Yondaful Days!

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裕太君は自らの不運を呪うしかないのか~福田ますみ『モンスターマザー』

報道による「加害者」と「被害者」の逆転の怖さを描いた本ではあるが、いくつかの面で、これは少し面白いバランスで書かれたルポルタージュだと感じた。
まず、あらすじは以下の通り。

不登校の男子高校生が久々の登校を目前にして自殺する事件が発生した。かねてから学校の責任を異常ともいえる執念で追及していた母親は、校長を殺人罪刑事告訴する。弁護士、県会議員、マスコミも加わっての執拗な攻勢を前に、崩壊寸前まで追い込まれる高校側。だが教師たちは真実を求め、反撃に転じる。そして裁判で次々明らかになる驚愕の事実。恐怖の隣人を描いた戦慄のノンフィクション。

3章までの違和感

ノンフィクションと言えども、構成としては、最初に「謎」が提示されて、読み解くことによってそれが明らかになっていく形を取ることが多いと思う。
しかし、『モンスターマザー』には謎がない。
平凡な少女が、複雑な家庭環境の中で「モンスター」に育ってしまった、というような裏話も、裁判を通して、自らの行為を反省するようになった、という後日談も全くない。
最初から最後まで、モンスターマザーが「モンスター」のままで終わる本なのだ。


長野県立丸子実業で起きた自殺事件の鍵となる「かねてから学校の責任を異常ともいえる執念で追及していた母親」に焦点が当たる内容で、タイトルが『モンスターマザー』。
しかも、全10章構成の1章目から、モンスターマザーのモンスターぶりは全開だ。

  • はじめに
  • 第一章 家出
  • 第二章 不登校
  • 第三章 悲報
  • 第四章 最後通牒
  • 第五章 対決
  • 第六章 反撃
  • 第七章 悪魔の証明
  • 第八章 判決
  • 第九章 懲戒
  • 終章 加害者は誰だったのか

少し丁寧に書くと、犠牲になった高山裕太君は、入学した2005年4月以降、家出や不登校などの問題を抱え、これについて、母親(父親は離婚で不在)が学校側に物申すことが何度もあったが、2005年12月に自殺してしまった。ここまでが3章となる。
裕太君の死後の裁判の様子を追ったのが、4章以降となるが、読者は、3章までに「真実」を見せつけられるような構成になっているので、あらすじで書かれる「裁判で次々明らかになる驚愕の事実」として何が残っているのか、首を捻りながら読み進めることになる。


一方、問題の「モンスターマザー」は、服役している人ではないのに「実名」で、「途轍もなく悪い奴」として描かれているので、読んでいる側としては居心地が悪かった。
今もそうなのか知らないが、数年前、夕方のワイドショー的ニュース番組では、近所の迷惑おじさん、迷惑おばさんを紹介するようなコーナーが立て続けに放映されているのを見て驚いた覚えがある。
悪を叩きたい視聴者におもねるようにして、全国から「悪い奴」を募集して取材するようなコーナーに感じたのと同種の嫌悪感を、3章までの『モンスターマザー』には感じてしまったのだ。

4章以降の展開

ところが、4章以降、それらの懸念は払拭され、次第に読みやすくなっていく。
それは、モンスターマザー以外の「悪」が意外なところから現れるからだ。しかも、これも実名で。


一人目は、社会正義の実現と弱者救済に心血を注ぐ人権弁護士の高見澤昭治。
彼はいじめ被害者に対する学校側の態度が許せない。読者としては3章までの顛末を見ていて、これは誰も「モンスターマザー」の味方にはつかないのでは?と思っていたが、彼女は高見澤弁護士をはじめ、「支援する会」を味方につけ、一大勢力となって、学校側を攻撃する。*1高見澤弁護士は、本当だったら「自分も騙された側の人間」と途中から方向転換してもいいはずだが、裁判の過程でモンスターマザーの正体がわかっても持論を曲げない。


そして二人目は、著名なルポライター鎌田慧で、「週刊金曜日」には、バレー部でのいじめや暴力が真実であるかのような記事が載り話題になる。
彼は高見澤弁護士ほど、のちのちまで事件には関わらないが、『自動車絶望工場』など、徹底的な取材にもとづいた文章を書く人でさえも、「真実」を見抜けないのか、と驚いた。


なお、鎌田慧の記事や、(モンスターマザーが実質的に運営している)「高山裕太を支援する会」のHPは、検索すればネット上でしっかり確認でき、4章以降は、この本以外の情報も合わせて立体的にこの事件を検証することができる。ネット情報が多く残っている時代に起きた事件であるため、それだけでも非常にスリリングだ。

6章以降

あらすじで書かれる「裁判で次々明らかになる驚愕の事実」は6章以降に判明する。
「モンスターマザー」は、2番目の夫と離婚係争中であり、3年前にも周囲の人間を非難し攻撃する等の問題を起こしていたのだ。
この2番目の夫との訴訟記録や、インタビュー取材からわかる彼女の暴言・暴力・虚言壁はまさに「モンスター」で、裕太君に関する彼女の証言の信ぴょう性が低いことが納得できる根拠となっている。
そして8章で地裁勝訴となり、9章では、高見澤弁護士の懲戒についても提訴し、これが認められる。裁判にかけた時間や、マスコミに貶められた高校やバレー部の名声は戻るものではないが、両裁判に勝つことで、溜飲が下がる展開となった。


終章では「加害者は誰だったのか」というタイトルになっているが、全体を通して裕太君の自殺の直接の原因が母親であることは明確で、むしろこの本が書かれた理由を考えると、終章で言いたかったことは、「被害者は誰だったのか」ということなのかもしれない。
ここでは、バレー部の2年生部員のある父親が法廷に提出した陳情書の締めくくりの言葉が引用されている。

現在、世間の多くの人はマスコミの報道のせいでバレー部でいじめがあったものと思い込んでおり、高山さんが被害者、バレー部が加害者と思い込んでいます。しかし、真実はバレー部の子どもこそ本当の被害者であり、高山さんが加害者なのです。

ここでも「バレー部の子どもこそ本当の被害者」と書かれているが、本の中では、彼女が過剰に糾弾した担任やバレー部の先輩など、多くの被害者について多くのページが割かれている。
最初に、3章までの「モンスターマザー」こそが「悪」という一方的な書きぶりに居心地の悪さを感じたと書いたが、むしろ当時のマスコミの論調が、数多くの「被害者」を出してしまったことへの怒りがそうさせているのだろう。また、6章以降の「驚愕の真実」を知ると、むしろ、3章までの描写は、抑制して書かれているのかもしれない。

もうひとつ欲しかった視点

文庫版あとがきでは、著者の福田ますみさんが、前作『でっちあげ』と合わせて、マスコミの責任を追及する。

この2つの事件で、マスコミは見事に二人の母親に騙された。
メディアがが基本的に、弱者の側に立とうとする姿勢はもちろん正しいと思う。問題は、権力VS弱者などという図式に固執して、あいかわらずのステレオタイプな弱者像にとらわれていることだ。
(略)
真実は思いのほか地味であったりする。メディアの役割とは、虚心坦懐に対象を見つめ、一歩一歩地道に着実に真実に迫ろうと努めること、これに尽きると思う。とんでもない冤罪を生まないためにも。

この本は、その目的に対して誠実に、あくまで真実を検証しようとする本ではある。
終章では、現在(2014年)のモンスターマザーに対するインタビューにも成功しているが、彼女は今も反省するわけでなく、当時の主張を繰り返すばかりだ。


しかし、ここまで来てしまうと、彼女がモンスター過ぎて不憫に思えてきてしまう。
ストーカー事件の加害者は、憎むべき存在でありながら、「治療」の対象として扱われることも多いことを考えると、彼女のような存在に対しても何らかの「治療」的アプローチが必要なのではないか。裕太君のような被害者を増やさないためにも。
これについては、解説で東えりかさんが、次のようにコメントしている。

(彼女は人格障害(パーソナリティ障害)ではあるが、治療対象となるところまでは行かないようだ)確かに病気でない以上、プライバシー保護の問題で表沙汰にはなりにくかったかもしれない。しかし情報が伝わっていないことで、子供が犠牲になるニュースは絶えないのだ。
精神障害者移送サービス業の押川剛の本『子供の死を祈る親たち』では「家族の問題」に公的機関や医療機関の介入が難しいとしている。子供の虐待や育児放棄についても、本来尊重されるべき「子供の意思」や尊厳は守られず「親の意思」が第一優先されるのだ。
(略)
貧困、教育現場の荒廃、いじめや虐待などなど、子供を守るための法整備が必要だということは、多くの人が主張している。なかなか実現に至らないのは忸怩たる思いがする。少子化問題が喫緊の問題である以上、この問題は多くの人に考えてもらいたい。本書はそのための必読書であると言える。

自殺してしまった高山裕太君の立場からすると、自らの不運を呪うしかないのだろうか。やはり犠牲者を増やさないために何が必要なのかは、色んなもので勉強していきたい。


子供の死を祈る親たち(新潮文庫)

子供の死を祈る親たち(新潮文庫)

  • 作者:押川剛
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: Kindle
「子供を殺してください」という親たち(新潮文庫)

「子供を殺してください」という親たち(新潮文庫)

  • 作者:押川 剛
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/12/25
  • メディア: Kindle

*1:彼女が、人を惹きつける魅力があることは、裁判中に3人目の夫と結婚していることからも分かる。