Yondaful Days!

好きな本や映画・音楽についての感想を綴ったブログです。

辛いけどそれが現実…なのか~山田詠美『つみびと』×ケン・ローチ『家族を想うとき』『わたしは、ダニエル・ブレイク』

キングオブコメディ』を観て一度収束したはずの『ジョーカー』評の補足を、また改めて書いてしまいました。
今年観た映画では、『アス』も『ボーダー』も社会の分断を描いてはいるけれど、あくまで比喩としてなので、そこまで違和感はありませんでした。『ジョーカー』の描き方は、ギリギリまで直接的に分断を描いておきながら、最後にスルリと逃げる感じがして、そこが嫌だったのではないか、と、同じく直接的に現代社会のことを描くケンローチの映画と、直前に読んでいた本のことを思い出して綴ってみました…。

山田詠美『つみびと』

つみびと (単行本)

つみびと (単行本)

特に書かなかったが、『ジョーカー』を観る直前に山田詠美『つみびと』を読んでいた。
『つみびと』は、「大阪二児置き去り死事件」という呼び名で知られる実際に起きた事件を題材にした本で、『彼女は頭が悪いから』と同様、周辺事実や取材から関係者の内面に踏み込んで描かれた小説ということになるだろう。
山田詠美が、このような小説を書くのは初めてなので、そこに興味を持って本を手に取った。


語り手が複数いる小説はいくつかあるが、『つみびと』が特殊なのは、その語り手が、母(琴音)ー娘(蓮音)ーその息子(桃太:幼児)という3代の親子であるということだ。
勿論、悲惨な最期を遂げる桃太の描写はひたすら健気なのだが、平行して語られる母娘の生い立ちは、そろって家庭環境に問題がありキツい。
虐待が親から子に連鎖するということは、よく話に聞くし理解した気になっていたが、実際の話として読んでしまうと、「虐待の連鎖」という言葉が背後に抱える重い現実に打ちのめされる。
人生に絶望し、毎回「生まれ変わる」ためにリストカットを繰り返す琴音もきついし、蓮音が、ミスターチルドレンの「フェイク」を歌いながら2人の子どもの面倒を見て「なんとか今日を生きてる」のを見るのも辛い。
タイトルの「つみびと」は吉田修一『悪人』などと同様、誰が一番の「つみびと」なのかを問いかける内容だが、蓮音を除けば、子どもたち二人の餓死の直接の引き金になったのは、父親(蓮音の夫)である音吉とその両親だろう。
蓮根に育児能力がないことが分かっているのに、別れる際に、彼は子ども達を引き取らない。「血」を怖れて。
結局、蓮音は、たった一人で問題と向き合う(もしくは向き合わない)しかなく、このような結末を迎えるしかなかった。
本当に救われない話でやるせないが、それと同時に、自分の住む世界と地続きの現実が描かれていることに暗澹とした気持ちになった。


『ジョーカー』も確かに、やるせない現実が描かれており、その意味で、自分は電車内の事件までは、熱中して観ていた。
しかし、ジョーカーフィーバーとテレビ出演は、自分にとっては地に足のつかない「現実離れ」した展開で、それが『つみびと』を読んだ直後の自分には受け入れにくかった。
しかも、ラストで、物語の構成にフェイクが入ることは、不誠実に思えた。

ケン・ローチわたしは、ダニエル・ブレイク

わたしは、ダニエル・ブレイク (字幕版)

わたしは、ダニエル・ブレイク (字幕版)

  • 発売日: 2017/09/06
  • メディア: Prime Video

「わたしは、ダニエル・ブレイク」予告編


わたしは、ダニエル・ブレイク』は、誰かの『ジョーカー』評の中で言及があった映画として興味を持った。
実際、公的サービスを求めて面談する場面など、絵的にも似ているシーンがある。
しかし、『ジョーカー』との比較で言うと、映画の色が出ているのは、「お役所仕事」過ぎる役所の対応と複雑すぎる制度にうんざりした帰り道、壁に「わたしは、ダニエル・ブレイク」と描く場面。
ここで、周囲の見知らぬ人たちが彼の意見に同調する。映画全体の中でも、辛い生活を送っている人たちの連帯を感じる良い場面だ。
しかし、決して、それが社会全体を巻き込んで運動にはなることはない。社会の熱(フィーバー)となった『ジョーカー』に比べると、こちらの方が現実に近い。少なくとも、日本社会で感じる限り、『ジョーカー』の終盤の盛り上がりは圧倒的にファンタジーだ。(おそらくイギリスは日本と似ている部分があるのでは?)
皆、自分が生きることに精一杯で、「社会を変える」ということ自体に関心を持てずにいる。


ただし、ダニエル・ブレイクは、自分が苦しい中でも、(元々見ず知らずの)シングルマザーのケイティを助けてあげる。助けることで自らも救われる。

ダニエルが教えてくれたこと
隣の誰かを助けるだけで、人生は変えられる

映画のキャッチフレーズになっているが、まさにこれこそが映画のメインメッセージであり、メッセージだけで言えば、先日見た『殺さない彼と死なない彼女』にも近い。
映像は過酷な現実をひたすら描き続けるが、登場人物たちがお互いを助け合う気持ちが、物語を明るく照らす。
そう、『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、「後味の良い」作品だったのだと思う。

ケン・ローチ『家族を想うとき』


ケン・ローチ監督最新作『家族を想うとき』12.13(金)公開/90秒予告篇

舞台はイギリスのニューカッスルターナー家の父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーはパートタイムの介護福祉士として1日中働いている。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう──。

ちょうど我が家は、夫婦に中学生の長男、小学生の妹というリッキーの家と似た家族構成。言うことを聞かない長男と、しっかり者の妹、という子ども2人の性格も似ていて、仕事の都合をつけられるかつけられないかで喧嘩することもあるので、全く他人事には思えない話だった。*1


『家族を想うとき』で描かれるイギリス社会は、さらに辛い。
ダニエル・ブレイクでの引退を撤回して、この作品を作ったのは、より現実が厳しくなっていることへの危機感からなのだろうか。
二つの作品の比較で言えば、前作で強調されていた「見知らぬ人同士で助け合う」シーンがあまり出てこないのが特徴的だ。

  • リッキーは、宅配の仕事に穴を空けて他のドライバーに助けてもらっている部分もあるのだが、そこは具体的には描かれない。
  • リッキーの妻アビーは、介護福祉士として、色々な人の手助けをするが、「仕事」としての側面がより強調されている。
  • そして家族同士での助け合いは、いつもすれ違ってしまう。共働きのふたりがあまりに忙しいためだ。

リッキーのその後を予見するように、宅配会社でマロニー(本作で一番の悪役)に罵倒されていた男性ドライバーは「14日間連続勤務だぞ!」と憤っていたが、彼もまたいっぱいいっぱいだったのだろう。
怪我をしたリッキーが訪れた病院にかかってきたマロニーからの電話に、妻アビーがブチ切れてみせるシーンでは、ダニエル・ブレイクだったら、待合室の患者から同情・共感の声が聞けたかもしれない。しかし、周囲の患者は遠巻きに見つめるだけ。周辺の登場人物も皆がギリギリの生活を送っている空気が満ちている。
ダニエル・ブレイクで描かれた過酷さをさらに厳しくして、優しさを感じる部分を大幅に減らした(「家族愛」に絞った)のが『家族を想うとき』だと思う。


また、『わたしは、ダニエル・ブレイク』にも『家族を想うとき』にも万引きの場面が出てくるが、両者の扱いは少し異なるように感じた。
ダニエル・ブレイクでは、人としての尊厳を守るためには、万引きや売春をしてはいけないという線引きがある。真っ当な仕事をして暮らすことが尊厳を守るために重要なのだ。
しかし、『家族を想うとき』では、「真っ当な仕事」自体が、変質してきていることの方にスポットが当たる。リッキーとアビーが従事する仕事は、むしろ、万引き以上に人間の尊厳を奪ってはいないか、という疑問を投げかける。


それが一番胸に突き刺さるのが、溜息が漏れてしまうようなラストシーンだろう。『わたしは、ダニエル・ブレイク』は「オチ」のある映画だった。「オチ」があることで、観客は、映画の世界からログアウトして、すぐに現実世界に切り替えることができる。
しかし、『家族を想うとき』には「オチ」がない。
色々なことが起きてしまったあとなのだから、正直、自分は、リッキーが宅配ドライバーを辞めて、家族と一緒に過ごす時間を大事に出来る新たな職を探す、という形で終わるものだとばかり思っていた。そうすれば、とりあえずの「オチ」がつく。
しかし、そうはならない。リッキーは、宅配ドライバーを続けることを選んでしまう。*2


ここにこそ、現実との「地続き感」を最も感じたし、自分がリッキーの立場だったら、と考えると、同じ行動を選択してしまうかもしれない…と、唸ってしまった。
ダニエル・ブレイクのように独り身で高齢であれば、違う考え方もあるだろうが、リッキーは、アビーとともに家族を養わなくてはならない。
そういった家族構成の違いもあるが、リッキーの家族がこんな事態に陥ったのは、このような形での雇用が蔓延している社会の側に問題があるのではないか。そういう社会批判が前作に比べて明らかに強くなっている。
観終えてしばらく考えてみると『家族を想うとき』は、「怒り」の映画だったのだなと思った。


まとめると、『つみびと』『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』の3作に流れる「地続き感」に、自分は打ちのめされたし、構成やルックも含めてカッコ良過ぎる『ジョーカー』にはそれが欠けていることが不満だったのだと思う。
そして、映画は次の一歩を踏み出しやすいメディアだと思うので、関連書籍もしっかり押さえてもう少し社会問題を考えていく必要があると思った。

アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した

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ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)


*1:役者も4人とも良かったが、特に、長男セブの、本当は優しいのに気分にむらのある性格が印象的。極端に低い声が、思春期の不安定な感情を上手く表現するだけでなく、(リッキーを悩ませるような問題を起こす度に「何でお前…」と)観客の苛々を募らせた。

*2:だからこそ、ラストシーンの前に出てくる「Sorry,We Missed You」(宅配便の不在票の決まり文句)という原題が効いてくる。