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長所短所があまりに明確な小説〜西尾維新『少女不十分』

少女不十分 (講談社文庫)

少女不十分 (講談社文庫)


今回の本は、読んだきっかけが少し変わっている。
まず漫画版の第1巻を読んだ。これは、kindleの無料とか半額セールで評価が高いものに手を出したという程度の理由だったように思う。
漫画版の第1巻はとても面白かった。しかし、漫画版が3巻で終わると知らなかったので、もしかしたら漫画は長く続くのかもしれず、そんなにお金はかけられない…。西尾維新原作ということで、先に原作を読むのが良いだろう。そんな考えから原作の方を読むことにした。


このような読み方をしたと説明すれば、この小説にどのような感想を抱くか、作品を知っている人には想像がつくかもしれない。


とにかく導入部が長過ぎる。


漫画版で、この話がどんな話なのかは分かっている。むしろ続きを読みたいという自分の意図を外れ、とにかく物語が遅々として進まない。

  • 自動車事故の際のUの「行動」を目撃するシーンがp43
  • 自転車で転倒するシーンがp55
  • 少女Uに小刀を向けられるシーンがp87
  • 「一軒の民家」に連行されるシーンがp127
  • 階段脇の物置に閉じ込められるシーンがp143

とにかく、漫画1巻の最後で描かれる場面に辿り着くまでがあまりにも長過ぎる。
繰り返すが、自分は漫画で、この物語が、「大学生男性が小学生女子に監禁される話」だということを知っている。全325頁で終わる文庫小説で、まさか、その導入に140頁使われるとは想像していなかった。勿論、この後も展開の速度は変わらず、それもこれも、主人公のぐるぐる回り続ける思考と独白が、通常の小説の10倍くらいあるからなのだが、普通に考えると、これは「過剰」だ。*1


しかし、この作品が支持される理由もよく分かる。
当時、大学生だった「僕」は、小説家を目指し、物語を作りつづけてきた。
ラスト近くに、それらの物語について語る部分があり、そこに強いメッセージが込められているのだ。

とりとめもなく、ほとんど共通点もないそれらの話だったが、でも、根底に漂うテーマはひとつだった。
道を外れた奴らでも、間違ってしまい、社会から脱落してしまった奴らでも、ちゃんと、いや、ちゃんとではないかもしれないけれど、そこそこ楽しく、面白おかしく生きていくことはできる。
それが、物語に込められたメッセージだった。
僕であろうとUであろうと、誰であろうと彼であろうと、何もできないかもしれないけれど、生きていくことくらいはできるんだと、僕はUに語り続けた。
(略)
大丈夫なんだと。
色々間違って、色々破綻して、色々駄目になって、色々取り返しがつかなくって、もうまともな人生には戻れないかもしれないけれど、それでも大丈夫なんだと、そんなことは平気なんだと、僕はUに語り続けた。
(略)
両親の作ったマニュアルによってがんじがらめに縛られている彼女の心に、僕の作った未熟な物語が、どれほど響くか知れたものではなかった……、だけど未熟であっても稚拙であっても、僕は物語の力を信じていた。疑り深く小心な僕が、それは唯一信じるものだった……、その唯一を、僕はUにすべてあげることにしたのだ。これが無意味で無為で、無駄だと言うなら、僕は黙って切腹しよう。
P311〜314


西尾維新の本を読むのは、これで4冊目だが、この『少女不十分』には、西尾維新の「物語」に対するスタンスが強く表れているように感じた。その意味では、この本を読んで、西尾維新を以前よりも信頼するようになったし、まだ読んでいない小説に、どのようなキャラクターが出てくるのか、もっと読みたくなった。

*1:ちなみに、この話が「大学生男性が小学生女子に監禁される話」であることは、小説版では、Amazonや裏表紙のあらすじなどでは伏せられている。コミックス版では、Amazonのあらすじに明記されており、両者で対応が異なる。