Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

惜しい第3章〜稲田豊史『ヒーロー、ヒロインはこうして生まれる アニメ・特撮脚本術』

TIGER&BUNNY』→神谷和宏ウルトラマン「正義の哲学」』→…の流れで、「ヒーローもの」について、もう少し突き詰めてみたいと思って読んだ。
実際には、この本は、ヒーローもののセオリーが載った本ではなく、副題にある通り「脚本術」の本で、当初の意図とは違ったのだが、知っている作品が多く取り上げられており、これまであまり知らなかったことも興味を持って読み進めることができた。


目次の通り、この本は、3組の対談を収録したもので、一気に読み終えることのできるコンパクトな内容だ。

第1章 平成仮面ライダーとは何か?――井上敏樹×虚淵玄
第2章 東映特撮と『セーラームーン』をめぐって――小林靖子×小林雄次
第3章 平成ウルトラをめぐって――小中千昭×曾川昇

特に、自分の好きな『仮面ライダー555』等の平成ライダーで有名な井上敏樹、そして、『仮面ライダー鎧武』の虚淵玄の対談は、二人とも名前を知っているという取っ掛かりもあり、あっという間に読んだ。
繰り返すように「ヒーローもの」について掘り下げた内容というわけではないのだが、一方で「脚本術」というほど、脚本の方法論が書かれているわけでもない。
むしろ、アニメと特撮では何が違うのか、円谷と東映では何が違うのか、仮面ライダーと戦隊ヒーローでは何が違うのか、というあたりの話が、脚本の第一線の者同士の会話の中で自然に出てきて、そのあたりが面白い。
その意味では、「最前線にいる脚本家同氏の対談集」という、この本の内容を直接示す言葉こそが、副題に入っていた方が勘違いが無かったように思う。


章ごとにポイントを拾う。

第1章

「鎧武」放映中(終了直前の2014年8月)の対談にもかかわらず、出だしから「ここんとこ見てないんだよね、全然」と悪びれずに先輩風を吹かせる井上敏樹はすごい(笑)と思ったが、対談は終始このペースで進む。そもそも、虚淵玄は、特撮初めての大抜擢だったから、大先輩の前で縮こまるのは仕方ない。

  • 仮面ライダーは、監督が2話ごとに変わるので、シリーズを通して指揮を執るプロデューサーの役割が大きい。(p14)
  • 仮面ライダーの監督は、他の監督の回の脚本を読んでいない場合も多く、もしくは、物理的に前回の監督回は完成フィルムを見ることなく見切り発車するため、役者の力量による部分が大きい。(p16)
  • 虚淵は全体ストーリーを決めてから脚本を通しで書き、実際に始まってからは微調整のみということで異例(アニメ方式)。通常は、当初案からストーリーはどんどん変えていくのが主流のよう。
  • 平成ライダーは、「正体を明かさずに戦う孤独なヒーロー」という初期ライダーの要素が薄れて、戦隊ものに近づいている。ハリウッドのサム・ライミ版『スパイダーマン』→『アメイジングスパイダーマン』の流れも同じで、どんどん今風で明るくなっている。(二人ともがっかりしている)(p32)
  • 悪の陣営は、昔は世界征服を企んでおけばそれで良かったが、最近は「悪が何をするのか」を考えるのが一番難しい(p38井上)
  • セル画で間が持つ演技と、役者がやって間が持つ演技は異なる。また、アクションシーンがあるため、実写のセリフはシンプルになる。
  • また、実写の場合、アニメにはない、ロケ地の縛りがあるため、そうそううまい画は撮れない。(p47虚淵

第2章

2章は小林靖子(実写版『セーラームーン』など)と小林雄次(『ウルトラマンマックス』『ウルトラマンメビウス』など)の対談。円谷と東映、特撮とアニメなど、色々なタイプの脚本の比較が面白い。

  • 円谷特撮より東映特撮の方がキャラクターが濃い(ウルトラマンは初代から主人公が無個性)。円谷映画は(怪獣映画と同様)登場人物よりも事件の方が描かれる対象としてウェイトが大きいからでは?(p68小林雄次
  • 製作委員会形式では、会議の場で色々な意見が出てくるが、大人数で直すほど脚本がつまらなくなる。(p74)
  • 10年位前まで「ウルトラマン」シリーズは、バンダイとの関係もそれほど密接ではなく脚本ありきでバンダイを無視して話を作っていた。(今は、玩具の登場と合わせて話を組む)(p78小林雄次
  • アニメはシリーズ構成を置くのに対して、東映特撮は置かないのは一番大きな違い。(p87小林靖子
  • アニメは週一回の定例会議があるが、特撮は突然連絡があって直すなど、他の仕事を入れにくい(p88)
  • アニメは撮影じゃないから、制約なしになんでも書けるのかと思ったら「地を埋め尽くす大群衆」とかNGの作画が多い。また、実写では書きやすい食事シーンは、アニメでは手間だけかかって絵が地味になるので回避される。
  • 実写では役者や監督に任せられるが、アニメでは、無言の「・・・」は書けない。つまり、アニメは演出に重きが置かれる。(p90)
  • 特撮が大好きなライター志望者が送ってくる脚本は、シナリオではなく設定にこだわり過ぎる。(p109)

なお、「ウルトラマンギンガS」に出てくるというウルトラマンビクトリーは気になる。地底人が変身するんだとか…。

第3章

ここで突然手の平を返すようだが、この「第3章 平成ウルトラをめぐって――小中千昭×曾川昇」の印象が悪過ぎて、自分は読むのが嫌になってしまい、遡って第2章までも同じ問題を抱えているのではないかと考えるようになった。
この本の一番の問題点は、折角、脚注用の余白を取ってあるのに、十分な解説がなされないことだと思う。3章が一番顕著だが、基本的には、取り上げられている作品の放映時期と簡単なあらすじのみしか紹介されない。
勿論、本文中に十分な解説があるのであれば、余計な解説は不要だろう。しかし、対談という形式もあって、固有名詞や専門用語が何の説明なしに飛び交う。
3章は本当にその傾向が酷くて、言っていることがさっぱり分からないままに対談にヒートアップしたりするので、言葉を知らない読者は完全に置いていかれる。
繰り返し登場する「キリエロイド」という言葉は、あまりにも普通に話されているので、メジャー作品のタイトルなのかと思えば、『ウルトラマンティガ』の第3話に登場する怪獣の名前だという。結局自分でググるしかなかったのだが、これほどまでに脚注の余白を恨めしく思ったことはない。
その他にも「悪のウルトラマン」(『ウルトラマンティガ』)だとか「ユリアン」(『ウルトラマン80』)だとか、脚注をつけた方が分かりやすくなる固有名詞がほとんどスルーされている。(人名、番組名のみしか解説がつかない)
さらに希望を言えば、『ウルトラマングレート』の脚本をベースに『ウルトラマンガイア』で仕切り直しした経緯など、対談の中で具体的に言明されていない部分も脚注で解説すべきだと思う。また、他の章も含むが、「ハコを切る」「ホン」「シリーズ構成」など、話の流れで分からなくはないが、普通は初めて聞くような言葉についても説明があった方が理解が進む。
作品解説については、ついこの前読んだ『ウルトラマン「正義の哲学」』のつくりが本当に素晴らしかったことを改めて思い出す。全く見たことのない作品でも、全体の流れがすんなり分かり、「置いていかれる」ストレスを全く感じなかった。あのレベルを他の本にも求めてはダメなのだろうか。


もしかしたら、あくまで「脚本術」の本として脚本に興味のある人に読んでほしくて、脚注に熱が入り過ぎて「オタク」的になってしまうことを避けたのかもしれないが、説明が少な過ぎるため、かえってマニア向けの本になってしまっている。
3章のような文章を読むと、対談を本にまとめるのはなかなか難しいのだな、ということが改めてわかる。対談中の仕切りが悪いのか、その後の文章構成が悪いのか、対談の文章はそのままにして脚注をつければ、それらの問題が改善されるのかということは、よくわからないが、「3章の問題」がとても残念な一冊だった。