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貯めておきたい善行ポイント〜ファーティマ松本『サウジアラビアでマッシャアラー!』

サウジアラビアでマッシャアラー!

サウジアラビアでマッシャアラー!

  • 内容
    • 外国人とは結婚できない!?生理中の離婚宣言は無効!?思春期でも反抗期がない!?顔も合わせない歓待って!?―なんだって「マッシャアラー!(すごいね!)」なサウジアラビアに嫁いだ日本女性は、不思議の国で二男五女の子育て中。
  • 著者について
    • 1967年埼玉県生まれ。高校卒業と同時にアメリカに留学。そこで出会ったサウジアラビア人留学生とあまたの困難を乗り越えて結婚。1994年からサウジアラビアに暮らし、現在も二男五女を子育て中。本書は初の著書。


サウジアラビア人の旦那さんとの出会いから、サウジアラビアでの生活やイスラム教について書かれたエッセイ本。
…なのだが、直前に読んでいた高橋和夫『中東から世界が崩れる』では、「国」ではなく「国もどき」扱いだったサウジアラビア。そのサウジアラビアに嫁いだ女性の描く本ということで、自分の興味も、サウジアラビアが、どれほどの「国もどき」なのか?というところに向かってしまった…。


実際、高橋和夫さんの本に書かれていたように「基本的に自国民は働かなくてよいという思想」という指摘は、いくつかの部分からうかがい知ることができる。

  • 病院に勤める看護婦さんのほとんどがフィリピン人(p77)
  • 国内の仕事の2/3は外国人労働者が担い、個人が経営する店や会社の90%は外国人を使っている(p158)
  • 学校内の掃除は外国人労働者が行い、家に帰っても(メイドを雇っている家が多いので)掃除などしない子が多い(p186)


作者の家族は、それなりにお金持ちのようだが、「子供の学校参観日に行くと、クラスの中は、いろいろな「種類」の顔がある」(p164)と書いているので、移民の人も多い学校に通っているという。
本の中では、こういった人種・民族間に生じる差別の問題についても取り上げている。

  • サウジアラビアの中で特に下に見られるのはインドまたはバングラデシュ出身の人(p154)
  • 先住民であるベドウィンは、移民全般を下に見る(p165)
  • 作者の旦那さんのようなエジプト出身者は、誰を結婚相手にしても構わないが、黒人(アフリカ系サウジアラビア人)とは結婚しない。このように黒人に対する差別意識は強い(p166)
  • しかし、ムハンマドはこう言っている「白人が黒人にまたは黒人が白人に優るとか、アラブが非アラブに優るとか、そういうことはない。」(p167)


ここからが本書の特徴だが、こういった移民問題や差別の話題について、特に取り繕うことなく、思った通りに書いてしまっているのが面白い。そして、イスラム教が差別を禁じているということについても、たびたび触れているのに、そういった問題について、かなりドライに語られるのが、かなり変わっているように思う。
例えば、旦那さんが(作者に隠れて)第二夫人とした女性の祖母に当たる人がインド人だったことが後になって判明したことについて触れた部分。旦那さんの、インド人に対する差別意識を認めた上で、次のように書く。

そんな人が今、インドの血を引いた人と結婚をし、その人のお腹には自分の子供が宿っている。つまり、インドの血を引く子供が「自分の子」として産まれてくるのだ。これは精神的に大打撃であっただろう。いい気味、いい気味。人をバカにすると、必ずそれがいつか自分に帰ってくるものだ。p155

全体的には、イスラムの教えも含め「差別はよくないよね」という論調で書かれてはいる。しかし、一番最後が、差別される側の視点が欠けた、旦那さんに対する無邪気な批判で結ばれているため、とても軽い感じを受ける。
同様に、黒人に対する差別問題についてさんざん触れたあとの結びの文章も、軽すぎてむしろ不謹慎だと思う。

サウジアラビアでの差別問題はここまでにしておいて。私が気になるのは、私が埼玉県出身であるがためか、時に「ダサイ」と呼ばれることである。埼玉県民を「ダサイ」と呼ぶことによって、いい気分になっているつもりなのは、一体どこの県民だ!えっ、全国民?そんなあーっ。p168


また、肉体労働を外国人労働者にほとんど任せる件についても次のように書く。

全く仕事や家事の手伝いをしない子供がいるかと思えば、世の中には、朝から晩まで児童労働者としてこき使われている子供たちがいる。私から言わせればどちらも不幸だ。前者はただ、自分が不幸であることに気づいていないだけ。p186

確かに、手伝いをしない子は「人の役に立つ喜びを知らないから不幸だ」という主張は分かるが、児童労働者の不幸と等しく並べて不幸だ、と書いてしまうのは気持ちが悪い。こき使われている外国人労働者の方が圧倒的に不幸に決まっているし、そういう人が読んだら怒ってしまう文章だと思う。
だから、サウジアラビアにいる両極端の外国人について次のように書かれた部分もうわべだけの問題意識であるかのように感じられてしまう。

現代の奴隷、と呼ばれているサウジアラビアで働く外国人労働者。彼らの多くはイスラム教徒で、私たちの同胞、兄弟であるというのに、この地で差別に遭い、過酷な生活を強いられている。一方非イスラム教徒の欧米人たちが、サウジアラビアの良い所だけをとって、なかなか楽しく暮らしている。何だか、しっくりこないんだよねぇ…。p161


ただ、上に挙げたような、自分が抱く違和感は、いわゆるポリティカル・コレクトネス的に正しい新聞記事などの文章を読み慣れているからだけで、むしろ作者のような、あっけらかんとした意見・感想の方が、一般的なのかもしれない。ポリコレへの配慮がないので、むしろ無駄が削ぎ落されて本音だけが語られているということが、この本のいいところだと思う。


イスラム教という宗教についての記述についても同様だ。作者がイスラム教徒でありながら、イスラムの教えに対して素朴に感じたことが書かれているので、非常に入りやすい。
今回、特に面白く読んだのは、善行ポイント(アジュル)の話。(p123〜)について。

  • イスラムの教えでは、死んだときに、自分が生前行った善行と悪行を秤にかけられ、善行が重かったら天国に入ることができる。
  • 私たち一人一人にの両肩には天使がいて、行いの全てを監視・記録している。右肩にいる天使は善行を、左肩の天使は悪行を記録し、それに基づいてアジュルという善行ポイントが記録される。
  • アジュル数は、善行を行うときに伴う苦痛、大変さによっても変わるし、「意図」によっても変わってくる。
  • 年に一度行われるハッジ(巡礼)に参加すると、今まで貯めてきた悪事の山を帳消しにしてもらえる、断食月ラマダーン)にはアジュルの倍加率が上がる、などのキャンペーン?がある。


この善行ポイント(アジュル)については、自分自身も同様の考え方をすることもあるので親しみを持った。日ごろの行いについての価値判断のルールと、クルアーンによる行動指針があることは、人生を迷いの少ないものにしてくれるのかもしれないとも思う。
あとがきによれば、作者がこの本を書いたきっかけは、2011年の東日本の震災であり、その際にイスラム教の教えが何かしらの助けになるのではないか、という使命感が背景にあったという。確かに、全体を通して「日本人にイスラム教を伝える」という作者の思いは伝わってくる。
まとめると、とても読みやすい文章で、サウジアラビアでの生活や家族のことについて触れながら、イスラムの教えについても勉強できた、という意味で、自分にとって、とても得るところの多い読書だったと思う。イスラム教についても改めて勉強したくなりました。