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小説完成を祈る下巻〜佐藤正午『鳩の撃退法』(下)

鳩の撃退法 下

鳩の撃退法 下


読み終えた。
長い話だったが読み終えた。
この話が、どのような基本理念を持った小説だったかは、下巻中盤の鳥飼なほみ(編集者)と津田(作家・主人公)との会話シーンに現れている。

いや違う、と僕は答えた。どう違うんです?僕が見聞きした現実の出来事とは、辞書的な意味での事実、過去に実際あった事実という意味だろう、僕が小説として書いているのは、そうではなくて、過去にあり得た事実だ。過去に実際あった事実と、過去にあり得た事実とはどう違うんです?過去に実際あった事実とは新聞記事だ、一方、過去にあり得た事実、これすなわち小説だ。p258

つまり、『鳩の撃退法』で描かれる話の半分は、物語世界の「過去に実際あった事実」の究明ではなく、「過去にあり得た事実」の捏造から出来ている。もともと小説とは「つくりもの」の世界なのだから、言われてみればその通りなのだが、作中の登場人物から何度もそれを聞かされるという点では、これまでにない読書体験だった。


ということで、東北の田舎町から中野に舞台が移る下巻は、上巻よりメタ小説的な部分が前面に出てくる。特に、津田が働くスナックで、大手出版社に勤める鳥飼と出会い、津田の執筆する小説を出版化しようという動きが出てくることが、それを後押しする。
ベストセラーの本を多数手がけた編集者のヒラコに、鳥飼が、津田の原稿を読ませたときの話なんかは、ちょうど自分が上巻を読んで面白いと感じた部分が指摘されている。読書中の本の中で、その本のレビューが書かれているような変な気分だ。

「そしたらヒラコさんは気に入って」と喋りつづける鳥飼なほみの声が邪魔になる。「晴山くんとの出会いから、奈々美の妊娠までの経緯がすごくリアルで、一回じゃなくて何回もホットカーペットの上でやっちゃうとこなんか、笑っちゃう」そうで、気が散る。鳥飼なほみは喋りつづける。もっと続きが読みたいとヒラコさんは言い出したんです。書きあがった小説を読んで、いけると判断したら味方になると約束してくれたんです。p329


確かに、ヒラコが気に入った場面のある30章はリアリティがあり、一番引き込まれる。
しかし、結局は、この30章こそが、(全て津田の想像のもと)完全なるフィクション(過去にあり得た事実)として書かれた場面ということが、かつての居候先・網谷千沙(大学生)から送られてきた手紙の内容から透けて見えて面白い。
例えば、幸地夫妻の娘の本当の父親である“悪人”欠端の名前は、津田がナンパした女子大生(千沙の同級生)から取られている。ナンパの時にわざわざ「小説的な香りがするねと、彼女のめずらしい名字をほめたたえ、こんど書く小説に登場させると約束」(p299)したことが、千沙の手紙で暴露されているのだ。また、このナンパのときに白くまアイスをおごって気を引いたやり方も、小説の中で、晴山が奈々美をナンパするシーンで使われている。


というように、この小説は、小説家が右往左往しながら、ときに自分の経験を作品内に忍び込ませ、ときに実際に会った事件からその背景を捏造し、さらには自分の書いている小説の中で起きている現在進行形の出来事をなんとかまとめようとする物語である。


『鳩の撃退法』という小説が、何故こんな形になっているのか、については、ラスト近くで、津田が、「ひとに読まれない小説をなんのために書くのか」という疑問にケリをつけようとするシーンに長い文章で書かれている。(p438〜440)
短い言葉で書くなら、『ピーターパンとウェンディ』のように、「作者が読者に呼びかけたり、読者を物語に巻き込む」ために、たったひとりの読者であっても「聞こえているか」「僕のことばはあなたに届いているか?」と問いかけたい、そのために、この小説は、このような方法で書かれているのだ。


とはいえ、この特殊な構造だけがこの物語の魅力であるわけではない。
自分個人の感想として、上巻の段階では「不真面目で好きではない」と感じていた語り手・津田のいい加減さにも慣れ、癖になって来る。

  • 終盤に続出する「もう時間の問題だな、と僕は感じていた。どうせあの女とは寝ることになるな」という当たらない予感。
  • 「(ぬまもとではなく)ぬもとです」「(とりかいではなく)とりがいです」「(ハラコではなく)ヒラコです」と、喋っている相手の名前を間違えるたびに訂正されるパターン。
  • 「SNO 過ぎたるは、猶、及ばざるがごとし」、「MSK? マジっすか」など、しつこく繰り返されるアルファベット3文字の略語。

どれもこれもが単体で面白いわけではないのだが、繰り返されることによって楽しくなってくる。文章が巧いとは、こういうことを言うのだろう。ともあれ、最後には、津田のことも嫌いにならず楽しんで読めたのは良かった。


偽札事件と一家失踪事件の顛末については、辻褄を合わせるように、過去を捏造?して書いた物語だから、当然、一応の決着はつけられている。(なお、「鳩」は、偽札を表す隠語であるという想定があり、「飛び立った3羽の鳩」がどうなるか(どうなったのか)というのが、物語を引っ張る鍵となる。)
ただ、カタルシスは、そういった謎解きにあるのではなく、小説が何とか完成し、無事に着地できた、というところにある。いわば、小説を書く側の視点を半分持ち、その完成を祈りながら最後まで読み終えた、という意味で、かなり特殊な読書だったと思う。


長い長いと思ったのは、先があまりにも見えなかったからだが、今度読むときは、もっと短時間で読めるのかもしれない。が、まず未読の作品を読み進めたい。次は『5』『Y』、そして『月の満ち欠け』かな。あとは、石井桃子訳の『ピーターパンとウェンディ』ですね。

Y (ハルキ文庫)

Y (ハルキ文庫)

5 (角川文庫)

5 (角川文庫)

月の満ち欠け

月の満ち欠け

ピーター・パンとウェンディ (福音館文庫 古典童話)

ピーター・パンとウェンディ (福音館文庫 古典童話)