Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

この本でしか得られない視点がある~山崎ナオコーラ『ブスの自信の持ち方』

ブスの自信の持ち方

ブスの自信の持ち方


山崎ナオコーラさんの小説は、これまで何冊か読んでいます。
心の奥底に深く刺さるような作品を書くわけではなく、社会派テーマをぶち上げて世に問いかけるようなタイプではないですが、自分にはとてもピッタリくる、生活について、人について考えたくなる、そういった印象を持っていました。
そんなナオコーラさんが、小説ではなく、エッセイでどんなことを書くのか。荻上チキのSeesion22で何回かに分けて、この本の紹介で出演していたのを聞き、興味を持ちました。
読み終えて一番印象に残ったのは、番組で聴いたときと同じで、この本のメインの主張です。
曰く、

違う、と私は言いたい。「ブス」は個人に属する悩みではない、社会のゆがみだ。社会は変えられる。(あとがきより)

「ブスと言われた」という私の悩みは、決してコンプレックスではなく、社会へのうらみだ。劣等感に悩んでいるのではなく、社会がおかしいから悩んでいる。正直、自分が変わるよりも、社会を変えたい。p268

自分は完全に、コンプレックスの問題だと混同していたので、言われてみれば、そうなのか!と腑に落ちました。
また、誰もが美しくありたいと思っている「はず」というのも一種の思い込みで、そこに重きを置く人もいればそうでない人もいる、という当たり前のことに気づかされた思いです。


山崎ナオコーラさんが、このテーマを選んだ理由は、2004年のデビュー時に、Y新聞のインタビュー記事に載った写真に対して、「おぞましい中傷や卑猥なからかい文句」が躍り、本人が非常に悩んだ経験によります。*1
このY新聞の写真については、本の中で繰り返し取り上げられていますが、相当大変な思いをされたのかと思います。


この本のスタンスとしては、ナオコーラさんが女性の代表や「ブス」の代表として発言しているのではなく、あくまで、彼女自身の考え方を整理しているということです。
これにとどまらず、差別と区別、痴漢、強者と弱者、左と右などのテーマについて、書かれた文章は、どこかのテンプレ的な言葉ではなく、ナオコーラさんの考え方が非常に伝わってきます。
面白いのは、フェミニズムに関して、彼女が女性=弱者という考え方をかなり嫌がっているということです。
以下の文章には、まさに自分を言い当てられたような気になりました。

性別についての文章を発表していると、男性読者から「女性から怒られたい」という欲求を持っているのを感じることがよくある。「男性は駄目だ」「女性は素晴らしい」「女性は頑張っているので、男性に応援してもらいたい」「女性を理解し、男性に変わってもらいたい」といった叱咤激励の文章を男性読者から求められている雰囲気がある。おそらく、「男性対女性」という簡単な構図を描き、それが逆になるように頑張っていく、というストーリーだと、わかりやすいからだろう。
p246


ナオコーラさんは、女性が強者になっている(自らが差別する側になっている)場面も思い起こしながら、何が問題なのかを、広過ぎない範囲で考えていこうとします。
痴漢の問題も、基本的には、自らの経験をベースにして語っていることで、テンプレ感のない内容になっていると思います。
杉田水脈の『新潮45』での「生産性がない」という発言についても触れていますが、主語を大きくし過ぎません。
このあたりの距離感が、全体として文章を読みやすくしているのですが、かといって「社会を変えたい」というナオコーラさんの思いとも矛盾しないことに感動しました。



あとがきにも書いてありますが、彼女が「自分はブスだ」と書くのは、「ブスですが、文章がうまいです」という、(英語が喋れない、○○が不得意などと同様に)単なる不得意分野を示したものに過ぎず、むしろ「文章がうまいです」ということを主張したいのだと言います。
これに呼応するように、最後の著者紹介には次のように書いてあります。

目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」


『ブスの自信の持ち方』は、まさに、山崎ナオコーラさん独自の視点に溢れた、彼女にしか書けない内容だと思いました。
社会を変えることを、政治に期待し過ぎない。そこではないところからでも社会はきっと変わって行ける、そういう希望に満ちた文章でした。
エッセイもですが、山崎ナオコーラさんの小説も、もっと読んでみたくなりました。

*1:勿論、デビュー作の『人のセックスを笑うな』というタイトルが、小説を読まない人の興味を惹いたのでしょう。