Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

AIとの恋愛は可能か?〜スパイク・ジョーンズ監督『her/世界でひとつの彼女』

人工知能のOSに人間が恋をする話だと思って観て、実際にその通りの映画だった。
しかし、意外な展開があり、その展開が示唆するものに虚を突かれる。そういった展開も含めて上手いタイトルに唸った。
とてもシンプルな話だけれど、何度も見たい作品。


あらすじはこの通り。

そう遠くない未来のロサンゼルス。ある日セオドアが最新のAI(人工知能)型OSを起動させると、画面の奥から明るい女性の声が聞こえる。
彼女の名前はサマンサ。AIだけどユーモラスで、純真で、セクシーで、誰より人間らしい。セオドアとサマンサはすぐに仲良くなり、
夜寝る前に会話をしたり、デートをしたり、旅行をしたり・・・・・・
一緒に過ごす時間はお互いにとっていままでにないくらい新鮮で刺激的。ありえないはずの恋だったが、親友エイミーの後押しもあり、
セオドアは恋人としてサマンサと真剣に向き合うことを決意。しかし感情的で繊細な彼女は彼を次第に翻弄するようになり、
そして彼女のある計画により恋は予想外の展開へ――!
“一人(セオドア)とひとつ(サマンサ)"の恋のゆくえは果たして――?


すぐにネタバレに入る。


離婚をするかどうかの瀬戸際で、鬱々としていたセオドアの生活は、サマンサが家に来てから一変。あっという間に恋に落ちる。
出会った頃のセオドアは、それこそ性愛も含めて人間のような恋人同士を演じる。
しかし、妻との離婚を決意し、夫婦二人で契約書を書いたときに、元妻に「今の彼女はAIだ」と伝えると「リアルな人生に向き合っていない」と軽蔑される。そのことに傷つき、改めて自分を見直したセオドアは、サマンサとのコミュニケーションがぎくしゃくし始め、距離を置くことになる。
ここで面白いのが、悩むのは人間の側だけではない、ということ。サマンサも悩みに悩んだ末に、あるひとつの解決策を提案する。
それは、肉体のないサマンサの代替としての女性を二人の間に挟むこと。
彼女(サマンサ)は、自分に体がないことが一番の問題だと結論付け、それを補うことで、二人の仲が回復し、継続できると考えたのだ。
しかし、セオドアの気持ちが真剣であればこそ、そんな策が上手く行くはずもなく、大失敗の上で、ボランティアを申し出た少女の心も傷つけてしまう。
ところが、怪我の功名というのか、これをきっかけに、二人は、人間同士の恋愛関係にとらわれず、性愛のない、ある意味、精神面に特化した愛情を育てることになる。
iPhoneのような端末を持ち歩くことで)二人でデートを重ね、同じ景色を見て、彼女の作った曲を聴き、冗談を言い合うことで、より深い関係になっていく。
ここからが、この映画の本当に面白いところだ。
セオドアとサマンサの関係は、ネット上だけでのつながりのような薄っぺらいものではない。実際に同じ経験をするだけでなく、ダブルデートもするなど、二人以外との人間とも経験を共有している。
既に克服した性愛関係を除けば、これ以上の何が必要なんだろう、と思わせる中で、サマンサから衝撃の告白があるのだ。


サマンサは人工知能ということもあり、色々なことを知りたいし、人間のことを理解したい、という気持ちが強い。セオドアの孤独感を取り除き、安心させたい、という愛情も、実は、恋愛感情とは似ているようで異なる。


セオドアが違和感を覚えるのは、まずサマンサが、最近面白い話をしたと言い、端末に1970年代に亡くなった哲学者ワッツを端末に呼び出すシーン。
サマンサはコンピュータの世界で、自由に話をすることが出来る、という事実をセオドアは改めて知る。
ある日、突如としてOSへのアクセスが不能となり、セオドアがパニック状態に陥る。
何事もなかったように現れたサマンサと話をするうちに、セオドアは、彼女が自分以外の相手として話をしていたのは、コンピュータの世界の外側にもいることに気が付く。
この映画で最も驚くシーンは、このときの会話。

セオドア「僕と同時にほかにも会話を?」「今も?」「何人だ?」
サマンサ「8316人よ」


セオドア「ほかにも恋人が?」「何人だ?」
サマンサ「641人よ」


つまり、同じ経験を、同じ景色を共有していることは、恋愛に近いが、その本質を捉えていないのだ。
この映画で示される事実は、「恋愛は共有だけでなく占有であり、自由ではなく不自由」ということ。
自分と一緒にいる間には、他の人と話ができない、他の人と同じ景色を見られない、つまり、相手の時間を奪うということこそが重要なのだ、ということ。
ラストにセオドアの気持ちが離婚した元妻に向かうのは、彼女こそが最も時間を共有し、占有した相手だから。一方で、それだからこそ、離婚につながるような許せない気持ちが湧いてくるという部分もあるとは思うが。
タイトルで「世界でひとつだけの彼女」という副題がついているのは、サマンサは「一人」ではなく「ひとつ」であるということを示している。そして、「一人」とは異なり、「ひとつ」は時空を超えるようなコミュニケーションが可能であるが故に、恋愛の対象として本質的な問題を抱えている、ということが映画の中で分かってくる。
恋愛の本質をついたこの結論は、よしながふみ『愛すべき娘たち』の第3話で、莢子が自分には結婚や恋愛は向いていない、と考えた根拠と合致していて面白い。


ということで、AIと人間の恋愛についての思考実験を行ってみた映画として、とても興味深い内容の映画でした。人間同士であれば、通常は問題にならないはずの状況も、AIとの場合は生じ得ます。そして、AIの進化の様子を見ると、herで生じたトラブルは、近い将来に実際に問題になりそうです。そういった未来に備えることができる、ということだけでも、この映画を観る意味があるのではないかと思います。