることができて、とても興味深かった。
面白かった部分を列記する。

  • 鏡の顔では確認できないが、左側に見える顔(顔の右側)が、印象を強く作り出している。(顔を見るときによく働く脳の右側の部位が担当する視野の左側であるため)p13
  • 物の識別と顔の識別にかかわる脳の部位は異なり、「相貌失認」と「物体失認」は、別の症状として現れる。(物体失認者は、トランプをトランプと認識できないが、ジョーカーやクイーンの顔は認識する)p26
  • 顔を見る能力は30歳になるまで成長し続ける。p34
  • 顔を認識するの感覚とは別に、親しい人を見て「よく知っている」「懐かしい」などと思う感覚が存在する。前者を失うのが「相貌失認」で、後者を失うのは「カプグラ症候群」。カプグラ症候群の人は、親しい家族や友人たちが、瓜二つの替え玉になってしまったと感じる。p38
  • 生まれたばかりの赤ちゃんは、人間に限らず、ニホンザルなど、あらゆる種類の顔を区別する能力を持つ。しかし生後9か月を過ぎると、その能力は失われる。p45
  • 恐怖をつかさどる偏桃体は成人するまで成長し続け、思春期では大人よりも過敏に反応する。(大人になると減る)p53
  • 白目が大きい面積を持つのはヒトの目だけであり、そのせいで視線が判別しやすい。p69
  • 白目と黒目を反転すると、誰の顔なのかがわかりにくくなる。p74
  • 赤ちゃんは、目が開いた顔を好み、同じ目が開いた顔でも、視線が合っている顔を好むため、一度目があってしまうと、注目され続けることになる。p83
  • ディスクレシア(言葉の読み書きが苦手な障害)は英語を使用する国に多く出現するので、幼少期の英語学習には十分配慮する必要がある。p95
  • 日本人は生後7か月から、表情を見るときに、目を注視する傾向がある。(欧米は顔全体を見る)p98
  • 偏桃体に損傷があると怖い顔がわからない。一方で、偏見の強い人ほど偏桃体の活動が高い(実験では「白人は良い人で、黒人はわるいやつ」という偏見を調査)p155
  • 人見知りに該当する言葉は、日本以外にはなく、赤ちゃん時期以降も人見知りが続くのは日本人の特徴。p157
  • かわいい子どもを示す特徴に、ヒトは自動的に反応する(保護したくなる、触る)ようにできている(ベビースキーマ)p171


と、今まで知らなかったことを知ることができて非常に良かったのだが、タイトルから想起されるものと内容が合っていないように思う。つまり、「自分の顔が好きですか?」という問いかけは、「自分の顔」に不満を持っている人に強く働きかけるから、対象としている読者は「顔」に興味がある人よりも「自分の顔」に興味がある人だろうと。そういうコンプレックスに対する対処について書かれた部分が多いのだと思っていたが、その部分は少ない。
したがって、全体として納得できる内容だけれども、最初に、面白そうだな、と本を手に取ったときの気持ちは満たされない。それは、繰り返すが、「自分の顔」の問題は、美意識、自意識の問題と切り離せないという気持ちがあるのに、脳科学的な知覚・認識の部分に特化した内容になってしまっているからだ。
もちろん、作者もそのことには意識的で、美醜の問題を何度か取り上げるが、何となく綺麗事に終わっている感じがしてしまう。ラストも、取り上げた図が非常に適切で、上手く着地していると思うが、スルリと逃げられた感じだ。

外見的な美醜だけで顔を判断するとしたら、それは人間として単純すぎるのかもしれません。魅力は動物としての本性から出たものですが、人間は動物よりもずっと複雑な社会に生きているのです。そんな社会の中では、魅力的な顔よりも「いい顔」であることの方が大切なのです。
複雑な人間関係の中で、他人や自分を偽ることなく、楽しく生きているか。自分や他人を大切にしているか。そんな生き方が顔にあらわれ人間的な魅力となるのでしょう。みなさんには、そんな魅力を感じることができる人になったもらえたらと思います。

いや、ジュニア新書だから、やっぱりこの終わらせ方が正解だ…。

中村うさぎ石井政之『自分の顔が許せない!』

自分の顔が許せない! (平凡社新書)

自分の顔が許せない! (平凡社新書)

こちらの本は美意識、自意識と切り離せない問題として、顔を扱う。
二人とも著書を読んだことはないが、中村うさぎはワイドショー的なネタとして話題に上ることがあるから、どんな人かは知っていた。石井政之は初めて知ったが、Wikipediaを引用すれば、このような人。

石井 政之(いしい まさゆき、1965年7月 - )は、日本の評論家。1990年よりフリーライターとして活動を始める。生まれつき顔に大きな赤あざ(単純性血管腫)があり、そのことをきっかけに顔面や肉体の奇形・変形についての著作を多く書いている。
石井政之:Wikipedia

かつて、ユニークフェイスというNPOの代表を務めていたが、2015年に解散しているようだ。*1(この本は2004年出版なので、精力的に活動している頃の内容)

特定非営利活動法人ユニークフェイス (unique face) は、病気や怪我などによって変形したり、大きなアザや傷のある顔や身体を持つ当事者を支援するNPO法人。また、その当事者の総称として扱われることもある。
ユニークフェイス:Wikipedia


面白いのは、中村うさぎ石井政之それぞれが(特に石井政之が)、相手の考えに対する違和感を隠さずに発言を繰り返すこと。お互いが、これは譲れないという部分があるので、安易に相手の言うことに深く頷いたりしない。結局、平行線のまま話が進んでいくことになる。(例えば、石井は美容整形業界に終始否定的な目を向けており、「美容整形の女王」を相手に、そうした発言を何度も繰り返す。)
また、話は自意識に留まらない。相手からどう見られているかを意識するということは、自分が相手をどう思うか、を意識することになるから、自分が持つ「差別意識」に話が及ぶ。
本の中で、一番「こんなこと聞くのか!」と思ったやり取りは以下の部分。

中村:石井さんはいろんな顔の人とお会いになって、こう言っちゃなんですけど、「おれは、こんなふうでなくてよかったな」と思うことは、ありますか。
石井:あります、あります。こういうことをちゃんと言う人も珍しいと思いますが。僕は、顔のアザの面積がもっともっと広い人を見ているので、ああいう身体に生まれなくてよかったなと思いましたよ。p192

二人だから出来るやり取りなのかもしれないが、あまりこういう文章を読むことがなかったので驚いた。ただ、石井は、自身がそう感じるように、「建前の言葉」にはうんざりしているので、相手を傷つけない範囲で「本音の言葉」で向き合いたいという。そして、そういった「言葉の力」で、苦しんでいる人をサポートしたくて、ユニークフェイスなど自身の活動を続けているという。
そういった、石井の考え方は「ままならない身体」と付き合ってきた経験から、すべてを考える、という部分をベースにしている。

僕は生まれたときから、自分の身体はままならないものだというふうに、たたきこまれているわけですよ。思い通りにいかないものなんだと。他人が自分を見る評価も、自分の思い通りにならないということをね。 p185

ゆえに、理想の肉体像に自分を近づけていく美容整形の考え方がなじまないし、異なる方法でコンプレックスをつぶしていくことができるのではないかと考えている。

重度の脳性麻痺の人に向かってでも、「医療技術が進歩したら治したいと思いますか」みたいな質問をする学生が今でもいるわけですよ。そりゃ、みんな、治したいと思いますよ。当り前じゃないですか。そういう問題じゃないんですよ。そういうふうにままならない肉体が現実に世の中にあるという、そのリアリティを受け止める力があるのかどうか、という問題ですよ。それはさっき言ったように、いろんな肉体を見たり、いろんな肉体を持っている人と語るという作業を、今ほとんどの人がしていないからですよ。(略)
多くの人はタフな精神を持てないまま右往左往しているわけだけれども、僕はもっといろんな肉体の人と語り合えば−しかも本音でね−小さなコンプレックスをつぶしていくことはすぐにできると思いますけどね。p194

これについては、中村うさぎも同意し、建前論、きれいごとになりがちな「共感」ではなく、その先に進むことが重要としている。これは、まさにこの対談の総括になっている。お互いに相手のことがわかりあえて良かったね、という終わり方ではダメだというのは、まさにその通りだと思う。

「共感」部分だけでつながった気持ちになって、「障害者も我々も、みんな、同じ人間なんだよね!」みたいなところで安易に思考停止しちゃうのは、もういやなんですよ。そうはいっても、それぞれの肉体は違うじゃないですか。(略)
だから、「共感」の後は、それぞれが、それぞれの肉体を語らなくてはいけない。「差異」をきちんと確認して、互いに「誰にも共有できない苦しみ」の存在を認め合っていかなくては、と思うんです。その「差異」こそが「他者性」ですから。互いの「他者性」を認めずに、変な同族意識による「わかったつもり」で終わっちゃうと、互いの距離なんて永遠に縮まらないですよ。p200

トピックとしては、何度も言及される安野モヨコ『脂肪と言う名の服を着て』、押井守イノセンス』のテーマとしての人形とサイボーグ、代理母出産の問題、柳美里石に泳ぐ魚』事件など、色々な話が出てくるのも面白かったし、二人の本を読んでみようと思った。Amazon評を見ると、どうも既に二人の著書を読んでいる人たちから見ると物足りなさを感じる内容だったようだが、自分にとっては十分刺激的だった。
なお、序盤に出てくる中村うさぎのフェイスリフト手術の経過写真が、なかなかにグロテスクで、ちょっと怖い。

*1:NPO解散については、それについて扱ったNHKのハートネットTVの番組内容紹介が非常に参考になる。会員の方たちも顔を出して意見を言っており、会のイメージが伝わる。