特に新本格と括られるような作品が典型だと思うが、ミステリの中でも好きなのは、過去作品のミステリやトリックについての言及が多い作品。つまり、作中の人物が作品内でミステリというジャンルの批評をしてみせるようなメタ要素の強い作品で、それがあることで、連綿と続いてきた、伝統芸能としてのミステリを楽しむことができる。
そんなメタ的視点を持った2冊について対決形式で感想を。
(コミケ殺人事件についてはネタバレあり)
小森健太朗『コミケ殺人事件』
- 作者: 小森健太朗
- 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
- 発売日: 1998/12
- メディア: 文庫
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「この本に書いている連中はミナゴロシ」―刷り上がったばかりの同人詩「月に願いを」に何者かによって挿入された殺人予告状!そしてその言葉通り切って落とされる連続殺人の幕―人気SFミステリ『ルナティック・ドリーム』の結末の予想篇を掲載したその同人詩の中に事件を解く鍵があるのか?小説の中に同人詩を取り込んだ、虚実交錯する構成で紡ぎ出されるメタ・ミステリーの傑作。
同人誌が登場するから作中作が鍵を握るのだろうとは思っていたが、面白いのは、その同人誌がSFミステリの結末予想となっている点。読者は「犯人は誰だ」という話を、同人誌内部と外部(リアル)の両方で並行して読ませられることになる。
ただし、同人誌で扱う『ルナティック・ドリーム』は、美少女ヒーローものということで、コミケ会場で起きた実際の事件と混同させるようなトリックは難しい…。これは、どのようにしてまとめるのだろうか…と思ったら、ラストは畳みかけるようにして見事に着地。
キャラクター愛ゆえに殺人を犯し自殺した和樹の手記(?)、それを覆し、妬みや恨みから郁子が殺人を犯したとする明美の推理(?)、自ら手を下したのではなく『ルナティック・ドリーム』の作者の犯行を庇ったとする郁子の独白(?)。そして、その後の赤沢郁子⇔高沢のりこの往復書簡で、それら全てを包含して、殺人事件はフィクションで同人誌内のリレー小説で書かれたこととしてしまうまとめ方。
前半は行く先がわからず困惑したが、ここまでの終盤70頁があっという間で、よく考えればツッコミどころも多数あるのかもしれないが、一気にラストまで読まされた。
映画『君の名は』にも言えることだが、面白いミステリはストーリーやトリック(ロジック)よりも乗せ方(音楽の言葉で言えばgroove)だと痛感した一冊だった。
深水黎一郎『ウルチモ・トルッコ犯人はあなただ!』
- 作者: 深水黎一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/12/03
- メディア: Kindle版
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『虹色の歯ブラシ』の解説で早坂吝を激賞していた作家・深水黎一郎の2007年のメフィスト賞受賞作。
新聞に連載小説を発表している私のもとに1通の手紙が届く。その手紙には、ミステリー界最後の不可能トリックを用いた<意外な犯人>モノの小説案を高値で買ってくれと書かれていた。差出人が「命と引き換えにしても惜しくない」と切実に訴える、究極のトリックとは? 「あなたが犯人!」を見事に成立させた、衝撃の書。読後に驚愕必至の第36回メフィスト賞受賞作!
『コミケ殺人事件』も確かにメタミステリで、作中作のトリックについて作品内で議論が交わされたりもする。しかし、自分が本当に好きなのは、この『ウルチモ・トルッコ』のように、ミステリの歴史を俯瞰する作品。
この作品は序盤からミステリの歴史をエドガー・アラン・ポオから新本格まで辿ってみせ、本格ミステリ衰退の原因を次のように看破する。
要するにそれは、「本格物」をミステリーの王道たらしめていた「意外な犯人」のパターンが、いい加減出尽くしてしまったということです。探偵が犯人、被害者が犯人、死人が犯人、動物が犯人、事件の記述者が犯人、自然現象が犯人、物心つかないような子どもが犯人、さらにはその場にいた全員が犯人、事件を担当した法医学者が犯人などなど…いままでそれこそ星の数ほどの人間が犯人役をつとめて来ましたが、それがとうとう出尽くしてしまったのです。p12
そんな中で、誰も実現させていない最後の不可能トリック(タイトルのウルチモ・トルッコは究極のトリックの意)として「読者が犯人」というトリックを成立させる、と(実質的に)宣言するのが冒頭の手紙になっている。
さらには、主人公と友人との会話の中で、過去に書かれた「読者が犯人」トリックの作品について(作品名を挙げずに)論評し、そのトリックは成立していないということを指摘する。つまり、わざわざハードルを上げてみせる。
その心意気だけで、自分はこの作品を評価したい。
仮に読者が犯人というトリックが可能としても、それがある特定の読者にだけ当て嵌まるのではダメで、その小説を読んだ読者全員が、読み終わって本を閉じた時に「犯人は俺だ」と思うのではなくては、そのトリックが成立したことにはならない。p51
確かに、この小説については、友人の有馬が言うとおりの形でトリックは成立していないかもしれない。しかし、かなり「良い線」は行っていると思うし、これ以上の「読者が犯人」トリックはないのではないか?
さらに、『コミケ殺人事件』との比較で言えば、『コミケ…』のような後半にエンジンがかかるタイプの作品とは違って、冒頭から話の道筋が分かりやすく、ほぼ「ダレる」ことなく読み切ることができたのは大きい。その意味でいえば、やはりトリックよりも「乗せ方」が重要で、そこに成功している作品ということで、(Amazon評は賛否両論のようだが)自分にとっては、とても大好きな一冊となった。
ということで、乗せ方(groove)という観点では『ウルチモ・トルッコ』に軍配が上がるが、出版年に10年以上の開きがあることもあり、ここ数十年のミステリジャンルの深化も考慮して、今回は「引き分け」。
次回は、深水黎一郎自身が『虹色の歯ブラシ』の解説でも言及していた「多重解決」作品として『ミステリー・アリーナ』を読んでみたい。
- 作者: 深水黎一郎
- 出版社/メーカー: 原書房
- 発売日: 2015/06/30
- メディア: 単行本
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