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道徳の授業でとりあげてほしい〜内藤正典『となりのイスラム』

となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代

となりのイスラム 世界の3人に1人がイスラム教徒になる時代

中東に関する本を連続して読んでいますが、この本は個別の国というよりは、特に「イスラム教」に焦点を当てた本。著者の目的は、実際に見て聞いて研究した「となりのイスラム」を紹介することで、「イスラムは怖い」という思い込みを解いていこうとするものです。(p7:まえがき)
また、イスラム教について直接、ということよりも、欧米社会がイスラム教とどう向き合ってきたか、ということについて重点が置かれており、日本人の視点だけからでは問題の理解が難しいことが分かりました。


例えば、ドイツ、フランス、オランダそれぞれにおけるイスラム教について書かれた序盤の文章が興味深いです。独仏蘭のうち、オランダは、文化の多様性を国の基本としており、「極右」を想定しにくい国です。何故、そのようなリベラルな国で排外主義が育つのか、この点について非常に詳しく説明されています。抜粋すると…

オランダのトルコ人たちは、フランスやドイツのように、イスラム教徒、あるいはトルコ人に対する差別があって、その反動で、イスラムに回帰したのではないのです。自由すぎてしまったがゆえに、イスラムの道へと帰っていったのです。p34

この国の排外主義者は、「イスラムはおそろしく押しつけがましく、個人の自由も、人間の主体性も認めない。そんな宗教の信者がいること自体が嫌なんだ」と主張するのです。イスラム教徒の側はオランダ社会に干渉などしません。ただ、背を向けてしまっただけなのですが、そういう人間が同じ社会にいることが許せなくなる。それが今、ヨーロッパで大きな問題になっている排外主義の新たな潮流なんです。p36

この部分は何度も繰り返されることですが、オランダのように「文化の多様性」があり、自由が許される世界では、どんな人も「個人の自由を謳歌」するようになる(欧米社会に同化する)、オランダ人は、そのような期待をしていたのです。
にもかかわらず、イスラムの人たちはどんどん内にこもるように見える。それは(自由過ぎることから来る誘惑を避けるため9イスラムの教えにより忠実にしたがう方に向かったということなのですが、それがオランダ人には理解できず、恐怖に繋がった、というのです。
ちょうど2017年は、オランダを皮切りに、フランス、ドイツで大きな選挙があることが話題になっていますが、「極右」という切り口でしか見ていなかったので、改めて状況が整理できました。


また、フランスで何度も問題になる「イスラムのスカーフ」(ヒジャブ)についての話が非常にわかりやすかったです。

フランスの場合、厄介なのは、この国がほかのヨーロッパ諸国にはない、独特の世俗主義をもっていたことです。ライシテと呼ばれるのですが、これはフランス共和国の背骨といってもよいほどの原理・原則で、とにかく公の領分には宗教組織はもちろん、個人であっても宗教をもち込むことを認めない。
フランス自身の歴史のなかで、カトリックの教会組織とどれだけ闘ったか。その結果、市民が個人としての自由を獲得したか。理性に基づいて判断し、ものごとを決定する合理主義を手にすることができたか。人権や民主主義を確立できたか。これらについては何も申し上げる必要はありません。ライシテの原則が公的領域の非宗教性を維持することによって、信仰をもつ個人は内申の自由を確保できるし、もたない人は宗教的な規範に縛られることなく生きる自由を得られるのです。すばらしい発明です。ヨーロッパの市民にとってはね。
しかし、イスラム教徒には、これはまったく通用しません。すごく単純化して言えば、イスラム教徒には、「神から離れて人間が自由になる」という観念も感覚もまったくないからです。p42

イスラムの規範と近代西欧に生まれた規範とのあいだには、お互いにどうにも重なる部分ありません。イスラムは神のもとにあるから人は自由になれると考え、西欧では神から離れないと自由になれない、というように。イスラムでは主権は神にあると考え、西欧では主権は人にあると考えます。これも根本的な違いです。
両者はものの考え方とそこから生まれる価値の体形が違うと言ってもいいでしょう。そうならば、両者が、混じり合わずに共存していく方策を探っていくしかないだろうということなのです。p222

イスラム教は、戒律が厳しいように見えますが、全てを自己の判断で行うのではなく、さまざまな判断を神に委ねることができる、という意味では、「楽」な部分があります。
そういった根本部分の理解ができないにもかかわらず、「服装の自由」を押しつけても意味がないどころか摩擦が強まるばかりです。
日本人は、オランダのような「文化の多様性」はなく、フランスのような「自由をめぐる歴史」もありません。その中で、イスラム社会の人たちと触れ合う機会は増えるに違いないのですから、少なくとも、こういう本を読むなどして基本事項は抑えておきたいと思いました。これから2020年の五輪を控え、また観光を国の柱にしていくということであれば、むしろ社会の授業、道徳の授業で、積極的に教材として取り上げるべきだと思います。(「教育勅語」を取り上げる時間があれば、絶対に、イスラムについて勉強した方が意味があるでしょう。)


なお、取り上げませんでしたが、イスラム教に関するよくある疑問についてや、ハラール認証、モスクと教会の違い、日本の高齢化社会イスラムなど、多様な話題が取り上げられています。同じ著者の『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』では、中東の国家間の関係や地域の歴史に重きが置かれた本でしたが、『となりのイスラム』では、それらは最小限にして、イスラム教の考え方に焦点をあてた内容になっています。どちらも中東諸国への理解が進み、さらに興味が増す内容でした。
次は、同じ著者(内藤正典)がイスラーム法学者の中田考と対談した、こちらも読んでみようかと思います。