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不条理な家からの脱出〜姫野カオルコ『謎の毒親』

謎の毒親

謎の毒親


この本を知ったきっかけは何か忘れてしまったが、村田沙耶香の連想で女性作家を読んでみようと思ったときに、最近いくつかの本で触れた「毒親」というキーワードが気になった、そんな感じだろう。
姫野カオルコは未読ながら、何となく、その名前は、マンガのペンネーム的な軽い印象を持っていた。本を読んでみると、むしろ堅いくらいの文体で、先入観と比べて大きなギャップがあった。
それだけでなく、異様な迫力に満ちた本だ。


まず、この本は形式が面白い。副題に書かれているように「相談小説」なのだ。Amazon記載の「出版社からのコメント」を引用する。

  • この本は、ある女性からの投稿による相談に、ある書店主が回答していくという「人生相談」のスタイルで書かれた小説です。
  • 投稿者は、小中学生の頃に両親から受けた不可解な仕打ちを、ずっと胸に溜め込んでいました。歳月が過ぎ、ようやく人に話してみる気になったのです。
  • 仕打ちの例としては、ヘッセの小説の題名を言って父親に怒られたり、鼻に膿がたまっていると母親から怖がらせられたり、無一文で繁華街に一人置いていかれたり……。
  • 回答者も混乱し理解に苦しむ親の言動は、心が痛むエピソードの連続ですが、投稿者は、書店主やその家族友人たちの回答を励みに、心に長々と暗い影を落とし続けている「毒親」と向き合い、陰鬱な感情を昇華させます。最終章で両親に投げかける言葉が胸に響きます。親との関係に悩む方に、ぜひお薦めしたい一冊です。
  • ちなみに、相談されるエピソードはすべて著者の実体験に基づいています。


つまり、読後感の異様な迫力は、理不尽な体験それぞれが「著者の実体験」による、というところが大きい。
いや、著者の実体験による、というところがわかると、少し安心する。そのくらい、この中で書かれる両親からの仕打ちは、一貫性がなく理不尽で不条理だと思う。
中でも印象に残るのが、「東華菜館事件」。こちらも新潮社の紹介ページにある千野帽子さんの書評から引用すると以下の通り。

一家三人で出かけた都会のレストランで、食後にトイレに行って帰って来たら両親がいない。長い時間待った末に戻ってきた母は、〈あんたがタクシーに乗って駅まで行ってしまったから、わたしたちは駅まで追いかけたんじゃないの〉となんの証拠もなく決めつける。なぜそう思ったのか? 一二歳の〈私〉は〈お金も一円も持っていない〉というのに。
 不条理で、ほとんどシュールと言ってもいい、不可解な行為や習慣の数々は、〈ずっと謎で、今でも謎です。ただし、どれもみな瑣末なことです〉。〈私は親を糾弾したいのではないのです。謎を解きたいのです〉。
親の呪いが解けるまでを描く「魂の冒険=探偵小説」千野帽子さん書評)


ただし、この「謎」は、これでもまだ「そんなこともあるかもしれない」と思えるところがあり、この本では、さらに衝撃的なエピソードが満載だ。
自分も、娘も、鼻から毒キノコが生えてくる「ハナタケ」という病気に罹っていると思い込んでしまう母親、中学生の娘が髪を何度洗っても「おまえの頭からはしびと(死人)の臭いがする」と繰り返す父親のエピソードなどは、意味が分からな過ぎて本当に怖い。
毒親」という言葉にも、さもありなんと納得できる。


しかし、相談相手から「毒親」という言葉が出たときに、主人公は、その言葉を使うことに抵抗する。つまり、日常的に暴力をふるわれたのでもない、自分のような人間が、大学まで卒業させてもらった両親に「毒親」などという安易な言葉を使いたくない、というのだ。

また、小中学生の頃に受けた仕打ちについて、両親の死後に、赤の他人に相談するのだから、その「謎」は解けるわけではない。だからこの本は毒親の「謎」を題材にはしていない。あくまで「謎の毒親」の本であって、決して「毒親の謎」ではない。

相談相手の児玉さんは、「東華菜館事件」を聞いて、このように提案する。

融通のきかないあなたが、毒親という語をどうしても使いたくないのであれば、ならば「謎の毒親」となさればよい。「謎の」と付けるだけで、なにやら空気が抜けませんか?余白が出るというか。
今回の出来事など、実に「謎の毒親」。p159


怒っていい仕打ちながら、主人公にその気は無い。
それも含めて、読者としては、気が抜ける、滑稽とまでいかないが、トホホと言うしかないという感じだ。
主人公の立場からすれば、死んでしまった両親のことだから、諦め半分の気持ちが「謎の毒親」という奇抜なタイトルに込められている。とてもいいタイトルだと思う。


ところで、娘の自信をことごとく奪った、母親の「絶対褒めない教育メソッド」のエピソードがあるが、育てられ方によって、人は信じられないほどネガティブになる。文容堂(相談相手)の次の言葉が印象に残った。

ポジティブな人というのは、子供のころからポジティブなゆえに、わからないのです。子供のころからネガティブな人のことが。
生来ポジティブな人の、生来ポジティブな人への、ポジティブな励ましが、生来ネガティブな人からよりいっそう自信を剥奪し、自己否定を強くし、絶望させることがあります。
ネガティブな人は、はじめの一歩で躓いている。はじめの一歩を飛び越えて成長した人がポジティブな人なのですから。
p317


そんなことはないと理解してはいても、「誰とでも分かり合えるんじゃないか」という幻想に、時々自分も陥りがちだ。前回取り上げた『自分の顔が許せない!』でも書かれていたように、場の空気に頼ることなく、相手が自分と違う人間というところから常にスタートしなくてはいけない。
ただし、この相談がそうであるように、どれほど「謎」が解けているのかはわからないにしろ、当事者以外の人が、頭を悩ませてアドバイスを考えること自体が、悩みの解決に繋がることがあるのかもしれないと思った。
その意味では、決して分かり合えないような人とも「語る言葉」はあるのだと思う。


そして、千野帽子さんの書評にもある通り、この本は最終章が素晴らしい。章タイトル「緻密な脱出」の通り、大学受験のタイミングで、主人公は両親からの脱出を、緻密な計画に基づいた脱出を図り、成功する。謎は解けないけれども、呪いは辛うじて薄まる。
主人公は「親から物理的に離れること」の重要性を繰り返し説くが、これは、田房永子『母がしんどい』でも書かれていた、非常に重要なポイントなのだろう。
とにかく、「脱出計画」を果たすことができる最終章では、この本で唯一、明確なカタルシスを感じることができる。


最後に。
序盤の第2章「恐怖の虫館」で、我が家と両親のイメージを、虫(ナメクジ、ゴキブリ)と合わせて印象深く与え、最終章で(タイトルは出さないながら)『ヘビおばさん』(もしくは『口が耳までさける時』)のああらすじの紹介が挟まる、など、楳図かずおの諸作品の雰囲気は強い。
それも含めて、今後、他の本ももっと読み進めてみたい作家です。芥川賞受賞作も興味あるけど『ツ、イ、ラ、ク』にも興味あるなあ。

昭和の犬 (幻冬舎文庫)

昭和の犬 (幻冬舎文庫)

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)

ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)


(追記)
対談を扱った記事によれば、「謎の毒親」の元凶である姫野カオルコさんの父親はシベリア抑留経験者だったと言います。(しかも10年)

姫野: 父親は大正5年生まれで世代的に不幸だった
戦争があり、敗戦後もシベリアに10年抑留させられて、過酷な捕虜生活で
それは人間が歪むだろうと思います


NHK終了の時の君が代、国旗が写るテレビを、自分でぱっと消すのです。
普段自分では何もしないのに。
でもね、シベリア抑留を扱った小説「不毛地帯」では、主人公がすごい優しかったですよ。ショックです
姫野カオルコx中瀬ゆかり『謎の毒親』トークイベント2015.12.7姫野カオルコのファンのブログ)

シベリア抑留については山崎豊子不毛地帯』は未読で、漫画『凍りの掌』でしか知りませんが、ああいった生活が続くのかどうかは分からないにしろ、10年間は長いです。
とはいえ、『凍りの掌』に登場する抑留経験者(作者の父親)も優しい方のようだし、ここで姫野カオルコがショックを受けるのも分かります。いろいろな人からオススメされて未読の山崎豊子、『不毛地帯』は読んでみたいなあ。

不毛地帯(一) (新潮文庫)

不毛地帯(一) (新潮文庫)